第17話 こうなる運命
「おはようございます! いやあ、イベント日和ですねえ」
翌日。イベント会場へ荷物を運ぶために本庁に集合した一同。元気いっぱいなのは、大堀だけだった。安齋は不機嫌の塊みたいな顔だし、保住は心労と寝不足で目の下にくまができている。
昨日の件は、さすがに田口も疲弊したようだ。嬉しい反面、かなり神経をすり減らしたからだ。そして、それに輪をかけて今朝の騒動だ。
自分たちが出勤をする間際、今日も面倒をみてくれることになっていた保住の母親とみのりがやってきたのだが、田口の両親が突然に頭を下げたのだった。
しかも自分のことを「不束な息子だ」とか、「息子さんを嫁にください」とか、訳のわからないことを言ったのだ。田口の両親も気が動転していたのだろう。梅沢にまでやってくる機会はそうないせいで、焦っていたのだ。
きっと昨晩「明日はきちんと挨拶をしよう」という話になったに違いない。
しかし二人の関係を嗅ぎ取っていたのは、田口家だけではなかったようだ。保住の母親は、驚くどころか頭を下げて両家でのご挨拶にまで発展した。
当然、そんな両家の騒ぎに、当の本人たちは呆然とするしかない。みのりには「おめでとう。お兄ちゃん」とにこやかに握手を求められて狼狽えていた保住の姿はまるで昨夜の自分だ。
——両家公認って。いい年になって、それってどうなの?
心の中には、複雑な思いが渦巻いているということは言うまでもないが、二人の関係は更に一歩前に進んだと言ってもいいのだろうか。
田口は疲れ切っている保住を見つめると、「同感だ」とばかりに頷いた。
「すみませんでした」
最後の荷物を積み終えて、安齋や大堀を車で待たせ、自分はデスクに座っている保住を呼びに足を運ぶ。彼は別件の書類を作っているところだったが、手を止めて田口を見上げた。
「銀太。これでよかったのだろうか——?」
「わかりません」
「おれもわからないな」
——ただ。
「ですが」
田口は、まっすぐに保住を見据える。
「今回、話をしなかったとしても、きっと。おれはいつか、両親にきちんと話をしたかったです」
——そう。次の機会には必ず口にしていたに違いないのだ。それを母さんが背中を押してくれたのだ。
田口の言葉に、保住は苦笑した。
「本当に、お前には適わないな」
「そうでしょうか?」
「そうだ」
パソコンの電源を落とし、保住は席を立つ。
「おれは、お前に出会うべくして出会ったらしい」
「保住さん?」
「そうだろう? 銀太」
保住の言葉の意味はわからない。だが、なんだか嬉しい気持ちになって、田口は保住の後をついていった。
——そうだ。おれたちはこうなる運命だったんだ。
***
商工会議所が主催の夏祭りフェスタ。街中にある広場には、所狭しとテントが張られ、食べ物や手作り商品の店が立ち並ぶ。その狭間に小さくぽつんと設けられた場所が、市制100周年記念事業推進室のブースだ。準備を重ねている最中で、大したものは提供できないが、のぼりの初お披露目だったり、保住が強引に進めてきたおかげで間に合ったゆずりんグッズが並んだ。
大堀の作った『市制100周年記念限定ゆずりん先行販売所』という看板が妙に目立つ。テント張りを終え、各ブースの担当者が準備を始める。開始は十一時。それまでに終えないと客がやってくる。どこも騒然としていて、ハチの巣をつついたかの如く大騒ぎだった。
「交代で周囲を見てきましょうか?」
田口の提案に、大堀は賛成する。
「係長、本部にご挨拶もあるし、行きましょうよ」
「そうだな」
「いってらっしゃい」
田口は、朝から不機嫌極まりない安齋の面倒を見たほうがいいような気がして、保住と大堀を送り出す。安齋は黙々とレイアウトをいじったりしていたが、保住たちがいなくなると大きくため息を吐いて椅子に座った。
