第4話 田口家御一行様接待企画書(案)



 そして金曜日。田口一家がやってくる日になった。保住は素知らぬフリをしているものの、その実、心穏やかではない。田口が緊張していることがひしひしと伝わってくるためだ。

 寝不足気味の頭は重い。こめかみを抑えながら職場に足を運び、パソコンを開くと、みのりからメールが入っていた。田口家の接待の件に違いない。

 やはり、母親とみのりに依頼したのは正解だったようだ。なにせノープランで田口家の面々を迎え入れるということは、不安以外の何物でもない。


 椅子に腰を下ろし、そのメールを開いて中身を確認しようとしたのだが……保住は飲みかけのコーヒーを、思わず吹き出した。


「大丈夫ですか? 室長」


 田口は慌てて駆け寄ってきて、こぼれたコーヒーを拭いた。今日の会議で使用することになっていた書類には、見事にコーヒーのシミが浮かんでいる。苦笑するしかなかった。


「——すまない」


「大丈夫ですか? 室長」


「火傷しませんでしたか?」


 すでに出勤していた他三名は心配気に保住を見ていた。まさか私用のメールを見ていた、などと言うわけにもいかない。保住は首を横に振った。


「いや。悪い。なんでもない。変なメールが届いていたものだから」


「変なメールですか? なんでしょう」


「いやいや。スパムだろう」


「見たいです!」


 パソコンヲタクの大堀がそういうネタが好きだということを失念していた。無駄に食らいついてくる様子を見て、「しまった」と思った保住は、慌てて言い訳をした。


「悪い。消した」


「ゴミ箱にあるじゃないですか。ウイルス仕込まれていたら大変ですよ。おれに見せてください」


「いやいや。——おい! 大堀。お前はまた。仕事したくないだけだろう? ちゃんと仕事しろ。今週末の準備はどうなっている?」


 保住は嘘をごまかすために、わざと大堀を突いてみる。案の定、彼は首を竦めて「は~い」と返事をすると仕事に戻った。


 ——こういう時、大堀という男が単純でよかった。パソコンの件だと、いつもは鋭い安齋も無関心なことも幸いだ。


 いつもは平静を装ている保住だが、田口家がやってくるというイベントに浮足立っているには違いないのだ。

 保住は素知らぬふりをしながら、みのりから添付されてきた書類をプリントアウトして、田口に手渡した。


「田口。企画書だ。目を通しておけ。問題がある場合は書き込んで持ってこい」


「承知しました」


 田口は「なんの企画書?」と首を傾げながら視線を落としたが、今度は彼が吹き出す番らしい。口元を押さえて、肩を震わせている。


「なあに? 今度は田口?」


 異変を察知した大堀は目を瞬かせる。田口は口元を抑えて、手を振った。


「いや。なんでもない。喉の調子が悪いのだろう。風邪だろうか……」


「風邪はよくないよね。夏風邪って長引くもんね」


 仕事に戻る大堀を確認してから、田口は保住に視線を向けてきた。『これ、ないですよね?』と目で訴えているようだ。


 保住はみのりから届いた書類の文面をもう一度見返した。やはり、みのりは保住の妹だ。いい加減そうに見えて、真面目な人間なのだ。

 添付されてきたワードの書類は、硬い明朝体で書かれた企画書だった。タイトルは『田口家御一行様接待企画書(案)』となっていて、目的まで書かれていたのだ。


『目的その一。田口家御一行様に梅沢のよさを知ってもらい、好きになってもらう。

 目的その二。楽しい時間を過ごしていただき、充実した旅行にしてもらう。

 目的その三。保住家の心象を良くし、お兄ちゃんと田口さんの関係が良好に保てる』


 ——これは、半分おふざけなのか? それとも真面目なのだろうか? 突っ込んでもいいものだろうか?


 何度眺めても笑いがこみ上げてくる。田口も同様らしい。彼はそっと、ほかの書類の下にそれを挟んでから、保住を見返した。


「あの、室長」


「どうだ」


「あの。もう少し時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「お前のその気持ちは十分理解できるが、時間的余裕がない。早急に精査して欲しいのだが」


「申し訳ありません。それでは、一つ、別件を片付けてきます」


彼はそう言うと、みのりの企画書を携えて立ち上がり、部署から離れた。


「ここでは笑いを堪えるのが精一杯で、精査なんてできるはずがありませんよ!」と田口は訴えているようだった。




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