第26話 大堀くんの憂鬱2



 保住のカミングアウトは、市制100周年記念事業推進室にとったら大そうな騒動だった。大堀は数日撃沈していた。なにせ、保住と田口が付き合っているという事実だけで困惑してしまうというのに……安齋まで男性と付き合っているというのだ。大堀からしたら、それは到底受け入れられないことだと思われた。


 しかしあの後。田口は笑顔で顔を出した。そして、大堀に付き添ってもらったことなどの謝辞を述べた。大堀からしたら、どう対応したものかと内心困惑していたのだが、いつもと変わりのない田口に肩透かしを食らった形だ。


 田口だけではない。保住も同様だった。あんな爆弾発言をしたというのに、彼はいつも通りに仕事をして、自分たちと関わる。田口と付き合っているという色眼鏡で見ても、他の職員と田口とを同等に扱っているということが理解できたのだ。


 ——プライベートと仕事を別物にできるって、ある意味すごい能力だよな。


 大堀はそこに感心した。保住をよくよく観察してみると、田口だけを特別扱いはしていないということだ。


「田口、これ」


 保住の声に田口は立ち上がる。書類の返しのようだ。


「ここ。何度も言うが、こういう書き方はしない」


「すみません」


「ここも。誤字があるなんて添削以前の問題だろう」


「すみません」


「ともかく、全部やり直し!」


「すみません」


 田口は怒られているというのに、ニコニコとしている。なんだか憎たらしいと大堀は思った。あの時、本気で心配をした自分はバカみたいだ。 大堀は、ボールペンを握りながら大きくため息を吐いた。


「なんなんだよ。一体……」


 ぶつぶつと文句を言っている大堀の横で、その様子を見ていたのだろうか。安齋は余裕の笑みを浮かべて声をかけてきた。


「おいおい。そうカリカリすると、田口みたいに腹を壊すぞ」


「うるさいな! もう、本気で安齋なんて」 


「嫌いで結構だな」


「むうう……」


 なんだか自分だけ仲間外れになった気持ちになるが、それに加わりたくはないという思いもある。


 指導が終わったのか、保住はニコニコとしている田口に不満を漏らした。


「——以上だ。真面目にやれ。田口」


「すみません。真面目なつもりです」


 ——どこがだよ!


 大堀も心の中でツッコミを入れた。保住も同じ気持ちなのだろう。呆れた顔をしてため息を吐いた。


「真面目に見えないな」


 保住はため息を吐いてから、ふと大堀に視線を向けた。じっと凝視していたことに気が付かれたと思うと恥ずかしい。大堀は少し気恥ずかしい気持ちのまま保住を見つめた。大堀の気持ちに気が付つくはずもない保住は、真面目な顔で大堀の瞳を覗き込むと、怪訝そうな顔をした。


「おい。大丈夫か?」


 ——大丈夫ってなにが!?


「大丈夫じゃありませんよ! 室長」


 彼は「ふむ」と頷くと「そうか。頑張れ」とだけ言ってパソコンに視線を戻してしまった。


 ——ええ!? もっと心配してくれてもいいじゃない!


「酷いです! おれにも優しくしてください。好きになってくれるって言ったじゃないですか」


 もう大堀は泣きそうだ。必死に抗議の言葉を上げる。しかしそれを見て、保住は首を傾げたるばかりだ。彼に大堀の意図が伝わるということは一生ないかも知れないと思えるほど、伝わっていないのだ。


「大堀。おれはお前のことも好きだぞ」


 保住は、じっと真面目な顔でそう言い放った。あまり感情の乗らないその言葉は冷たい。大堀はますます疎外感を覚えるしかなかった。


「どうした? なにか悪いことをしただろうか?」


 結局は収まるどころか、余計に大騒ぎになっています。大堀の反応の意味がわからないのだろう。保住は困惑した表情を見せ、それから田口を見た。田口に助けを求めようとしたのだろうが、あいにく彼は仕事に夢中だ。大堀の騒ぎなど眼中にもない様子で、パソコンをパチパチと打っている。「仕方ない」とその騒ぎを見兼ねた安齋が口を挟んだ。


「室長は乙女心を理解しなさすぎですよ」


「乙女なのか? 大堀が?」


「言葉の揶揄です」


「揶揄の意味がわからん」


 四月から始まってそう時間が経過していないというのに、色々なことがありすぎて、大堀は頭がパンクしそうだった。


 ——こんなところ、来るんじゃなかった! どこが出世コースだよ!


 後悔しかない。こんなことなら、元の部署で静かに仕事を続けられるほうがよかったのだ——。








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