第16話 幸せな時間




「ごめんなさいね。田口家ってこうなのよね」


 田口の母親は、朗かに笑みを浮かべた。彼女は太陽のように明るい。田口家のムードメーカーともいえる存在感である。保住と並ぶと、倍以上ある横幅に圧倒されずにはいられなかった。


「いえ。大変、団結力のある素晴らしいご家族ですね」


「そんな田口家の一員に、あなたはなってくれるのかしら?」


「——本当におれでいいのでしょうか? 悩んでいるのです。おれのせいで銀太は、全うな道を歩けなくなった。本当にそればかりが気がかりです」


 彼女はそんな保住の危惧を理解してくれているのだろうか。満面の笑み見せた。


「それはお互い様でしょう? どちらがどうどか、どうでもいい話ですよ。私はいいと思いますよ。保住さんがご迷惑でなければの話ですけどね」


「それは——。こちらこそ光栄です。あんな優秀な男が、おれを支えてくれるというのです。今まで生きてきて、こんな嬉しいことはありません」


 保住の言葉に彼女は、両手を合わせて笑顔を見せる。


「まあ、嬉しい!」


 そして保住を見つめた。


「あなたが雪割にやってきた後。なんだか銀太の、あなたへの態度が腑に落ちなくてね。随分と悩みましたよ」


「え?」


 初めて田口家に行ったのはもう何年も前のことである。あの時、保住と田口はなんてことない、友達でもない、ただの上司と部下だったはずだ。しかし田口の母親は、すでにその時に田口の気持ちを汲み取っていたということなのだ。保住は驚いた。


 ——いや。もしかしたら、おれだけが気が付かなかっただけで、すでにその時から銀太はおれに思いを寄せてくれていたということか?


「一人で悩んでいたらね。お父さんも同じことで悩んでいたのよ」


 彼女はニコニコっと続ける。


「あの子の親ですもの。とっても大事にしている人だということは、一目見ればわかりますよ。それになにより、あの子があんなに家族以外の人に心を動かしているのは初めて見たんですから。本気であなたが、女の子だったらどんなにいいだろうってお父さんとよく話したものです」


「すみません。——男で」


「そう言う意味じゃないのよ。いいの。いいの。男性のあなただからこそ、あの子は好きになったんでしょうね」


 ——そうなのだろうか。


「何年かかけて。わたしたちも答えは出しました。色々と面白い形かもしれないけど、私たちはあなたを家族として迎えたいと思っています」


「はい。ありがとうございま……って、少し待ってください。お母さん」


 ——家族に迎えいれるとは、どういう意味だ?


「年に何度かは必ず顔を出してね」


「は、はあ……」


 ——やっぱり、変だ。なにかが変だ。田口家が変なのか。自分たちが変なのか。


 保住は目が白黒だ。保住家もなかなかだが、田口家は更に上手だったようだ——。



***



「疲れた……」


 時計の針は深夜の零時を回っていた。あれから沢山飲まされて、いじられて……日頃の忙しさからの疲労も手伝って、保住は限界を超えていた。部屋に戻ると、彼はベッドに倒れ込んだ。


「すみません。本当にすみませんでした」


「銀太のせいではあるまい……しかし、お前の家族は過激だな」


「——すみません」


 近くにあった枕を引っ張って瞼を閉じる。うっかりすると眠ってしまうだろう。なんて長い一日だったのだろうか。


「保住さん」


 うつ伏せに寝ている彼の背後から伸びる腕は熱い。彼も相当酔っているに違いなかった。田口にとったら、一番危惧されることが解消されたのだ。最高の夜になったに違いないのだろう。


 田口の熱い手が頭を撫でる感触は心底安心した。気を許すと、すぐにでも眠りの淵に引きずり込まれそうだった。田口は「ラブラブ温泉旅行」を期待していたのだろが、そういう甘いものは次へのお預けだ。


「保住さん——」


「突然はなしだぞ……銀太……」


 こんなこと心臓がいくつあっても足りない。生きた心地がしなかったのだ。だが嬉しい気持ちで満たされた。自分が職場で彼との関係性を言い切った時、田口は心底嬉しそうな顔をしていた。今となったらよく理解できる。


 ——おれは嬉しいのだ。


 田口が自分との関係性を家族に報告したことが……。保住はそんな幸せに浸りながら、真っ暗な眠りの奥底に落ち込んでいった。


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