第14話 変ちくりんな昭和の遺物でも決断します。
宴会場の一つを貸し切っての夕飯は、騒々しいの一言に尽きた。保住に気を遣うため、頭が痛くなってくるが、この賑やかさが元来の田口家である。大人たちは酒を片手にのんびりと談笑をする。
自らが小学生だと自負するだけのことはある。質問をしたり、感心したりと、真面目な顔で熱心に子供たちの相手をする保住の横顔を見ていると、仕事で重責を担うほどの人間には見えなかった。
「そんなはずなかろう」
「嘘じゃないし。裏技なんだよ。知らないの? 保住さん」
「知るわけないだろう。そんな裏技は反則だ。卑劣であろう!」
保住は本気で陽人に食ってかかっている。
——本当。困ったお人だ。
以前、飲み会で矢部というアニメヲタクの職員の話を熱心に聞いていたことを思い出す。保住という男は、目の前にある興味のあるものに対して、周囲の目も気にすることなく貪欲に食らいつく。彼の能力の高さは、そういう興味から生まれているということは、よく理解しているところなのだが——。子供相手にまでそれが発揮されるとは、呆れるしかない。
「あんだだち、なかなか遊びに来ないんだものね。一年に一回くらいは顔ださないと」
「ごめん。母さん」
「謝ることではないけど……」
田口は母親と二人、並んで座っていた。 彼女とゆっくり話をするのは久しぶりのことだ。昨年、お見合い騒動があった。あの時は、ほんの少しの邂逅だった。
「父さん。本当にあんだのこと心配しているんだからね。無理利くからって、仕事ばかりしてると体壊すんだって。三十も過ぎたんだろ。若い頃のつもりじゃダメなんだよ」
「わかっているって」
「それにお嫁さんだって。どうなっているんだか」
見合いの時。母親に言った言葉を思い出した。
『紹介できるかどうかは約束できないけど、きっと……いつか、おれの大切な人、紹介すっから』
母親はあの時の言葉をどう受け取ったのだろうか。
『あんだ、いい顔するようになったよ』
彼女はそう言って笑っていた。自分を生んだ女性だ。田口のことなど手に取るように理解しているのではないかと思うのだった。
「ずっと待っているんだよ。あんだが、ちゃんと私たちに紹介してくれるのを。大切な人、できたんでねぇかって、思ってるよ」
田口は困惑して、口ごもった。
「結婚って、したいって言えばできるもんでもないんだから。縁がないとだろう? そう簡単に言うけどさ」
「簡単なんだよ。そんなの」
母親はきっぱりと言い切った。
「付き合うのと家庭を持つことは違うんだけどよ。結婚するって身構えるから一歩がでねーんでないか。二人で歩んでいける人がいれば、どんな人だっていいんだし、二人で協力すれば、どんなことでも乗り越えられるんだ。銀太——。私たちは、あんだが選んだ人だったら、どんな人だっていいんだ。驚いたりなんかしないよ」
——どんな人だっていいの? 本気?
田口は保住を見つめる。
——「あの人だよ」って言ったら、どんな顔するんだろう? 気味が悪いと言われるのだろうか。「こんな子はうちの子ではない」と嫌悪されるのだろうか。そしてきっと。こんな形で保住を家族と引き合わせることができなくなるのではないか?
そんな風に考えてしまうと、やっぱり言えないのだ。田口は心が惑う。動悸がして、居てもたってもいられない気持ちになった。
「——一緒に歩んでいきたい人はいるんだ」
田口は、ぼそっと呟く。
「なんで紹介してくれないの」
「……それはできないよ」
「どうして? 怖いのかい?」
母親の目は真剣だ。田口はその視線を見返すことができない。思わず視線を伏せ、畳の目を視線で追った。
「ともかく。言えないんだ。——おれの心の整理がついていないんだ」
「銀太。それは一体いつになったら整理がつくの? あんだはそうは言うけど、相手の方にも失礼じゃないか。そんな中途半端な気持ちでいるのかい?」
——中途半端……それは最もだな。
こうして隠し立てをするということは、自分の気持ちが惑っている証拠だ。保住は大堀や安齋に、はっきりと言ってくれたのに。田口は家族に伝えることを躊躇しているのだ。なんだかもやもやとした気持ちが大きく膨らんだ。
——恥ずかしいことをしているわけでもないのに。どうして言えないのだろうか。
答えは決まり切っている。普通ではないということを自覚しているからだ。両親を、家族を、落胆させるのではないかと考えているのだ。
「係長さん——いいえ。保住さんは、本当にいい人だよね」
彼女は突然、保住の話題を取り上げた。
「え?」
「こんな変ちくりんな、昭和の遺物みたいなお前と付き合ってくれる人なんて、そうそういないと思うんだよね。いつも話しているよ。父さんと。あんだは保住さんがすごく好きだよねって」
「母さん……」
心臓が跳ね上がった。
——言ってもいい? ここで? 母さんたちはどこまでおれたちのことを勘づいているのだ?
どういう意味合いなのか、芽衣にも知れていた田口の気持ち。この両親たちが知らぬはずはないのだ。彼女は田口がここできちんと口に出すことを望んでいるのではないか——?
そんなことを考えると、口に出したい衝動にかられた。田口は改まった表情を見せ、それから母親をまっすぐに見据えた。
「母さんは、おれが保住さんを好きだって言ったらどうするの?」
田口は落第点を取ってきた子供のように、不安げに彼女の様子を伺っていたのだが……母親は豪快に笑った。
「なに言ってんだか! 怯えたような目をするんじゃないよ。まったく。この子は……。あんだが保住さんを大好きで大好きで仕方がないのはわかるよ。だから、なんだって言うの?」
——そんなものか。
当然の回答だ。田口は視線を逸らす。きっと母親は、好きの意味を取り違えているに違いないと思ったからだ。
「いや。いいんだ。——なんでもない」
母親は、そっと田口の肩に手を当てた。
「銀太。無理することないけどね。だけど言いたいことが決まったら、ちゃんと言いなさい。どんなことでも受け止めるつもりだよ。私たち、隠し事なしの家族じゃないか」
「母さん」
「あの父ちゃんの面倒みてんだよ? ちょっとやそっとのこと、驚かないんだって。ね?」
——いつかは言えるのだろうか。母親や、父親。兄家族。みんなに。言ったらどうなるのだろうか。もう実家には帰れなくなるのだろうか。
田口は膝の上に置かれた両手を握りしめた。
——この人たちは、紛れもなく自分の家族。そして大切な人たちなのだ。だから、本当は知ってもらいたいのに。怖くて言い出せないのに。やっぱり、隠し事はしたくないし、保住さんとのことを恥ずべきことだとは思いたくない。
——わかってもらえないかもしれないけど、わかってもらえるかもしれない。例え家族とうまくいかなくなったとしても、それでもおれは保住さんを選びたい。
田口は部屋の中にいる大切な家族たちを眺めてから、最愛の人に視線を向けた。
——保住さんが好きだ。世界中を敵に回しても、彼だけがいればいい。
そんな思いに突き動かされると、心臓の鼓動が耳元で大きく響いてきて、めまいがひどくなる。なんだか現実であって、現実ではないような——まるで白昼夢を見ているようだった。
——今を逃したら、もうこんな機会はないんだ……。
田口はこぶしを握り締めてから、顔を上げた。
「保住さん、ちょっといいですか?」
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