田舎の犬と都会の猫 ー推進室編ー

第11話 犯人

「ではなにか。犯人は野原と槇の関係性をよく知る人物だとでも言うのか」

　保住の問いに、電話口の田口は幾分自信なさげに、しかし確かにと、言い切った。

『おれはそう思うんです。市長選前、槇さんは選挙に全力投球です。野原課長のことを顧みる暇もないはずだ。そうなれば、必然的に課長は入院する可能性が高い。犯人はもしかしたら、そこに賭けたのではないでしょうか。実行犯と黒幕がいるのか、実行犯だけなのかはわかりませんが。ともかく、このタイミングだけを狙って、準備してきたように思えます』

「おれもそれはあり得ると思っている。犯人は、よほど執念深い粘着気質のような気がするな」

『なんだか選挙だけの問題なのでしょうか。それ以外になにかあるのではないかと思ってしまうほど、計画的なのではないかと思います。あの、小西さんと調べた限り、野原課長が病院から外に出た形跡は見当たらないんです。もしかしたら——』

「病院内のどこかに留められているかも知れないということか？」

　保住の言葉に田口が一瞬、息を飲むのがわかった。

『——そういうことです。おれ、調べてみます』

「おい。無茶するな。おれも行く。それまでは動くなよ」

『いいえ。庁内もてんてこ舞いじゃないですか？　保住さんはそちらを。大丈夫です。任せてください』

「銀太！」

　大きな声を出しても遅い。田口との通話は切れた。折り返しかけても対応する気がないのだろう。一行に通話が繋がる気配はなかった。

「ち、あいつ」

　保住が顔を上げると、隣に立っていた槇が心配気な視線を向けてきた。

　市長室は大騒ぎだ。安田は「もう時間がない。マスコミを呼んで」と騒いでいる。時計の針は六時半を過ぎた。マスコミを呼んで会見を開くならタイムリミットだ。

　安田を押さえつけている久留飛や澤井だが、彼の意思は固いようだ。秘書課長の金成に、記者クラブに連絡をするように指示を出した。金成も辛いところだが、致し方ないとばかりに廊下に出ていった。

「槇さん。病院にいる銀太からだ。病院内の状況等を勘案すると、犯人は病院スタッフの中にいる、もしくは協力者がいるのではないかという。そして、野原課長は病院内にとどまっているのではないかとも。そろそろ槇さんの隠していること、話してみてはどうか。辻褄が合うのかも知れない」

　槇は蒼白な顔で保住を見た。

「雪（せつ）のことを『せつ』と呼ぶのはそう多くない。あいつの家族。そしておれの親族。——それから小学時代の同級生の数名だ」

「小学校の同級生だと？」

「そうだ。おれたちと同級に横沢という男がいた。不良グループのリーダーみたいな男で、ともかくなにかと言えば雪にちょっかいばかり出していた奴だ。そいつは、今。農協青年部長になっているんだ」

「青年部って——」

「そうだ。反安田の先頭を切って、活動している男だ。実家は市内でも一、二位を争うほどの豪農。親子ともども、この分野ではそれ相当な力を持っている。今回の件は横沢の差し金に違いない。雪のことを名で呼ぶのもそうだ。それに、安田下ろしだけじゃない。あいつはきっと……。いや。いい。そこまではお前に関係がない。ともかくだ。横沢が関わっているなら、雪に危害を加えるという心配はないのだが」

　槇の言葉に煮え切らない。保住は訝（いぶか）し気に槇の横顔を見ていた。

　——危害を加えないだと？　ちょっかいばかりかけてくるって……。それって。

「つまり危害は加えられないが、貞操が危ないということか」

「お、おい。はっきりと言うなよ」

　槇は狼狽えた。槇実篤（さねあつ）という男は、はっきりいって「情けない男だ」と保住は思った。

　見てくれはよい。市長の甥っ子で、私設秘書。職員たちからは一目置かれているのも知っている。だがしかし。こういう緊急事態への対処能力も低く、なにせ考えが浅い。

　彼が今まで、なんとかやっているのは、野原雪という、ちょっと凡人離れした男に支えられてのことなのだろう。思慮深くならないと、彼が梅沢市長になるにはまだまだ先の話——なのだろうと実感した。

　——澤井は槇を立てる気はない。やはり安田で強引に推すしかないのだな。

　槇が思っている以上に育たなかったということなのだろう。澤井は安田に取り入り、槇に取り入って、自分のいいように市政を動かしたいのだ。そのためには、傀儡（かいらい）となる市長が必要だ。

　槇は少々、抜けているところもあるため、傀儡としては適切なのかも知れない。だが、この浅はかさでは、市長の座に座ることすらままならないかも知れないという考えに至ったに違いなかった。

「槇さん。いかがいたす」

「病院へ行く」

「ここは？」

　混乱している市長室内だが……ともかく、野原を見つけ出せれば会見をしなくても済むわけだ。

　時計の針は六時半を回っていた。ここで迷っている場合ではないのだ。田口の情報に賭けるしかなかった。

　保住は槇に「行きましょう」と声をかけた。保住の心配は野原でもなく、市長選でもなく、田口のことであった。

　——あいつ。ケガも儘ならないというのに。また無茶をするのではあるまいな。

　正義感の塊みたいな男だ。犯人たちと接触し、田口に何事かがあるのは不本意だ。それだけはなんとか食い止めたいところだ。

　市長を中心に押し問答を続けている上層部幹部たちを横目に、保住は天沼に声をかけた。

「天沼。おれと槇さんは病院に行ってくる」

「え？　こんな時に、ですか」

「銀太から連絡があって。野原課長は病院にとどまっているのではないかというのだ。あの調子だと、澤井にこの件を伝えている暇はない。悪いが、頃合いを見て、この件を伝えておいてくれ」

「わかりました」

「それから、なんだかんだと理由をつけて、記者会見の時間を先延ばしにしておけ。槇さんとなんとかするから」

「先延ばしと言われましても」

　さすがの天沼も困惑した表情だ。

「時間が近づけば、犯人からメールが来ると思うのだ。記者会見の準備はしているが、マスコミの調整に手間取っているとでも言っておけ」

「承知しました」

　顔色の青い天沼は、不安げな瞳のまま小さく頷いた。本業とは違う。人の命がかかっているという緊迫した場面なのだ。天沼の戦きは保住にも理解できた。正直に言えば、保住ですら、こんな経験は初めてだ。田口の事件以来、こんな緊急事態ばかりが続く。前回の市長選の時は、こんなことはなかったはずだ。

　——ここのところの職場はデンジャラスだな。

　そんなことを考えながら、中央棟に足を踏み入れると、そこには文化課振興係の面々が立ちつくしていた。保住と一緒に仕事をした経験のある渡辺、十文字は見知った顔だが、他の二人は知らない。自分と田口が抜けて異動してきた職員であろうことは容易に想像できた。