第9話 凶悪な一族




「天沼、お前はこの書類を財務に届けてこい。ゆっくりでいいぞ」


 澤井の言葉の意図を汲んだ天沼は頷くと、久留飛くるびと入れ替わりに部屋を出て行った。

 その様子を眺めていた久留飛は、応接セットの椅子に腰を下ろす。


「あの男——お気に入りになりましたか。それはなによりですヨ。何度も何度も秘書課の職員にダメ出しばかりでは、こちらも困ります」


「クズな職員を真っ当に教育するのも、人事課のお前の仕事だろう?」


 澤井の嫌味にも動じない久留飛は、肩をすくめて笑う。でっぷりとしたお腹が揺れた。


「時代の流れです。昔とは違うんですから。平成の世で排出された人間は、昭和の人間とは扱い方を変えれば良いだけのこと。彼らのせいではありません。使う側の問題ですヨ」


「できない言い訳はいい」


 ぶっきらぼうな返答に、久留飛は笑い顔の表情を変えることなく、「それよりも」と切り出した。


「今回の観光課の件です。松岡の処分は懲戒免職でよろしいですね」


「そうだな。——お前は人の処分の話の時も、笑っているのか」


「生まれつきなんです。これでも惜しい人材を失うことに嘆いているのですから」


「松岡はお前の部下だった男だな」


「彼が新卒の時に少々。将来有望な職員でした。途中で変な嫉妬心を持たなければ良かったのに、とは思いますが、それは彼の問題だ。不幸なものです」


「元部下を処罰するとは、お前も辛いところだな。苦渋の決断というところか?」


 澤井は立ち上がり、それから久留飛の目の前のソファに腰を下ろした。


「彼は幸せだ。こんな組織のしがらみから解放されるのです。精神鑑定がなされるようですヨ。人生安泰ですな」


 ——精神を患ったことが幸せか? 


 澤井は不愉快な気持ちになったが、これ以上、議論しても埒があかないと判断をし、話題を変えた。


「今回はすまなかったな。根津を無断で借りた。別に奴でなくてもよかったのだが……たまたま居合わせたからな」


「今回の件は遺憾です。現場責任者のわたしに話があってしかるべき案件ではないでしょうか」


「そう怒るな。これは推進室への悪意——つまりはおれへの悪意なのではないかという恐れがあったからな。自分で出来る限り解決したかったのだ」


「ご自分のお気に入り職員だけで、でしょう? 吉岡部長も噛んでいたと聞いております。珍しいことですね。保住派と懇意にするなど。昔のあなたからは想像もできないことですヨ」


「そうか? こんなおれでも進化しているということだろう。人間、いつまでも同じところに留まっていないということだ」


「進化系ということですか。そんな言葉が、あなたから飛び出すなんて耳を疑いますね。おふざけは保住の前だけなのかと思っておりましたが」


「よくわかっている。あいつはおれの愉快な玩具おもちゃだからな。ストレス解消だ」


 ふふと笑う澤井を細い目を開いて久留飛は口を開いた。


「気でも触れたのではないかと囁く者もおります。まさか、を召し抱えるなど」


「その一人がお前だということだな」


「我々を失望させないでください。ここまで上り詰めた事、お一人の力ではないということを自覚していただきたい」


「随分と生意気な口を利くようになったものだな。久留飛」


「あなたが進化しているように、私も若かりし頃とは違うのです。澤井副市長の寝首をかきたい者はたくさん控えておりますヨ。お気をつけください」


「心得ておこう」


 久留飛は頭を下げると、腰を上げて副市長室を出ていった。それを見送ってから、澤井は舌打ちをした。


「久留飛め。今回は逃したが、次は必ず仕留める」



***



 シルエットで映る漆黒の山々を背に、沈む夕日は燃えるように赤い。秋の夕暮れだ。退勤の手続きを取り、それから自分の車に乗り込む。目指すは梅沢市立総合病院だ。夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれつつ、病院の専用立体駐車場に車を入れてから、目的地である病室に上がった。


 時計の針は六時を回る。夕食の時間のようだ。薄暗くなった廊下に、かすかに漂う食物の匂いを嗅ぎながら、廊下の奥、突き当りの扉をノックした。


 田口の症状は重症だった。左上腕部の骨折、左ひざ下部の骨折、左鎖骨の骨折。肋骨複数本の骨折。

 手術も受け、なんとか後遺症なしに回復できるであろうと医師からの説明があった。これも田口が元来もっている強靭さの賜物だ。保住が落ちていたら、骨折では収まらなかったに違いない。なにせ、田口は二十段以上もある階段の上から突き落とされたのだから。この程度で済んだということは幸運としか言いようのないことだった。


「あら~。保住さんじゃない。忙しいのに、ごめんなさいね」


 病室の中には田口の母親がいた。田口が手術を受けた日。保住は実家に電話を入れた。ちょうど農繁期であるため、「命があるならいいわ。こっちが落ち着いたら行くから。それまで息子をお願いします」と言っていた母親だ。

 家業に目途が付いたということだろう。きっと、連絡を受けてから心配していたに違いないのだ。いつも艶やかな張りのある顔にかげりが見えた。


「お母さん」


 ベッドの上で目を閉じている田口を気遣って小さい声で呟くが、彼女は関係がないようだ。いつもの如く、大きな口を開けて「あはは」と豪快に笑った。


「いやねえ。痛い、痛いって言うもんだからうるさいじゃない。鎮痛薬を追加してもらったんだよ。そしたらこのザマ。寝てしまったわ」


 術後、微熱が続く田口の額には寝汗が浮かぶ。彼の母親はそれをタオルで拭いながら笑っていた。


「単純なのよ。昔から、医者の世話になることが少ない子だからね。ちょっと薬出してもらっただけでころっと効くんだもの。笑ってしまうわよね」


 保住はとても一緒に笑える状況ではない。口元を引き締めてから、彼女の側に歩み寄り、そして頭を下げる。


「今回は申し訳ありませんでした」


「あらやだ。保住さんのせいじゃないじゃない。そんなに何度も謝らないで。電話でもそうお話したじゃない」


 ——そうじゃない。そうではないんだ。


 保住は首を横に振ってから母親を見る。


「悪いのはこの子に危害を加えた犯人だ。私だち家族、みんなでその犯人をぎったぎったにしてやりたいけど、そんなことはこの子が望まないでしょう。——ねえ、保住さん。その犯人は、どうして銀太をこんな目に遭わせたの?」


「……銀太の人柄に嫉妬したんだと思います。誰からも愛される男です。今回も市役所始まって以来のお祭りを取り仕切る部署に抜擢されました。それがまた、妬ましかったのだと思います」


 保住の言葉に、田口の母親はじっと黙って聞き入っていたが、ふと笑みを見せた。


「人に妬まれるっていうのは、いい気持ちにならないけど、それだけ銀太は一生懸命に仕事しているってことでしょう」


「そうです。銀太はいい奴です」


「なんだかそんなに褒められると、私が照れくさいわよねえ」


 彼女は恥ずかしそうに保住の背中を何度も叩いてくる。細身の保住は、あまりの衝撃に思わず咳き込んだ。


 ——この一族に手を出した松岡はただじゃ済まないだろう。警察に保護されたことが幸いかも知れないな……。


 保住の脳裏には、くわなどの農具を持った凶悪な田口家の面々が浮かぶ。それはあくまでも保住の想像であるのだが……現実に起きそうで怖い構図でもあった。









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