第7話 突然の告白
目の前にいた松岡は蒼白な顔色をして保住の言葉を聞いていたが、観念したのだろうか。ふと息を洩らすと、声高らかに笑いだした。
「はは、やだな。やっぱりあなたは、怖い人だ」
彼の目は笑ってはいない。虚ろで、なにか別な世界を見ているように空を彷徨っていた。
「田口なんて大嫌いだ! あんなどんくさいやつ。なんであいつばかり取り立てる? おれのほうが優秀だ。おれは中央の国立大学卒だぞ。それなのに、なぜ出世できない。なぜ田舎の公立大学出のあいつばかり取り立てられるんだ。おかしいじゃないか」
「そうだろうか」
「そうだ! あんただっておれを使ってみればわかるんだ。おれは優秀だ。同期よりも一足先に中央部署に食い込めた。いいか? そんな優秀なおれを市役所から排除してみろ。これは梅沢市役所にとっての不利益だ」
松岡はじっとテーブルの上のカミソリを見据えていた。
「こんなちっぽけなことなど、目を瞑ればいいじゃないか。あんたが黙っていれば問題ないはずだ。おれは必ず役に立つ。気が利くし、人が嫌がる仕事も率先してやるんだ。保住室長。田口のいなくなった席におれを入れてくれるんでしょう? 悪いようにはしませんから」
松岡の言葉は支離滅裂だった。保住は理解しようとするだけ無駄だと判断する。自己肯定感の高さが常軌を逸していた。いや、劣等感の塊だからこそ、こうして自己を肯定し武装しているのだ。
——防衛反応か。
「すまないが、おれの推進室にお前は不要だ。——悪いな。才能の押し売りをするなら余所でやってくれ」
保住がそう言い放った瞬間。松岡の全身から力が抜けたようだ。彼は椅子に脱力し、だらんと座っていた。
「おれは……不要。おれは不要……」
ぶつぶつと繰り返す彼を見据えていると、ミーティング室の扉が開いた。
「保住室長。ここからは人事課が預かります」
そこに立っているのは根津。彼は警備員と私服のいかつい男性を数名連れていた。市役所という場所は不測の事態も多い。特にリスクの高い部署には、警察を退職した人間を再雇用しているのだ。きっとその職員なのだろうと保住は思った。
「お、おれがなんだというんだ。おれは悪くない。おれは。ただ……不要だって。おれは不要なんだって、ヒヒヒ……おれは不要。不用品だ。不用品だ……」
まるで見えない何かに襲われているかのように、松岡は天井に向けて両手を振った。
——壊れているな。
力ない彼の抵抗は、体格のよい男たちにいともあっさりと掴まり、両脇を抱えられてミーティング室から連れ出されていった。
「そんなはずないんだ。あの人が——あの人が助けてくれるはずだ——」
捨て台詞のような言葉を残し彼が姿を消すと、ふと緊張の糸が緩んだ。松岡からはどう見られていたのかわかるはずもないが、保住はかなり緊張していたらしい。彼が憤慨してなにをしでかすのかわからないからだ。
「それにしても」
保住は入り口のところに立っている天沼を見据えた。 ミーティング室には二人しか残されていなかったのだった。
「頼んでいないのだが」
「申し訳ありません。とある筋から、保住室長が動くとお聞きしたもので。根津さんにご協力願いました。始末はおれたちでやるようにと指示されておりますから。このまま松岡は警察に突き出します。——差し出た真似でしたか」
「いや。助かった。田口がいないと、なにもできない男だ」
保住は苦笑した。
「松岡が特別ではありません。みなが同じような気持ちを抱えているものです」
天沼の言葉には重みがある。だが、保住には理解できないことだった。
「人と比べてなんになる。おれはおれのやりたい仕事をするだけだ。同期が出世をするなど、どうでもいいではないか。羨んでも、その人間に自分が取って代わることはできないのだから」
「それは出来る者の意見ですよ。室長」
彼は嫌味ではなく、心底愉快という笑みを浮かべた。
「普通の感覚では同期は気になるものです。同期とは不思議なものですよ。たまたま同じ年に入庁しただけなのに、親近感、連帯感、そして競争心が芽生えます」
「そうなのだな」
高梨に「同期だ」と何度も言われるが、そう言われて初めて「ああ、そうなのだな」と思う程度だ。自分以外の人間は「同期」を気にするものなのだろうかと思った。保住にとったら、同期が何人いて、それぞれがどこの部署で、どの地位にいるかなど把握するほどのことでもない情報だ。
「保住室長は異色です。入庁するとすぐに『お前たちは同期だ。切磋琢磨しなさい』と言い含められます。もうそれだけで呪縛です。市役所人生の全てに付きまとうのです。保住室長に足りないのは『一般的な人間が抱く感覚を理解する』ということですね」
「そのようだな。肝に銘じておこう」
保住が苦笑すると、天沼は首を横に振った。
「でもそれはきっと、田口が補ってくれますよ。なにせ田口は凡人の代表格みたいな男ではないですか」
「確かにな」
天沼は「ふふ」と笑った。
「おれは田口が好きだったのかも知れません」
突然、耳を疑うような言葉に保住は目を丸くした。
——天沼が銀太を好きだって?
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