第9話 帝王の魔力
「おれも最初はそうでしたよ。人の秘密を盗み見ているようで、まるで自分がスパイにでもなったかのような罪悪感。人事課なんて配属されるものではありませんよ。誰と誰が夫婦で、誰と誰が付き合っている——不倫関係だ、犬猿の仲だ。そういったものを考慮して人事を組み立てるのです。闇落ちしたような職員の処分もするんだから、精神的にもきつい。さらにこの過酷労働。不夜城と呼ばれるくらい四六時中誰かが仕事をしていますからね」
「人事課は確かに行政運営の中枢に
「だがしかし、我々がいないと成り立たないのもご存じでしょう」
「必要性は理解しているがな」
「そんな人事課に、いつかあなたも配置される時がくるのですよ。保住室長。市制100周年のアニバーサリーを成功させたあなたは、ここから一気に駆けあがる。中枢部署をぐるぐると回されて、螺旋階段を駆け上がるのです」
人の人生なのに、根津はさも自分の人生を語るかの如く、目を輝かせている様が異様だった。
——この男はなんだ?
保住は一瞬、違和感を覚えて言葉を飲み込んだ。
「
「根津は久留飛が好きか」
「好きも嫌いもありません。上司は上司です。——保住室長。上司への評価を尋ねてくるだなんて、ある意味ルール違反ですが、素直に言えば久留飛課長はできた上司です。部下への気配りもできますし、なにより、部下が今なにを欲しているのか引き当てるのがうまい。ですが、おれは理解のあるよい上司というよりも、それが気味が悪いと思っています」
——気味が悪いだと?
保住は眉間にしわを寄せる。
「人間って明るみに出したくない感情がありますよね。隠しておきたい思い、大切なもの……。久留飛課長は、そんな隠したい部分まで立ち入ってくる。距離感をぐっと詰めてくるんですよ。彼の前にいると、全て丸裸にされてしまいそうで怖い。それがおれの正直な感想です」
「洞察力に長けているということか」
「そうですね。弱い部分を見つけて、サポートしてくれるという事自体が嬉しい人間もいるものです。彼は、自分に心酔している職員を引き入れて、久留飛派を立ち上げているのです。澤井副市長が久留飛課長を問題視している理由も理解できる」
久留飛はすっかり澤井の手中から飛び出しているということだ。彼は善意なのか、偽善なのかは不確かであるが、人の弱さに理解を示して信頼を得ているということだ。
澤井は自分に匹敵する人材に成長しつつある久留飛を警戒しているというのも頷ける話だった。
保住の立場ではわからないことばかりだ。
——だめだ。もっと上に行かなければ見えないことがたくさんある。
「今回の件は市長選にも関連していると思われるのだが。そもそもうちの職員に危害を加えても意味がないのだ。この件が明るみに出れば、マスコミに取り上げられるだろうが、まだ時期尚早だ。もっと知名度が上がって、盛り上がっている最中で事を起こすほうが効果的だ」
——そうだ。そうなのだ。まだ早いのだ。
「おれたち職員に不正行為でもあるというデマを流したほうが最もよい。今回のやり方では、危害を加えたほうが裁かれる話で、被害者である田口は痛みはあれど、立場的にはふりにはならない。つまりこれは、田口自身を傷つけたいという現れではないか」
「推進室を潰すには、不祥事のでっち上げのほうが効率がいい。議会開催時期ですし、そこで議員にでもリークして大騒ぎさせればいいだけのこと、というご意見ですね」
「そうなんだ。この議会時期に起きたということも解せないのだ。推進室のイメージが議会でがた落ちになれば、それこそメンバーの総入れ替えだって可能だ。久留飛だったらそんなこと朝飯前だろう? 根津」
——お前はそれに加担しているのか?
保住の探るような視線に根津は苦笑した。
「やだな。室長はおれが久留飛課長の間者だと思っているのですね。ああそうか。澤井副市長も然りでしょう。おれをわざと抱きいれて、久留飛に情報が流れていないか確認しているのではないでしょうか」
「かもしれんが。そうだとしたら、お前はどうするのだ」
彼は口元を緩める。正面から疑念をぶつけられても平然としていられるのは、肝が据わっているせいなのか。それとも、本当に関わりがないということなのだろうか。
「どうも致しませんよ。おれはおれの責務を果たすまでです。いいでしょう。室長。あなたのその仮説を採用いたしましょう。もう少し詳細に田口さんの周辺を洗って見せますよ」
「そうか。——田口の同期を調べて欲しい。同期で田口と接点のあった職員を調べて欲しいのだ。それから、田口が過去に所属した部署の上司、後輩、同僚。すべてだ。その人間のリストを作成して欲しい」
「承知しました」
「いつまでにできる」
「そうですね。週末の時間をもらえれば。月曜には提出いたします」
「また残業をさせることになるな。しかも久留飛に内密にできるものか? お前はまだまだ疑念が残る」
根津は苦笑した。
「あの人は底知れませんからね。おれがあの人と通じてなくても、筒抜けかも知れませんよ。そうなると、おれはいつまでも灰色、いや黒扱いというこですね? まあ、どこまで隠し通せるか、保証はできかねますが。やるだけのことはやりましょう。疑いを晴らさなければなりませんしね」
「澤井にも言うな。これはあくまでおれの指示だ」
「承知しました」
——早く犯人を目ぼしをつけたい。根津を信用したらいいものかは、まだまだ判断できないが。今はどんな情報でもかき集めたい。ではないと田口の安全が確保できない。
焦る気持ちを押し殺して、保住は根津と別れた。
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