第18話 残暑のバケーション
イベントは大盛況であった。夕方——盆踊りが始まる頃。浴衣を身に着けた市民たちが続々とやってくる。こうして一日中、イベントに付き合っていると、人の出入りが激しいことがよくわかる。前職である文化課時代は、限られた人を対象にしていた。幅広い対象者がやってくるイベントというものは面白いものであると田口は思った。
市制100周年記念事業のブースは、食べ物や手作り物販から比べると、面白味もないものだ。そう人が来ることはないだろうと高をくくっていた。ところがゆずりんグッズの販売が思った以上に好評で、たくさんの人が立ち寄ってくれた。
地味にゆずりんファンは増えているようで、ゆずりんグッズと書かれている看板に惹かれて集まって来る。しかも
「かわいい~。こんなの欲しかったんだよね~」
ゆずりんは女性たちに人気が高いようだ。足を止めるのは、女子高生や若い女性ばかりだった。そしてそんな一団が来ると決まって声をかけるのは保住だ。どうやら、同じ「好き」を共有できる相手だと、興味がそそられるらしいのだ。
「そうだろう。これはおれの一番のお気に入りだ」
「え~。お兄さんが作ったんですか?」
「そうそう。ファンだからね」
「わ~。お友達になりたい」
「そうか? ゆずりんのファンなら、おれも話がしたい」
「嬉しい!」
初老の男性にパンフレットを用いて市制100周年記念事業についての説明を行っていた田口は気が気ではない。女子高校生たちに囲まれてにこやかに笑みを見せている保住を横目に、目の前の男性への説明を続けていると、ふと安齋に肘で突かれた。
「失礼いたします。続きは私が。代わらせていただきます」
安齋の営業スマイはよくできている。彼の笑顔を前にして「嫌だ」という人間はそういないだろう。唐突に訪れた安斎に背中を押されて、場所を退かされる。振り返ってみると、「早く行けよ」という視線とぶつかった。
——安齋が気を使ってくれたのか。
田口は女子高校生に囲まれている保住の元へと足を運んだ。
「室長。少しよろしいでしょうか。主催者がお話があるようです」
「そうか。……すまない。行かなければない」
「え~、つまらないの」
「悪いな。またの機会に」
保住は女子高生たちに頭を下げてから、田口のところに寄って来た。
「一体どういうことなんだ」
「なんでもありませんよ」
「は? なんだと? これからゆずりんの話で盛り上がるところだったのに……っ」
不満気に怒り出す保住の腕を掴まえると、そんな言葉は無視をして大堀に声をかける。
「少し休憩に入る」
「あ、うん。いってらっしゃい。フルーツ飴買ってきてくださいね」
大堀は険悪になっている二人の関係なんて知る由もないくらい忙しそうだ。きっと上の空だろうと田口は思いながらも、混み合っている人込みを縫って歩みを進める。
「銀太!」
後ろで不満気な声を上げる保住をそのままに、この雑踏を歩くさまが懐かしく感じられた。
——ああ、そうか。
田口は目を細めた。出会った年に稲荷神社の祭りに行ったことを思い出したのだ。結局はあれ以来、仕事ばかりに明け暮れて、二人でデートなどしたためしもない。その時のことを、自分は思い出しているのだな、と自覚したのだ。
あの時。まさか自分たちが今のような関係性にまで発展しているだなんて思いもよらなかった。あの時も保住は小学生みたいにはしゃいでいたのだった。
——あれから色々なことがあった。いつもおれは振り回されっぱなしだ。だけどいいんだ。だって大好きだから。女子高校生になんて嫉妬しても仕方がないはずなのに。それでも嫉妬しないではいられない。安齋は自分を小さな男だと言うけど、おれだってそうだ。保住さんのことになると、本当にちっぽけな人間だ。
「銀太!」
返答をしない田口を
——こんな顔をさせられるのもおれだけだ。保住さんがおれ以外の人間と楽しそうに話しているなんて許したくない。おれだけのものになって欲しい。ふらふらと心が彷徨うことなく、おれだけに繋ぎ留めておきたいんだから。
「いらっしゃい」
田口は保住への想いを胸に秘めたまま、目的地であるフルーツ飴の屋台の前に立つ。
「早く買わないと、売り切れちゃいますよ。葡萄飴」
「そうだったな」
——いちいち細かいことを彼に言い聞かせても、無駄な心配をかけるだけだ。気ままな猫みたいな人なのだから。
保住は不機嫌な様子を一遍させ、目をキラキラさせて、飴を物色し始める。
「やはり葡萄だが。秋祭ほど大きいものはないのだな」
「それはそうだよ。時期じゃないもの。今は、別の飴のほうがおいしいかな?」
店主は保住のコメントに返答をした。
「悩みどころだ」
「そんなに悩むなら、全部買えばいいじゃないですか」
保住は田口に視線を向ける。
「お前は大人買いをして、大人になった気分を味わいたいだけだろう」
全部買えばいいと言って、なぜ怒られるのがわからない。田口はきょとんとして保住を見るが、それに答えたのは露店の店主だった。
「わかってないね。お兄さん」
「こんなにある中から、たった唯一のものを選ぶという行為にロマンがあるのではないか」
「そうそう。そうだよ。お兄さん。世の中の女性みんな味見してみようって感覚はよくないね~」
「そんなつもりでは……」
そんな間にも、保住は睨めっこ。そして「これに決めた!」とキウイとバナナが交互に刺さっている大きい串を指さした。
「おお、兄さん、わかってるね。スペシャル版だぜ」
「これにする」
それから大堀にはメロン飴、安齋にはいちご飴、田口にはみかん飴を購入した保住は、ほくほく顔だ。
「おお。葡萄も美味しいが、やはりこれもなかなかだな」
ばりばりと飴をかじる音がおかしい。やっぱり小学生。飴を手に入れて、落ち着いた二人は並んで歩く。自分たち以外の周囲の人は浴衣姿ばかりだった。
「今度はプライベートで来てみたいものですね」
「盆踊りなど踊れるか」
「踊れないんですか?」
「おれの運動音痴は知っているだろう」
彼は悪びれもせず言い放つ。
「ダンスもダメ?」
「手足を思うように動かせないから運動ができないのだ。踊りやダンスも同様に決まっているだろう」
保住はそう言ってから、みかん飴を食べている田口を見上げてきた。
「すまなかったな」
「え? なんです?」
「いや。気を付けているのだ。そういうつもりもない。だが、お前には心配ばかりかける」
——あれ? さっきのこと? 気が付いていたの? 珍しい。
田口は苦笑する。
「別に。心の狭いおれですから。気にしないでください」
ふと触れ合った手と手。田口は保住の左手の指輪に触れる。
「保住さん」
「おれといたら心労ばかりだ。本当にいいのだろうか」
視線を伏せる保住の横顔を見ていると、田口は心が熱くなる。
今日は昼頃、両親が帰ると挨拶をしていった。なんだか家族が恋しいのは気のせいではない。ただ自分の隣には彼がいる。それだけで田口の心は満たされるのだった。
「構いません。そう約束したじゃないですか」
保住は触れてきた手を握り返してくれた。保住の冷たい手の感触にじんわりと嬉しさがこみあげてくる。
「ずっと一緒です。ずっと——」
「そうか。……ありがとう。銀太」
もう夏は終わりを告げる。田口は思った。こうして二人で時を重ねていく。澤井に言われた言葉を思い出した。澤井は自分の知らない保住を知っている。しかしこれからの保住を知るのは自分だけだ。そんなことを実感すると心が温かくなった。
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