第7話 お弁当



 昼休み。大堀は背伸びをして安齋に声をかけた。


「安斎、弁当買いに行こうよ」


「しかし」


 安齋は言葉を濁してから田口に「お前も行くぞ」と声をかけてきた。だがしかし、正直に言うと食欲などない。引き出しに入っているカップラーメンで十分だと思った。


「おれはいい」


「しかし昼飯ないだろう」


「大丈夫だ」


 安齋とずっと一緒にいるのも窮屈で仕方がないのだ。


 ——一人になりたい。


 それが正直な気持ちだ。昼ごはんを抜いても一人になりたい気持ちのほうが強かったのだ。しかし安齋は「じゃあ、おれもいい」と一度上げた腰を下ろした。


「な、なんだよ。いいから行ってこいよ」


「いや。おれも食べる気がなくなった」


 ——どういうつもりなのだ。


 田口は困惑していた。そこまでして一緒にいられても困るのだ。安齋の意図がわからない。狼狽えていると、保住が口を挟んできた。


「大堀も安齋もいいぞ。おれが留守番をしている」


「しかし」


「大丈夫だ」


 保住の声に安齋は大堀を見た。大堀はむっとした顔をしていた。


「なんだよ。おれと売店行けないっていう訳?」


「お前と行っても味気ないというか……まあいいか。付き合ってやろう」


「うるさいねえ」


 大堀と安齋はいつもの如くじゃれ合いながら廊下に姿を消した。



***



 二人切りになるとなんと声を掛けたらいいものか惑う。しかし保住も、田口と二人切りになりたかったという気持ちもあったのだ。


 安齋という男は律儀だ。言いつけを忠実に守る。そういう生真面目さと、野獣のような自由奔放な二面性が彼ということなのだろう、と保住は理解していた。


 田口はなんだか気恥ずかしそうにそこに座っていた。きっと理解不能な現状に困惑して疲弊しているに違いないと思っていたが、数日が経過してそれは顕著に露われて来ていた。仕事に対する集中力に欠けている様子が見て取れるからだ。田口は単純だから、そうなることは予測していたことなのだが。


 ——すまないな。銀太。堪えてくれ。


「元気にやっているか」


 毎日、ここで顔を合わせているのにその声かけは、なんだか妙にヘンテコな気もしたが、田口はそんなことには気が付いていない様子だった。


「あの。はい。元気は元気ですが……それよりもなによりも。保住さんは大丈夫でしょか。ちゃんとご飯食べていますか」


「食べている。見ての通り元気だろうが」


「そうは見えませんよ」


 田口はそっと周囲に気を配る素振りをしてから、その長い腕を伸ばしてきた。一瞬、心臓が跳ねた。

 田口に触れられるのはいつぶりなのだろうか。もう一週間は経過したのだろうか。そんなことを考えていると、彼の手は保住の頭——寝ぐせをそっと撫でた。


「寝ぐせ。ちゃんとしないと」


「すまない」


「ネクタイも、ほら。曲がっているし」


「すまない」


「それに、シャツも。アイロンがけなんて苦手なんですから。クリーニング出すといいんですよ」


「すまない……」


 田口は大きくため息を吐いた。その瞳は優しい大型犬。保住をじっと見つめていた。


「あなたも安齋も、きっと答えてくれないということはわかっています。だから黙っていますが。それっておれが信用ならないから話してくれないのでしょうか? 今の現状が、なぜこうなっているのか。あなたが、こんな効率の悪い仕事の仕方をしているのを、おれは見たことがありません。さすがのおれだって、何事かがあるということはわかります」


 保住はじっと黙って田口の視線を見返した。


「おれになんらかの関わりがあることなんですよね? むしろ当事者なのではないですか。なにも知らされないということはそういうことですよね?」


「——そういうことだな」


 保住はそれだけ言うと口をつぐんだ。しかし田口はそれ以上は聞こうとしないのか。満足そうに頷くと嬉しそうに微笑んだ。


「よかった。それだけわかれば腹を括れます」


「銀太」


「そんな顔をしないでくださいよ。理解しています。きっと保住さんは、おれを守ろうとしてくれているんでしょう? 自分から離して安齋に預けている——そういうことですよね。いつもいつも保住さんに守られているだけなのは不本意ですが、あなたがしようとしてくれていることを、しっかりと受け入れるつもりです。すみませんでした。もうああだこうだ言いません」


 田口の言葉は、保住の胸を締め付ける。やはり事実を開示したほうがいいのではないかと惑っているのだ。安齋の言葉が忘れられない。確かに自分の身に起きたことを知らなければ警戒のしようはない。


「銀太。安齋と一緒にいろ。おれがいいと言うまでだ」


「はい」


「すまない。今はそこまでだ」


 保住は持ってきた弁当を田口に差し出す。


「食べろ」


「保住さんのでは」


「おれはいい」


 彼は少々戸惑った瞳の色を見せるが、お弁当を見ると嬉しそうに笑った。


「保住さんの手料理なんて久しぶりです。嬉しいです」


「お前の作っていた肉じゃがだが」


「あ、あれは」


「おいしかった。腕を上げているな」


「え! 本当ですか」


 田口の笑顔を見ているだけで心が落ち着く。そばにいたいし、そばにいて欲しい。こんな状況は、早く打開せねばなるまい、と心に誓う。


「お前の誕生日。来週だな」


 保住の言葉に田口はこれでもかとはにかんだ笑みを見せる。


「誕生日なんていいんです。いつもいいことがないんだし。この弁当で十分です」


「お前は本当に……」


 お弁当の蓋を開けて嬉しそうに箸を持つ田口を、保住は頬杖をつきながら見つめた。




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