第10話 毎日会いたい
「保住さんがこの子をどんなに大事にしてかばってくれているのか、よくわかります。本当にありがとう。結果的にはこんなことになってしまったけど、保住さんが大事にしてくれていたってごと、よくわかるわよ。本当にいいお嫁さんが来てくれて、私は嬉しいよ」
「嫁って……」
苦笑いをして反論したものかと思案していると、病室の扉がノックされて、保住の母親が顔を出した。
「さくらちゃん、いらっしゃい」
——さくら、ちゃん?
「あら~。加奈子ちゃん」
——か、加奈子、ちゃんだと!?
二人は久しぶりに再会を果たした女子高校生みたいに、手を取り合ってきゃっきゃと跳ねる。
「いつまでこっちに居られるの?」
「あっちも放ってはおけなくてね。一週間くらいかしら」
「じゃあ、家に泊まってよ」
「え? でもホテル予約していて」
「ホテル暮らしなんて不便よ。どうせ私とみのりしかいないんだし。気を遣うことないわよ」
「あらあ、じゃあお願いしようかしら」
あからさまに女子の会話を展開する母親二人を眺めて、保住は黙っているしかない。
「夜はどうなのかしら」
「夜なんて看護師に任せれば大丈夫よ。子供でもあるまいし」
「そうかしら」
「そういうものよ」
「病院の行きかえりは私たちで送迎するから。朝は私が送って、帰りはみのりも尚貴もいるし」
そこで初めて自分に視線が注がれる。
——いやいや。無理だ。銀太のいない分、仕事が……。
「ねえ? できるわよね?」
しらっとした母親の視線に「喜んで」と保住は答えるしかない。
「もとはと言えば、
「あら。じゃあ、やっぱりお嫁さんになってもらったほうがいいんじゃないべかね」
「さくらちゃん、その話はこの前もしたけれど、それでは困るんですよ。やっぱり銀太くんに嫁になってもらわないと。我が家には息子が一人しかいないでしょう? みのりも尚貴も嫁に行ってしまうとなると、いろいろ不具合があるのよね」
「ああ、それは困るわね。我が家には
盛り上がっている二人を見ていると、さすがに口を挟みたくなった。保住は「しー」と人差し指を立てて、母親二人をたしなめた。
「銀太が起きるでしょう」
「あら、そうね」
「ごめんなさい」
保住は大きくため息を吐いてから立ち上がる。
「おれ、帰ります」
「あらら、ちゃんと付き添いなさいよ。目が覚めた時にあなたがいたほうがいいに決まっているわ」
「そうね。じゃあ、よろしく」
母親二人は連れ立って病室を出て行ってしまった。
一体、なにをしたかったのか、保住にはさっぱり理解ができないことだった。田口の母親を迎えに来たということなのだろうか。そうすると、田口のことはどうでもいい扱いだ。
静かになった病室を見渡してから、側にある丸椅子に腰を下ろす。それから、そのまま田口のベッドに腕をかけて額を付けた。
このまま寝てしまいそうなくらい、体が疲弊していたようだった。
田口が階段から突き落とされてから、三日が経っていた。長いようで短い三日間だった。その間、自覚していなかったが、大した睡眠もとっていなかったらしい。こうして様々なことに区切りがつくと、どっと疲労が襲ってくるのだった。
目を閉じてうつらうつらとしていると、ふと頭に温かいものが触れた。そっと視線を上げると、そこには田口の大きな手のひらが見えた。
「起きたのか」
「ずっと起きていました。うるさい母親です。とても眠る気にもなりません」
「すまなかったな」
「保住さんのせいではありません。おれの母親が元凶です。どこにいても大騒ぎになってしまうんです。昔から。忙しい時期なんだから、わざわざ来なくてよかったのに。逆に気が休まりませんよ」
彼は少し体を動かす度に眉間に皺を寄せた。痛みがあるのだろうか。保住は田口の右手をそっと握る。
「犯人を捕まえた」
「誰だったんですか」
「観光課の松岡だ」
田口は「そうですか」とだけ呟いた。
「驚かないのか」
「なんだか腑に落ちます。どこが気に食わないのか。以前から嫌われていました。掃除だと称して、推進室周囲をうろついているのは知っていました。ただの善意だとは思えませんでした。なんでこんなことするんだろうって、ずっと不思議に思っていたんですよね」
「そうだったのか」
——もしかしたら、最初から銀太に話していれば犯人をすぐに割り出せたのかも知れないということか。
「しかし、ここまでされるなんて夢にも思いませんでした。そんなにおれが疎ましかったのでしょうか。保住さん。今回ばかりは、さすがに堪えますね。普通に生きているだけだと思っていたのに。他人から殺したいほど憎まれるって、結構きついです」
「……そうだな」
天井を見つめたまま、田口は続けた。
「安齋から聞きました。佐々川課長が怪我をされたのは、おれの机に刃物が仕込まれていたせいだって。すみませんでした。保住さんだけでなく、みなさんにもご迷惑をおかけしたのですね」
「謝るのはおれだ。お前に早く話していれば、松岡のことをもっと早くに割り出せたのかも知れない。そして、お前にこんな思いをさせることもなかったのだ」
「いいえ。多分、犯人が早く分かっていたとしても、こういうことって現行犯じゃないと難しいと思います。きっと、結果は同じですよ。階段でのことは、おれが注意していたとしても起こってしまっていたと思いますし……」
「銀太」
田口は自由の利く右手をそっと伸ばし、保住の頬に振れた。
「そんな顔しないで。正直に言うと、精神的に参ってはいますけど。あなたが傍にいてくれるだけでなんとかなるんですよ。お忙しいのはわかっています。おれも抜けてしまって、本当に申し訳なくて。だけど、一つだけ我儘きいてもらえますか」
彼は口元を緩めて保住を見る。
「あなたに毎日会いたい。どうか毎日、会いにきてもらえないでしょうか」
保住は田口の右手を両手で包み込むように握った。それから、その手に顔を寄せた。
「当然だ。お前が嫌だと言っても毎日来る。早く治せ。おれは一人ではなにもできない男なのは知っているだろう? 寝ぐせだって、服装だって、酷いものだ。さっさと帰ってきておれの世話をしろ」
「アパートも心配ですよ。掃除、していないでしょう? 埃だらけなんじゃないですか」
「仕方ないだろう。忙しいんだ」
「忙しくなくても掃除はしないでしょう?」
保住は気恥ずかしい。しかし、そんな気持ちよりなにより。目の前にいる田口が愛おしく思えた。腰を軽く浮かせて、上体を伸ばし、それからそっと田口の頬に口づけを落とす。
「お前がこうしていてくれて嬉しい」
「保住さん——ありがとうございます」
二人は視線を合わせ、ふふと笑みを浮かべた。
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