第8話 珍獣



「あんなに真面目で、まっすぐで、裏表のない人って珍獣みたいに珍しいじゃないですか」


「珍獣?」


 天沼の表現は飛んでいるが、なんだか理解できてしまう自分がいるようだ。二人は顔を見合わせて笑った。


「自分の気持ちに気が付いていなかったんですけど。十文字に指摘されて『そうなのかな』って思いました」


 ——十文字だと?


 十文字とは、保住の前職時代の部下だ。田口のすぐ下の後輩で、教育係として熱心に関わっていたことを思い出した。

 しかし天沼と十文字の接点が見当たらない。

 保住はいぶかし気に彼を見たが、天沼は保住の気持ちなど理解していない様子だ。多分、自分の気持ちを口にして動揺しているのだろう。いつもは澤井の隣に付き従い、大人しく従順に仕事をこなす彼だが、こうして素で話をすると、なるほど。保住ですら可愛いところがある男だと思わずにはいられない。


 恥ずかしげに視線を伏せ、保住に気遣うように自分の気持ちを口にする天沼は、男性の本能をくすぶるらしい。


「研修で……、一緒に一つの企画を仕上げるなかで、田口の優しい人柄に触れて、ついそう錯覚していたのだと思います。今でも彼は大切な友人だと思っていますが——あの!」


 突然、彼は頬を赤くしたまま保住に掴みかかってきた。


「誤解しないでくださいね! 保住室長。おれ、今はちゃんと十文字とお付き合いしていますし……本当にもう、室長と田口は見せつけてくれちゃってばっかりですよね。澤井副市長ではないですが、傍目にも恥ずかしいんですからね。お二人の関係性は……」


「な! お、おい。なぜだ? おれがなにをしたというのだ」


「その天然みたいなのやめてくださいよ。安齋や大堀が苦労するわけです。推進室で二人の関係を公然と言い切ったと伺っております。その真っ直ぐに押すやり方は澤井副市長譲りなのでしょうけど、キャラが違います。みんながヤキモキしております」


 「それに」と天沼は続けた。


「田口が搬送された時の取り乱しようは……澤井副市長ではなくても心配になりますよ」


 あの時は無我夢中だった。自分は相当周囲に危なっかしいという印象を与えているのだろうかと認識してしまうと恥ずかしい気持ちになった。


「あ、あれはだな。別に。銀太が心配ということではなくてだな」


「いいんです。心底、ご心配だったことでしょう。おれだって、もし十文字がそうだったら、取り乱すと思います」


 天沼には返す言葉もない。保住は弱った笑みを浮かべて頭をかいた。


「お前が澤井の面倒を見られる理由がなんとなくわかった。お前は適任だ」


 笑顔で人の痛いところを突いてくるのだ。


「いいえ。いつも怒られてばかりですよ。副市長もきっと、室長とだったらもっと楽しく効率的に仕事ができるのでしょうね」


「勘弁してくれ。澤井はお前に任せているんだ」


 二人は顔を見合わせて苦笑した。これでこの一件が終われるのかどうかはわからない。だがしかし。犯人を確保したということで保住の気持ちに一区切りがついたことには違いなかったのだった。



***



 庁議が終わり自室に戻ると天沼が控えていた。


「終わったのか」


「はい。無事に。根津が身柄を拘束して、そのまま警察に引き渡しました。マスコミには議会開催中は黙っているように依頼しております」


「そうか」


 どっかりと椅子に座ると、天沼がなにか言いたげな瞳の色で自分を見ていた。


「なんだ」


「保住室長は恐ろしい方ですね。松岡を責める時の表情。拝見いたしましたが、まるで感情のない人形のような顔でした。いつもは、はにかんだ笑みを見せてくれるのに。まるで別人のようです」


「そんなふうに思ったのか?」


 ——天沼は若い。まだ経験値不足か。


「人間には誰しも色々な顔がある。あの男にはそういう冷たさもある。敵には容赦なく接するようによく言い聞かせて育てた。あいつにとっての敵か味方かは、自分や田口にとって利益になるか、不利益になるか、が基準なのだろうが。まだまだ甘い。仕事基準で考えられるように、今後も徹底的に叩き込まなければなるまいな」


「澤井副市長は、自らの利益よりも仕事を優先するということでしょうか」


「当然だ。おれは市役所の奴隷だ。成さなくてはならないことを成すだけ。そのためだったら、天沼。おれには、お前や保住だって切り捨てる覚悟がある」


 天沼は表情を険しくした。彼が自分を信頼してくれていることは理解している。だが、全てを犠牲にしても成したいものがあるということだ。これは澤井に課せられた使命でもあるのだから。

 天沼はどんな反応を示すのだろうか。そんなことを考えていると、彼は意外にも大きく頷いた。


「結構です。ただ自らの利益のために切り捨てられるのは不本意ですけど。澤井副市長の、その仕事にかける情熱は命を削る覚悟であることも理解しております。それはきっと、人一人の利益を超越している目的があると思いました。おれは、そのために切り捨てられるなら文句は言いませんよ」


「お前は変わっている男だ」


「それがおれです」


 澤井は苦笑した。二千人近くもいる組織には面白い人間がゴロゴロしている。それらをかき集めて自分の思いを達成するということは、人生を賭しても惜しくはないくらい愉快なことだと思った。


「ところで松岡という男はお前も同期だろう? 知っていたのか」


「同じ部署で勤務したことはありませんが。初任者研修で一緒に学びました。当時は面白みもないくらい真面目な男だと認識しておりましたが」


「その生真面目さが、今回の件を引き起こしたのだろう。田口への嫉妬だったと聞いている。数年前にも一度、田口に仕掛けていたそうだな」


「はい。しかし——果たしてそれだけなのでしょうか。確かに、人生で足を踏み外すきっかけは些細なことなのだろうと理解しておりますが……」


「お前の言う通りだ」


 澤井は腕を組んで瞼を閉じた。


 ——今回の件には黒幕がいたはずだ。


「観光課の一職員が推進室の動きを逐一知るとは思えない。松岡は職員のデータベースにアクセスしている記録もないし、周囲の人間に推進室の動向を探るような動きも見せていなかったようだ。つまりだ。あの男が議会での動きや、推進室内の様子を知るすべはないはずなのだ。それになにより。因縁のある二人が物理的に近い部署で仕事をしていたのは偶然か」


「誰なのでしょうか」


 緊張した面持ちの天沼は澤井を見据えていた。澤井には心当たりがある。しかしその件を天沼に伝えるつもりはなかった。


 しばらくそのまま沈黙していると、副市長室の扉がノックされ、人事課長の久留飛くるびが顔を出した。




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