第12話 乙女の悩み
「芽依ちゃん」
芽依は「もう」と頬を膨らませる。根負けしたのだろう。田口がどんなに頑固か理解しているからだ。彼女は隠した雑誌を取り出した。それは、年頃の女性が眺めているようなファッション雑誌のようだった。彼女はこれを保住に見せてなにを求めているというのだろうか。田口には皆目見当もつかないことだった。
「進路のことじゃない?」
田口の問いに芽依は気恥ずかしそうに頬を赤く染めた。
「今度デートなの」
——そういうこと?
「だから、私にも一応、好きな人が出来たっていうかね。でもデートなんて初めてじゃない。どんな服装が男の人は好きなのかって知りたいんだけど。地元の男は田舎臭いし。じいちゃんやお父さんなんてもっとあてにならないし。だから——」
「だから」保住にそれを問うているということらしい。田口は内心呆れた。確かに、彼女から見たら、保住という男はちょっと都会の頭のいい年上男性に見えるのかも知れないが、内実は色恋沙汰には全く持って疎い男なのだから。かくいう自分も同類ではあるのだが。そもそもの相談相手を誤っているのではないかと、田口は思った。
そんなことを考えると、思わず笑わずにはいられないものだ。田口は思わず吹き出すと、芽依は「心外だ」とばかりにますます不機嫌そうな顔をした。
「ちょっと。笑うことはないでしょう?」
「だってさ。芽依ちゃん」
芽依の隣では「お前は失敬な男だ」と言わんばかりに保住はむっとした顔をしている。
「銀ちゃんの頭の中は、保住さんでいっぱいなんだから。あ、わかった。私が保住さんに秘密の相談をしているからやきもちを焼いたんじゃないの?」
田口は一瞬、どっきりとした。図星だからだ。正直に言ったら、芽依が保住を好いているのではないかと思った。女子高校生に嫉妬心を抱くなんて、大人の男として恥ずかしい限りではあるものの、止められないのだから仕方がない。
「芽依ちゃん」
嗜めるように彼女の名を呼ぶが、そんなことで怯む彼女ではない。
「銀ちゃんが、ちっとも雪割に帰ってこなくなったのは、保住さんがいるからだと思っていたよ」
「違うって。保住さんはおれの上司で」
「はいはい。上司ね」
意味深な発言ではあるが、核心を述べない芽依の物言いに、訂正を加えることは墓穴を掘りかねない。田口は狼狽えつつもじっとその場に座っていた。そんな田口の様子など気にも留めないのか、彼女は続ける。
「いいよ。わかるよ。わかる。銀ちゃんの保住さん好き好き光線はすごいもんね。仕事の上司さんだからってわけでもなさそうなんだけど」
「芽依ちゃん!」
田口はますます赤くなった。
「保住さん。銀ちゃんってこんな調子でしょう。こんなんじゃ、女の人に相手してもらえないと思うんです。だから、どうか銀ちゃんの面倒を見てあげてくださいね」
彼女はそういうと、深く頭を下げた。田口にしてみれば、なぜ彼女が保住に自分の件で頭を下げるのか理解が出来ない。言葉が出ないほど、思考が堂々巡りをし始めている田口を放っておいて、「いやいや。こちらこそ」と頭を下げる保住もおかしいものであった。
女子高校生という人種は到底理解が出来ない。まさに不思議な生き物であると田口は思った。
「あのねえ。芽依ちゃん。おれだって彼女がいたことくらいあるんだよ」
「え~。銀ちゃんに恋人がいたことなんてあるんだ」
「いつだ」
田口の「恋人いたことあります発言」に食らいついてきたのは、芽依だけではない。保住も興味津々のようすで身を乗り出した。
「高校三年生の時に、数か月と、大学の時に少し——」
「少し、とはなんだ」
芽依に質問されるよりも保住に尋ねられるほうが辛い。田口は言葉に詰まるしかない。
「彼女が出来た時って、なに? 銀ちゃんから告白したの?」
「それは——」
「銀太から愛を告げたのだろう」
「保住さん、銀ちゃんがすると思う?」
「するだろう。だって、今回だって——はっ」
保住の口を押えるが遅い。芽依はきゃーと黄色い声を張り上げた。
「今回って? 銀ちゃん、彼女できたの?」
「保住さん!」
田口は弱ってしまう。
「すまない……」
「もう! いつもは口が堅いのに、この件になると緩いんだから」
「そんなことは……」
「どういうこと? どこの誰? 結婚するの? 嘘でしょう? 私はてっきり保住さんと一緒にばっかりいるから、彼女なんていないのかと思っていたのに……」
芽依は、なんだかがっかりした顔をした。
——おれに彼女がいたらがっかりするってどういう意味だよ?
田口は内心、ショックを受けた。もうこの話を続けるのは得策ではないと思ったのだ。
「芽依ちゃん、その話はいいでしょう?」
「よくないでしょう? ちょっと。保住さんみたいな素敵な人がいながら、彼女いるって、銀ちゃん。私、ちょっと引くわ」
「はあ?」
軽蔑されるようなことをしていると思われるのは心外だが。芽依は保住を見る。
「保住さん。すみません。私、てっきり銀ちゃんは保住さんが好きだと思っていたから。がっかりさせてすみません」
「おいおい。なんで芽依ちゃんが謝る訳?」
芽依は心底、がっかりした顔だ。
「なんだか銀ちゃんのこと軽蔑しちゃうな……」
——なんでそうなる!?
「本当に銀ちゃんってデリカシーがないんだから!」
なぜ彼女がそれほどまでに怒るのか、田口には理解ができない。
「もういいや。お風呂入って来る」
彼女は暗い声色のまま、雑誌を抱えて部屋を出て行ってしまった。田口はぽかんとして、彼女を見送ることしかできなかった。
「姪っ子を落胆させるなんて。ひどいおじさんだ」
保住は肩を竦める。
「保住さんはなぜ、芽依ちゃんがあんなにがっかりしたのか、わかるんですか?」
「わかるわけなかろう。女子高校生なんて、空想の生き物くらい理解できるはずがない」
彼はそういうと、ベッドに体を預ける。その様子を眺めながら、田口は芽依のことを考えていた。
芽依には田口の気持ちを知られているのかも知れない。彼女は田口と保住の関係性を理解しているとでもいうのだろうか。
「まさかね」
田口はそう呟くと、保住のベッドに座りなおした。彼は疲弊しているようだ。目を閉じて、すっかり休む態勢だ。
「女子高生のパラレルワールドには着いていけない」
案の定、保住は大きくため息を吐いた。
「恋愛相談だったんですね。おれはてっきり進路の件かと」
「おれもそう思っていたのだが。二学期に好きな子とデートの約束をしているそうだ。男性の好みをリサーチしたかったようだが、おれの意見など意味もないことだろう? 弱っていたところだ。まあ、彼女の話を聞く分には楽しかったからな。そこまではよかったのだが——。今時の女子高校生は愉快だな。その生態をもっと観察してみたいものだ」
「保住さん。犯罪になりますし、勘違いされますよ」
「そうか。こんな中年男子など、眼中にもないだろう?」
「あの年ごろは、年上男子に惹かれるものです」
しかし、田口の気がかりは別な部分だった。芽衣の言葉だ。
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