第8話 開幕



 結局。田口は不安で不安で眠れぬ夜を過ごした。保住にその話をしたくとも、彼は断固受け付けないという態度だったのだ。


 先発隊である自分たちが朝一で会場入りし、お手伝い職員は一足遅れてやってきた。暗雲立ち込める説明会はとうとう、当日を迎えたのであった。


 受付担当の田口は、ひっきりなしにやってくる参加者の対応に追われていた。受付では、観光課の髙橋たちが対応してくれている。彼らは、こういった事業には慣れっこだ。なにせ、市役所内のイベントを取り仕切る部署だからだ。田口よりも慣れているのかも知れない。少し指示を出すと、後は臨機応変に対応してくれる。


 受付部署に立ち尽くしながら、田口は焦燥感に駆られていた。本当は会場フロアが気になっているのだ。だが、すっかり彼らに任せてこの場所を離れるわけにもいかない。もどかしい気持ちのまま、作り笑いを見せていると時間はあっという間に過ぎていった。



***



 説明会は複数回に分けて行われる。対象となるのは、基本的に市内に所在地がある企業であれば、どのジャンルでもよいことにしていた。


 挨拶、概要の説明を保住が行い、大堀は具体的な申請方法、使用上の注意点を説明する手はずだ。総合的な司会を担う安齋は、フロアの様子を見渡しながらヤキモキした気持ちを押し殺していた。


 受付担当の田口と、観光課の職員の関所を通ってきた参加者たちは、フロアに足を運ぶ。総合司会とフロアを担当する安齋は全体を見渡し、席を詰めて座ってもらうように声かけをしなければない。


「あの、資料もらっていないんですけど」


「こちらをお使いください」


 予備で準備している資料を持ちながら、席への誘導をこなしてくれているのは、まちづくり推進室のメンバーたちだ。いくら応援を頼んだとはいえ、やはり人員はぎりぎりだ。安齋の元にまでわざわざやってきては声をかけてくる参加者も多い。


 会場の定員は五十名。それをオーバーする時には、次回説明会に回ってもらうことになる。定員の管理は受付担当である田口の仕事だが、ぴったり入場させるとなると、順番に席を空けることなく着座してもらう必要があるのだ。


『本日は満席を予定しております。椅子は詰めてお座りいただき、荷物などは置かないようにご協力をよろしくお願いいたします』


 安齋のアナウンスに、ホール内はさらに騒々しくなった。


 ——これでは大堀のサポートは難しいな。


 正直、参加者たちに紛れて、知田がどこにいるのかわからないのだ。安齋は苛立っていた。大堀の強張った顔が忘れられない。


 ——なぜ室長は大堀を降ろさないんだ。絶対に失敗するに決まっているのに……。


 安齋がいる総合司会の席とは反対側に座っている大堀は、青白い顔をして保住の隣に収まっていた。



***



「室長。あの」


 大堀は両手を握りしめて、両膝の上に置いて俯いていた。保住は素知らぬふりのまま、「なんだ」と答えた。


「あの、おれ——」


 思いつめた表情の大堀を見据えて、保住は目を閉じた。


「大堀。別に恥ずべきことではないのだ。お前の判断で難しいと思うなら、そう言えばいい」


「でも」


「お前が随分と時間をかけて築き上げてきた過程を見てきた。だから、おれはお前にやってもらいたいと思っている。ただ……強制するつもりはないのだ。お前のことはお前が一番に理解しているだろう。どうだ? できそうか」


「室長——」


 保住は目を開けて、それから大堀をじっと見つめた。彼は戸惑っているような瞳の色で保住を見ていたが、唇を震わせて言葉を紡いだ。


「正直——自信がありません。怖いんです。指先が震えて、膝ががたがたと鳴っています。だけど。やりたいんです。だって、これは。おれが一年間、頑張ってきた事業で……」


「そうだ。これは


「——でも、怖いんです」


 ぶるぶると震えそうな腕を保住は摑まえる。大堀ははったとした目を見開いた。


「室長……」


「お前は自分ができることをやればいい。おれが支えてやる。いいか。大丈夫だ。おれがいる」


 大堀は、じんわりと涙を浮かべた。顔色は悪いままだが、少し大堀らしい瞳の色に戻ったようだった。


「お前には田口や安齋もいる。みんなお前のことは理解している。安心しろ」


 そんな中。定刻を告げる安齋のアナウンスが入った。始まるのだ。説明会が始まる——。会場は満員だった。





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