第8話 ミッション滞りなく進行中。



 翌日の土曜日。予定通りみのりから、田口家御一行を預かったとメールが入って、保住はほっとした。昨晩は何度も田口のところにメールや電話が入っていた。保住が訳を尋ねると、田口から頭を下げられた。


「なんとか一緒に泊まってください!」


 なんでも田口の父親と芽衣めいからの頼みで、保住との時間が欲しいとのことだった。これは仕方がないことだ。田口の家族が梅沢市にやってきているのに、知らんぷりをするわけにもいかない。そもそも自分は、田口家には世話になりっぱなしなのだから……と思うと、断る理由など見当たらなかったのだ。


 それから田口が宿泊する部屋に、一人追加をしてもらうように依頼の電話を入れた。簡易ベッドでもよいならば、ということで、なんとか保住も泊めてもらえるようにすることができた。


 ——家族水入らずの時間だったのにな。


 耳もしっぽも垂れて、うるうるとした瞳ですがられると、さすがの保住も根負けしたというところだった。


 今日は土曜日だが、推進室はいつも通りの通常営業だ。目の前にいる大堀と安齋、そして田口は、明日の準備に右往左往している。


 明日の日曜日は、駅前の広場を利用して、商工会議所が主催で開催する夏祭りイベントだ。市役所の観光課も総力を挙げて手伝っている毎年恒例の大掛かりイベントだ。


 梅沢市内では、複数個所で夏祭りが開催されるのだが、八月末に開催されるこのイベントは夏の終わりを告げる恒例のもので、特に市民からは人気の高い企画だ。


 午前十時から夜の九時までの開催。夕方七時からは、花火の打ち上げと、盆踊りが開催される。お盆も過ぎていて、時期外れといればそうかも知れないが、本来の意味というよりも、イベント色が強い盆踊りだ。今時の市民にとったら、そんなことは気にするほどのことでもないのだろう。

 盆踊りのやぐらの周囲には、さまざまな露店が立ち並び、市制100周年記念事業推進室も、その一角にブースを出す予定だった。

 市民への啓発活動は最重要案件である。現在作成中のゆずりんグッズの人気投票や、缶バッチの先行販売会を予定している。

 のぼりは試作品であるが、初お披露目になるであろう。他の露店から比べると、真面目で面白味のないブースかもしれないが、少しでも「市制100周年が目前に迫ってきている」ということを市民にPRしていきたいところだ。


「持ち出しの物品の準備は、あらかたそろいました」


 田口の声に保住は顔を上げた。


「そうか」


「明日、借用予定の公用車に積んでしまいましょうか」


「それがいいな。おれも手伝う」


 保住が腰を上げると、大堀は首を横に振った。


「室長はいいです。おれたち三人で大丈夫です」


「しかし——」


「室長は座っていてください。大丈夫です」


 みんなに断られてしまうと、なんだか寂しい気持ちになった。のけ者になったみたいで面白くない。さしずめ、保住が関わると力仕事はろくなことにはならないと思っているのだろう。


 ——おれだってできるのに。


 荷物を運び始める三人を遠巻きに眺めることしかできないというのは少々、歯がゆいものだ。保住は仕方なく、背伸びをしてから席を立つ。今日は土曜日で出勤している職員は少ない。時折みのりからの報告メールが届く。


『滞りなく進行中。予定通り果物狩り会場を出て昼食会場へ向かう』


 ——なにかのミッションをこなすメールみたいだな。みのりは仕事でもこんなことしているのではあるまいな。


 そんなことを考えると兄として呆れてしまうが、ここまで完璧に接待をこなす能力には脱帽だ。


 ——順調ならよしとしよう。


 保住はそう思い、ふらりと廊下に出た。田口たちは休日出勤として取り扱っているが、保住の立場では休日出勤は人事から、かなり嫌がられる。サービス出勤とでもいうのだろうか? 

 半分、休みだという気持ちがあるおかげで気ままなものだ。ぷらぷらと庁内を見て歩く。いつもは時間に追われていてじっくりと見る暇もないが、よくよく見ると、本当にくたびれている建物だ。


 ——建て替え計画もどこまで進んでいることやら。下々しもじもには全く降りてこない話だな。


 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、角を曲がってきた男と鉢合わせになった。


「おっと」


 男の持っていた書類が床に散らかった。


「すみません」


 相手の男のほうが謝罪する。保住は屈みこんで、書類を拾い上げようとしたが、書類の名称を見てから、視線を背けた。


「すまない。——これは、部外者が見てよい書類ではないな」


「こちらこそ。申し訳ありません。失礼いたします」


 しかし拾う作業を中断するのもおかしい。視線をそむけながら、保住はそっと書類を裏返して拾い上げて男に手渡した。


「人事課か」


 書類を受け取った男と保住は、ほぼ同時に立ち上がる。


「はい。人事課人事係の根津ねづと申します」


 ——自己紹介まで求めていないが。


 保住は苦笑いをして「市制100周年記念事業推進室の保住だ」と答えた。

 根津は長身。長めの前髪を真ん中で分けて後ろに流している。保住よりは年上であろうか? 休日なのに、かっちりとしたスーツを身に着けているということは、根がかなり真面目な男なのだということが理解できた。



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