「珍しいな。不機嫌さを隠しきれないなんて」
田口は声をかける。半年近く一緒に仕事をしていて、安齋に対してだけは遠慮も配慮もいらないと学んだ。むしろ単刀直入に話をしたほうがいいタイプだと理解したので、直球で声をかけたのだ。
「すまないな。お前たちのことではないのだが。持て余している」
まっすぐに声をかけると、相手も偽らない。それが安齋だ。
「なにかあったのか? 昨日はそんなことなかったが」
なんだかんだ言っても、彼が相談できる相手はそうそういないのだろう。保住にちょっかいを出して、嫌な奴だと思っているのだが。飾り気のない安齋は、素直で話がしやすい男であるということも理解していた。そして安齋もまた、同じ気持ちなのかも知れなかった。安齋の隣のパイプ椅子に腰を下ろすと、彼は口を開いた。
「少しずつ事業が進んでいくのは嬉しい。だが、やはり緊張感が高まるものだな」
「お前らしくもないじゃないか。武者震いでもしているのか」
「そうからかうなよ。おれは、
安斎は両手を上げて「降参」のポーズを取った。田口は思わず笑みを見せた。
「安齋も人間だってことだろう?」
「お前はあのオペラ事業も乗り越えてきたんだもんな。こんなちっぽけな事業はお手物もだろう?」
「そうでもないよ」
——そうだ。そうでもない。
「いつだっておれは緊張している。だけど室長が『大丈夫だ』って言ってくれる。そしてそばにいてくれる。それだけで心強いし。どんなことでもやって退けられる気がする。それだけの話だ」
田口の言葉に、安齋は苦笑した。
「おのろけかよ」
「いや、いやいや。そうではなくてだな——」
頬を赤くして、訂正しようと口を開いたが、どうにもうまい言葉が出てこない。結局は、ただ黙りこむしかないのだ。
「偵察」なんていうのは名ばかりだ。保住と大堀は露店の前で立ち止まり、店の主人と談笑している姿が見受けられる。祭りという場所が好きな男だ。彼の横顔を眺めているだけで、田口はほっとしてしまうのだった。
安斎は田口の横でじっとしていたが、「考え過ぎもよくないな」と明るい声色で言い切った。
「安齋」
「おれはなにかと神経質なのかも知れないな。お前みたいに室長にドンと任せて、大船に乗った気持ちでいればいいのだろう? 考え過ぎなんだろうな。きっと」
「いや。安齋の気持ちのほうが普通かも知れないよ」
「いや。おれだけだ。そんな小さいことにこだわっているのは……。あの大堀だって、この事業を楽しんでいるではないか。なんだか悔しいな。結局はこの部署で一番劣っているのはおれだな」
「だから。お前はすぐ優劣をつけたがる」
「男だ。仕方あるまい。横並びで仲良しこよしなんて女がすることだ」
——まあ確かに一理あるよね。おれだって。保住さんの一番になりたい。安齋や大堀よりも。
そんなことを考えていると、保住と大堀が戻って来た。
「美味しそうなのあったよ~。田口と安齋も見てきなよ」
「フルーツ飴があったぞ」
さっきまでの疲れはどこへやらだ。保住は大好きなフルーツ飴を見つけて、目を輝かせている。
「後で買いに行きましょうか」
「絶対だぞ! 約束だからな」
それだけの会話なのに。大堀と安齋は目を合わせて微笑した。
「本当、見せつけてくれちゃって」
「職務中ですが」
田口は少々恥ずかしい気持ちになって口を閉ざすが、保住は全く違う意味に捉えたらしい。むっとして怒り出した。
「なにがいけないのだ? フルーツ飴は別だ。休憩時間に購入するのだ。文句はあるまい!」
一人怒っている彼を眺めながら、「小学生かよ」と突っ込みを入れる大堀の言葉がまた、笑いを誘った。
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