第15話 肉じゃが食べたい。




「賢明な判断だな。横沢、お前とはうまくやっていけそうな気がする」


「親父が言っていた意味がよくわかったよ。あんたは敵に回さない」


 澤井はさっさと立ち上がると、スマホで電話を掛ける。


「おれだ。決着ついた。そうだ。——手はず通りに事を進めろ」


 彼はそれだけ言うと、通話を切った。それから、病室に備え付けられていたテレビの電源を入れた。

 地方局は、どれも速報として『梅沢市役所市長選へ、現職の安田市長が、出馬表明』とテロップをつけて彼の会見をライブ中継していた。


『私は、梅沢市が大好きです。私の培ってきた実績をさらに積み上げることで、必ずや市民の皆様のための施策を展開していけます! 特に今回は、私が今まで手をつけることができなかった、梅沢市の農業。第一次産業に力を入れるという、新しき公約を掲げていきたい』


 安田の記者会見を眺め、横沢は澤井を見た。


「根回しがいい」


「これが大人の世界というものだ」


 彼はそれから、槇を見た。


「ひどい有様だ。病院で手当てでもしてもらえ。テレビには、しばらく出られない顔だ」


「澤井さん。今回は、本当に——」


「槇。おれは約束を守る男だ。お前の望むこと、叶えてやると言っただろう? 医師会や商工会議所はとうに押さえてある。建設関係は、とある筋に頼んである。市民がいくら騒ごうと知ったことではないということだ」


 澤井の言葉に横沢は大きな声で笑いだした。


「馬鹿みてえな話だな。選挙戦なんて、お飾りじゃねえか。もう結果は決まっているって算段かよ。おれたちがこんな騒ぎ起こしたところで、なんの意味もなかったってことか。実篤さねあつ。おれたちはまだまだガキだな。敵わねえ」


 横沢は馴れ馴れしい態度で槇を見据えた。彼はただ黙って、そこに座り込んでいた。


「若いということのほうが強みだろう? おれには手に入らないものがある。それは若さだ。時間は巻き戻らないのだ。お前たちが羨ましい。——いいな。くれぐれも内密にしろよ。保住」


 ここにいるメンバーで一人、不満を持っている保住に釘をさすように澤井は言い放った。


 ——澤井はこれをおれに見せて、なにがしたい?



 部屋を出ていく際、澤井は野原の元に屈みこんだ。


「すまなかった。野原。お前が一番の犠牲者だ」


 野原は目を開ける。


「いいえ。副市長。丸く収めていただいて、ありがとうございます」


「課長」


「保住。いいんだ。おれのせいで選挙戦に影響が出るほうが不本意。——ありがとう」


 今回の件に納得していないのは保住だけということか。保住は黙り込んだ。


 澤井はこの一件での自分の立ち居振る舞いを見せたかったのだ。正攻法だけではうまくいかない場合があるということをだ。保住は自覚した。上に行くということは、自分も同じような決断をしなければならない時が来るかも知れないということ。


 澤井が自分を連れて歩くのは、それを見せつけるためだ。政治的な取引は、あってはならないことなのだろうが、なくてはいけないということを理解させられたということだ。

 保住は野原に視線を向ける。


「課長。ひどい有様だ。渡辺さんや谷口も来ています。他の振興係のメンバーは市長室の援護に。みんなあなたを心配している」


「——みんなに迷惑かけた。今回はさすがに反省している」


 保住の腕を掴む指先は力ない。本当に不憫に思えた。


「素直にそんな言葉が出るなんて、課長らしくないですね」


「そんなことはない。おれはいつも素直でしょ。——それにしても疲れた。お前の肉じゃが食べたい。お腹空いた」


「でしょうね。とんだ入院生活になりましたね。元気になったら作ってきて差し上げますよ」


「楽しみ……」


 澤井に促されたのか、小西が病棟スタッフを従えて病室に入ってきた。横沢と槇も怪我をしていると連れ出される。


 結局は、全てが澤井の思惑通り。今まで反抗的だった農協青年部まで手中に収めるという見事な手腕だった——というべきところなのだが、保住にとっては、腑に落ちない、後味の悪い幕切れだった。





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