第9話 災い転じて福となす


 騒々しいだけの久留飛くるびを市長室に連れ込み、澤井は声を低くした。


「お前らしくもない。冷静になれ。いるだけ邪魔だ」


 久留飛は、澤井の腕を振りほどき、肩で息をした。


「私は安田市長の再選を目指しているだけですよ」


「公務員として、選挙に口を挟むのはルール違反だと言っているだろうに」


「あなたの好きにはさせませんからね。槇を立たせて傀儡かいらいにする予定なのでしょう? そんなことにはなりませんぞ。安田市長は我々にも寛容だ。あなたの一人勝ちなんて、許しませんよ」


 澤井は呆れた顔をした。久留飛という男は、澤井の腹の内をよく理解していないということがわかったからだ。


「お前は思い違いをしているようだな。そうか。それで推進室にちょっかいをかけて嫌がらせをしているということか」


「そうですよ。なにが悪いんです? あなたの大事なもの、いつでも僕は、どうとでもできると示しただけですよ」


 ネクタイを緩めて悪態を吐く久留飛は、本来の彼なのだ。澤井はソファに腰を下ろすと、愉快そうに笑って見せた。


「お前は、おれの予想よりも浅はからしいな」


「なんですって」


「おれも安田市長の続投を願っているのだぞ? おれとお前はこの件に関しては、仲たがいしている場合ではないということだろう?」


 久留飛は怪訝そうに顔をしかめてから、澤井の向かいの椅子に腰を下ろした。


「あなたは安田で行くおつもりか?」


「そうだと言っておろう。おれは今も昔も安田市長を推しているのだ。おれが対抗馬を推すだの、槇を立てるなどということは、勝手な憶測だ。おれは純粋に安田市長の続投を願っているのだ」


 狼狽えている久留飛を見るのは気分がいい。澤井は久留飛とは対照的に、ソファに背を預けて得意そうに続けた。


「おれが懇意にしている各種団体の票はとりまとめ済みだ。槇が回っている。対抗馬にはそう言った情報が洩れ出ないように、厳重に情報統制をかけている最中だ。一市民の票がなんになる。選挙で必要なのはまとまった票だ。だがしかし、おれの力でもなんともならんところがある。それが農協だ」


「農協はたちが悪い。が牛耳っている」


「今回の件も、もしや——」


 澤井はそのまま考え込んだ。業を煮やしたのか、久留飛は「ともかく」と言い放つ。


「こんな他愛もないことで、安田市長の再選の道が絶たれるのは不本意です」


「他愛もないこと、だと? 先ほどは、野原を大事な職員だと言い切ったではないか」


「そんなものは、建前。どうせ職員など駒の一つに過ぎない。確かに野原は優秀だが、なかなか使い勝手の悪い職員だ。いくらでも替えはいるものです」


「本当に、お前には反吐へどが出るな」


「澤井さんに言われたくはありませんが。それは称賛の言葉として受け取っておきます」


 澤井の腹の内を知り、少し落ち着いたのだろうか。久留飛はいつもの声色に戻った。


「ともかく。安田市長を続投させたくとも、目の前の課題をどうにかしなければなりますまい。野原は捨ておきましょう。我々は、テロリストまがいの輩に屈すわけにはいかないのです。さっさと警察にお任せしましょう」


「バカか。お前は。今、警察沙汰になると、市長選自体に響くのだぞ? なんとかできるなら、なんとかする」


「取引を持ち掛けるのですか」


「さてな」


 いつもの調子を取り戻した久留飛はにやにやと意地悪な笑みを浮かべた。


「この件、明るみになれば、あなたも危うい立場になりますね」


「……お前なあ」


「今はなにも致しませんよ。安田市長を続投させてください。私の願いはそれだけです。もしそれが叶わないなら、私にもいろいろと考えがありますから」


 久留飛はそういうと、さっさと市長室を出ていった。

 取り残された澤井はその場でニヤニヤと笑みを隠しきれずにいた。


「窮地は窮地だが——。これは好機でもあるのだ。久留飛のやつ。おれに一任したこと、あとで後悔しても知らんぞ」



***



「だかね。患者らしき人は通っていませんって。なんなら監視カメラの映像見ます?」


 松葉杖の田口は、小西と一緒に病院内を聞いて回っていた。


「いや。そこまで見ている暇ないんだけどさ」


「ふらついている怪しい人なんて、いたら気が付きますよ」


 宿直らしき中年警備員は、お互いに顔を見合わせて首を傾げた。


「患者が一人行方不明って、聞いていますけど、おれたちはサボっていませんからね!」


 自分たちの不始末を責められていると思ったのだろうか。むっとした顔をした彼らに頭を下げてから、小西と田口は一階の外来ロビーに出た。


「夜間通用口はかなり狭くてね。まあ何度聞いても同じ答えだしさ。間違いはないよね」


「では、一体……おれには病院の仕組みがわかりません。他に外に出られる場所があるのでしょうか」


 小西は少し考えこんでから、もう一度警備室に向かう。田口は彼の後ろをくっついて歩くばかりだった。


「おい。今日、お見送りってあった?」


「お見送りですか」


 先ほど警備員たちは顔を見合わせた。


「そう言えば、内科病棟で一人。日勤の終わりくらいの時間ですね」


「ありがとう」


 小西はそういうと、さっさと歩き出した。


「お見送りとは、なんなんですか」


 田口にはさっぱりわからない。彼の後ろをくっついてエレベーターに乗り込む。


「お見送りって、亡くなった患者を見送ることだよ」


「亡くなった方……」


 病院とは病気を治すイメージだが、確かに。残念ながらそういうケースもあるのだろう。死と隣り合わせの世界なのだと、急に実感してしまった。


 ——自分だって、もしかしたら……。


 なんだか背筋がざわついた。


「亡くなった方は、それ専用の搬送口があるんだよ。そこに上手く紛れていたら、もしかしたら人一人くらい外に出せるだろう」


「しかし、亡くなった方を偽造するなんて難しいのでは」


「病院スタッフじゃねえとできないし。葬儀屋も仲間じゃねえと難しいよな。まあ、可能性は潰していこうぜ。内科病棟に聞き込みだ」


「はい」


 なんだか小西が頼もしく見える。彼はなぜこんなに協力してくれるのだろうか。田口は少々疑問に思いながらも内科病棟に足を踏み入れた。





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