第10話 病室での謎解き
内科病棟での収穫は一つもなかった。亡くなった患者は実際に存在していることがわかったからだ。田口と小西は「ふりだしに戻る」とばかりに落胆し、田口の病室に戻った。
「というか、小西さんは仕事しなくていいんですか?」
自分のベッドに座る田口。小西は空いている野原のベッドに腰を下ろして笑った。
「いや、おれ日勤だし。もう仕事は終わったんだけどね。緊急事態だから帰らないだけじゃない」
「ならいんですけど。——それにしても、どうしたものか、ですね」
「だよなあ」
小西は野原のいたスペースを見渡す。
「ふうん」
彼はふと動きを止めた。それから田口を見る。
「なんです? 小西さん」
「いやねえ。なんか違和感があるっつーか」
田口はその違和感の正体が知りたいと思った。松葉杖を突き、小西の元に歩み寄った。と、そこに置き去りにされままの、彼の昼食トレーが杖に引っ掛かった。
「あっと」
「おいおい、気を付け——」
蓋が外れてこぼれ出た味噌汁からは、嗅いだことのないような異臭がした。
「小西さん、なんです? これ」
「おれに聞かれても……」
小西はお椀に残っている汁を人差し指で掬いとってから、舌でぺろりとした。
「うげえ。不味い」
「不味いって。なぜ課長の食事がそんなに変な味になるんですか。確かに、昼からほったらかしですが。痛んでいるというわけでもないですよね」
「これは腐っているとか、そういう味じゃないよ。田口さん。なんか変なの入っている」
「じゃあ、課長が『苦い』とか『不味い』 って言っていたのは、食事に、なにかが入っていたからってことですか」
「そういうことになるよなあ」
小西はベッドに両手をついてから、斜め上に視線を遣る。
「田口さん。おれ、嫌~なこと思いついちゃったんだけど」
口調はおどけているようだが、小西の瞳の色は真剣だった。
「小西さん」
「——この点滴さ。野原さんがいなくなった時のままだろう?」
「え、ええ。そうですね。そうなっていましたよ。抜けていて、くるくる丸められて、点滴台にぶらさがっていましたけど」
——それがなんだ?
田口は目を瞬かせて小西を見据える。彼は言いにくそうに声を潜めた。
「普通さ。人を誘拐するような粗雑な行動をとる最中に、こんなに丁寧に点滴のラインをまとめるかよ」
「あ、ああ——それは確かに」
犯人は慌てているはずだ。自分がいない病室で、しかし、いつ誰かが入って来るかもわからないこの場面で——。人を一人連れ出すのだ。いくら衰弱しているとは言え、大の男一人をだ。野原が大人しく連れ出されるものだろうか。それはかなり手際よくやらなくてはいけないだろう。
そうなると、点滴の管のことなど、正直どうでもいいことである。もし自分だったら。ともかく野原を連れ、この場から立ち去りたい一心になるはずだ。点滴など、無理やり引き抜いて、そのままそこに放置するに違いないのだ。
「見てみろよ。ご丁寧に、抜けた点滴が零れないように、ここもロックされているだろう? そして、ラインをくるくる巻いておいていくってさ。これって、犯人は医療従事者じゃないか」
小西の言葉に田口は合点がいった。
「なるほど。それなら違和感はない。病棟をうろついても問題ないスタッフ。車いすでも持ってきて、野原課長をだまして乗せるのは容易だ。点滴の扱いも慣れている。——ということは。もしかして食事におかしなものを混入して、体調を悪化させるのだって訳ないということですか」
「そうだよ。スタッフは不規則な勤務体制だ。だが、食事なんて、最初の何度かに変な異物を紛れさせておけば、そういうもんだって刷り込まれて、普通の食事だって手を付けなくなるもんだ。それにそもそも、栄養不足状態だと、通常の人間の味覚とは違っている場合もある。造作ないことかもな」
「しかしそんな。そううまくいくものでしょうか。野原課長が入院するかどうかなんて、誰にも予測できないことですよ。この時期にタイミングよく誘拐事件を起こすなど……」
「この時期に?」
そこではっとした。小西には、市長選が絡んでいることを伝えていないのだからだ。田口が急に黙り込んだのを見て、小西は事情を察してくれたのだろう。
「いいよ。理由なんて別にいいけどよ。今の今、タイミングがいいってことだろう? まあ、確かに。それは誰にも予測が出来ないことだ。だが、野原さんの入院は珍しことじゃないしなあ。まあ、今回は、前回入院から随分期間が空いているみたいだから。食事、ちゃんとしていたんだろう? なに? 彼女でもできたとか?」
田口は、そこでさらにはったとした。
——今は市長選前で槇さんが自宅を出ていると言っていた。そうなると、必然的に野原課長の栄養状態は悪化するということ。予測できなくもないってことか?
「小西さん。病院のスタッフが関与しているとしたら、どうでしょうか。もしかして、課長は病院の外に出ていないとかありえますか。人が一人、隠れていられる場所なんてあるものでしょうか。例えば、今使われていない病棟——ありましたよね」
小西は、いつもは緩い表情を引き締める。
「そんなん、あるに決まってんだろ——病院だぜ。なるほどな。道理で外につながるルートが見つからねえわけだ。あそこはスタッフのIDがあればおれだって入れる。まあ、入ろうとは思わねえけどな。——ちと探してみっか」
小西の言葉に田口は大きく頷いた。それから、「あの、電話してもいいでしょうか?」と小西に尋ねた。保住に伝えなければ——。そう思ったのだ。
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