第8話 ぶん殴ってこい
「室長。申し訳ありませんでした。おれ。とんでもない穴を開けました。最後なのに……」
大堀は改めて頭を下げた。あの日以来——保住とも顔を合わせていなかった。結局、自分はあの場からリタイアして、迷惑をかけたことについての謝罪をしていなかったことも、大堀を責める一つの要因でもあったのだ。
しかし保住は首を小さく横に振った。
「とんでもないことなんてない。お前が元気ならいい。それ以上取り返しのつかないことなんてないのだから。最後だなんて勝手に決めるな」
「だって、おれ外されるんでしょう?
保住は目を瞬かせていた。
「知田が推進室に入る話など、おれは聞いてはいない。なにを馬鹿なことを言う。——そうか。あの日、知田にそう言われたのだな?」
「は、はい」
保住は瞳の色を和らげた。
「そんなもの、おれが許すはずなかろう。お前はこの一年、一緒にやってきたメンバーだし、これから先もそれに変わりはないのだから」
大堀は「え?」と顔を上げて、そこにいる田口と安齋を見た。田口は黙っているが、真っ直ぐに大堀を見返していた。そして視線が合うと、力強く頷いた。
安齋は「喧嘩相手がいないと張り合いがないだろうが」と言ってから、肩を竦める。
「こら、安齋。こんな時まで悪態をつくな」
保住が嗜める様は、なんだか今までと変わりのない日常に思えて、大堀はぷっと笑ってしまった。
「安齋って、本当、変わらないね」
笑みを見せると、大堀の両親たちは顔を見合わせた。
「お前……」
「室長も田口も安齋も、みんなおれの味方をしてくれるんだ。おれのことすごく心配してくれる大事な人たちだよ。父さん、母さん」
「
母親は父親を見る。父親は「そんなの知ってるよ」と腕組みをしてぶすっとした顔をした。
父親の気持ち、大堀は理解できる。本来ならば知田に言いたいことを、たまたまこうして尋ねてきてくれた三人にぶちまけたという罪悪感を覚えているのだろうということ。
しかし保住はそんなことは気にしないとばかりに、父親を見た。
「大堀を陥れようとしている職員は特定しています。ただ、彼らが普通に仕事をしている以上役所から排除することは困難なのです」
保住の言葉に、両親たちは「それはそうだが」と頷く。それを確認してから、大堀は保住に視線を向けた。
「室長。それはおれも承知しています。だから、本当はおれが乗り越えなくちゃいけないんだと思うんです。でも、おれにはそんな勇気なくて——」
——わかっているんだ。そんなことは。いちいち知田さんと会うだけで、仕事ができないんだったら、辞めるしかないってことだ。でも、おれ……。
「大堀。お前は知田を乗り越えたいと思うのか」
保住にまっすぐに見据えられてしまうと、狼狽えた。自分の決心が、本当にそれでよかったのかと、揺らぐのだ。保住の視線は厳しい。自分でその道を選択するということは——まさに茨の道を突き進むのと一緒。だが——。
「ほ、本当は怖いです。知田さんにいろいろされて、もう、本当に怖くて怖くて仕方がないんだ」
大堀の言葉に保住が田口に視線を遣ると、それを受けて田口が口を開いた。
「知田とお前、企画対決の話が持ち上がっている。
——え……。
想定していたこととは言え、こうして言葉で伝わると、胸がぎゅっとした。
「それは、全くその通りですよ。きっと、おれなんかより知田さんの方が……」
大堀がそう言いかけると、安齋が声を荒上げた。
「このバカ! 本気でそんなこと言っているなら殴るぞ」
大堀の両親は黙って様子を見ている。安齋を押さえて、保住も真っ直ぐに大堀を見た。
「おれはお前を含めた、この四人でアニバーサリーを成し遂げたいと思っている。だが、お前はどうだ? お前は、おれたちと今後もやっていく気はあるのか」
「え?」
「おれはお前の気持ちが知りたい。もう懲り懲りか? 市制100周年記念事業推進室の仕事」
保住の漆黒の瞳に見据えられると、偽りの言葉を述べることなど、許されない気持ちになった。気持ちを隠すことなんてできないのだ。大堀の大きな瞳から涙がこぼれ落ちた。
「おれは……みんなとやりたい。おれだって……おれだって、市制100周年の記念事業を成功させたい。——室長! おれを下ろさないでください! おれは、みんなと仕事がしたいっ!」
彼は必死に保住の腕を掴んで離さない。保住はそっと大堀を引き寄せて頭を撫でた。
「おれもだ。大堀。お前と仕事がしたい」
「大堀、一緒にやろう」
田口もそっと彼の肩に手を添えた。そして安齋も——。悪態ばかりだけど、本当は一番心配してくれていたのは安齋ではないだろうか?
「バカ野郎。さっさと戻れよ。申請業務が山積みで滞りまくりだろうが」
安齋は気恥ずかしそうに視線を外した。
——いつも素直じゃないんだから。心配してくれているんだね。安齋。
様子を見ていた両親たちは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「知らなかったんです。暁がこんなにも仕事に熱心に取り組んでいただなんて」
「おい、暁——。そんな陰険なことする野郎なんてぶん殴ってこい。お前はおれの息子だろう? それにこんなに支えてくれる仲間や上司の人がいるんだ。怖がることはないだろう?」
父親はバシバシと大堀の背中を叩いてきた。いつも中華鍋をふるっている父親の腕力はすさまじい。大堀は思わず咳き込んだ。
「痛いよ。父さん」
「腹ごしらえは任せとけ」
「あのね」
一頻り、我が息子に話した父親は保住に頭を下げる。
「あんたに預ける。息子を頼む」
「任せてください。確かに預からせていただきます。必ず、乗り越えさせて見せます」
「頼む」
「お願いします」
両親は深々と頭を下げた。
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