第9話 大型犬の処遇



 姿を表した吉岡は肩をすくめて見せた。


「保住の一大事。自分の仕事をしている場合ではありませんよ。それにあなたと同様、わたしにもなにかと耳打ちをしてくれる者がいるんですよ」


 澤井は「ふん」と鼻を鳴らした。そうこうしている内に、大堀から連絡が入ったかと思うと、佐々川が戻ってきた。彼の左手には包帯が巻かれていた。


「いやあ、お騒がせしましたね」


 彼の後ろには、いつの間にか人事課の根津という職員がついていた。庁内の揉め事と言えば彼らの出番ということなのだろうか。澤井は佐々川に声をかけた。


「どんな具合だ」


「三針縫ってもらいました。大したものではありません」


「佐々川課長。本当に申し訳ありません」


「保住がやったわけではないじゃないか。お前が謝罪する必要はないよ」


 彼は力なく笑う。言葉とは裏腹に相当な衝撃を受けているのは明らかだった。


「ともかく今日は解散だ。週明けの朝一で、吉岡、佐々川、保住——それから」


「人事課の根津です」


 澤井は「根津」の名前に幾分か反応したものの、言葉を続けた。


「根津。お前たちは朝一で副市長室へ来い。今後のことを考える。今日はもう時間も遅い。それから安齋。お前は今日から田口担当だ。しっかりな」


 澤井はそれだけを言い残すと、天沼を連れて立ち去った。佐々川は根津と一緒に帰宅。吉岡も姿を消した。残された保住と安齋、そして大堀は現場を写真に収めてから片付けをした。


 週明け、田口が来ても気取られないようにと念入りにだ。


「お前たちは昨晩は何時に帰った?」


 昨日は、出張を控えているということもあり、保住は田口と早々に退勤していたのだった。


「おれたちは十一時には出ました。今朝は土曜日なので、いつもよりは幾分か遅く、九時に出勤しました」


 安齋の答えを受けて大堀も頷いた。


「退勤は安齋と一緒でした。朝はやはり八時半です」


「変わった様子はなかったのだろう?」


「ええ。なにも変わりませんね」


「夜もいつも通りですよ。おれたち以外にも残業をしているメンバーはいつもと変わりませんでしたよ」


 安齋はそこまで言ってから、考え込んでいる保住を見る。


「室長。まさか、このフロアに犯人がいると言いたげですね。もしかしておれたちを?」


「違う。お前たちのことは信頼している。例え同期を蹴落とそうとする意図で田口を狙ったとしても、こんな姑息な真似はしないだろう?」


 ——そうだ。姑息な真似だ。中学生のいじめみたいなものだ。自分は姿を現さず、本当に小さい、だが精神的に傷を負わせるには最適な仕掛け。


「陰湿な男に違いない」


 保住の意見に二人も賛同した。


「子どもじみていますよ」


「ですが、とても意味深ですよ。推進室への挑戦なら、市長への挑戦とも受け取られかねない事です。職員でこんなことする輩がいるのでしょうか?」


「いるのだろう? だから起きた」


 到底、普通では考えられないことが起きたのだ。通りいっぺんの考えでは犯人には辿りつかないのではないかと思われた。


「おれたちが退勤してから、今朝大堀が出勤するまでの時間で、ここに入れる者と言ったら職員しかいないのだ。だがしかし。職員と言っても本庁に勤務しているのは千人以上だ。その中から犯人を絞るのは容易いことではない。それが田口個人への恨みではなかった場合は、もうお手上げだろう」


「また仕掛けてくるのでしょうか?」


「必ず来るだろうな。なにせ予定通りの効果が得られなかった。佐々川さんが被害に遭ってしまったのだからな。安易にできる所業ではないが、こうして実行してくる輩だ。悪戯と言うには悪趣味すぎる。これで終わりとは考えにくいな」


 保住は二人を見つめた。


「お前たちも重々注意しろ」


「田口に言わなくていいんですか」


 言いにくそうに口を開く大堀。保住は首を横に振った。


「あいつには知られたくないんだ。すまない。過保護かも知れないが」


 静まり返った推進室だが、安齋が立ち上がった。


「では室長。参りましょう。大型犬を迎えに行かなくては」


「すまない」


 保住はそう何度もつぶやいて、安齋と共に庁舎を後にした。







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