第27話 お前は一人じゃない
「胃の調子はどうだ?」
外勤で
「ああ。大丈夫だ。薬は飲んでいるが、そう悪くはない」
「ストレスだろう?」
保住との絆を確固たるものしたことで、田口の体調は落ち着いていたが、安齋とのことは片付いてはいないのだ。保住はカミングアウトしたと言うが、田口は、その件について安齋や大堀と直接話をしていない。
大堀が一人で狼狽えているところを見ると、かなりショックを受けたということは想像に硬くない。だが、安齋はどう思っているのだろうか? しかもあの夜のこと。保住は「大丈夫だ」と話していたが、真相は闇の中である。
自分が体調を崩した大きな要因を作った男から心配されるとは不本意。安齋からの意図的としか言いようのない嫌がらせに思えてくる。田口はむっとした表情を見せるが、安齋は気にしてはいないのか、田口に対して、こうして軽口を叩いてくるのだった。
「室長から聞いたぞ。お前と付き合っているとな」
「そうか」
彼は愉快そうに口元を上げた。
「お前さ。おれが室長との関係性を尋ねた時は『友達』と言ったな」
「あれは……。ああ答えるしかないじゃないか。恋人だなんで言えるか」
「それはそうだろうな。だからおれは、敢えて聞いたんじゃないか」
安齋の答えに田口は、ルームミラー越しに安齋を見つめた。安齋はずっと以前から気がついていたのだろう。保住と田口の関係性を。彼の質問に右往左往している田口を見て面白がっていたのだと思うと腹が立った。
「今回の
安齋は賢い。田口が黙り込んだその意図に気が付いているはずなのに、知らんぷりをして話を続けた。
「あの晩。室長を赤ちょうちんに連れ出して酔わせた。あの人は酔うと眠くなるし、記憶を失うことを知っていたからだ。最初は当たり障りのない事をぶつけて、それから本題だ」
田口は安齋の話に、心底呆れた。安齋は相当策略を巡らせていたということだ。保住のような用心深い男でも、部下となればそのガードは緩む。それを知ってのことだ。
——
田口は眼光鋭く安齋を見返した。
「結論から言うと、室長はお前とのことは口を割らなかった。いくら突いてもはぐらかす。お前とのことは無意識下においても話さないようだ。安心しろ」
「お前に保証されてもな」
「だな。——で、次の問題。これがお前にとったら一番聞きたいんだろ? おれと室長が過ちを犯してないからということだ」
「それは、保住さんはないと言っていた」
安齋は意地悪な笑みを崩さない。
「まあな。男ならわかるだろう? 昨晩のことなど。だが、味見はさせてもらった」
彼の言葉に田口はカッとした。安齋という男に対して、初めて本気で憤りを覚えたのだ。だが運転をしていて、それを投げ出すことはできない。じっと気持ちを押し殺して目の前を凝視するしかなかった。
「味見って——」
「キスだ。そのくらいよかろう。お前は毎晩味わっているのだろう? 一度ぐらい許せ。大丈夫だ。おれにはおれの大切なものがある」
「お前な。その大切なものに悪いと思わないのか?」
「思わないな。別に室長に心を移したわけではない。単純に興味があっただけだ。どんな味がするのか。浮気でもなんでもないだろ? お前もそう怒るな。おれはお前とはうまくやっていきたい。お前はなかなか面白い奴だ。別にこれ以上手を出そうとは思わない。お前たちのことも明るみになったしな」
車は星音堂に到着する。田口は車を駐車させてから、外に降りた。そして助手席から降りてきた安齋のネクタイを掴み上げて車に押し付けた。
「おいおい。喧嘩でもする気かよ」
「お前の出方しだいではな」
田口は大きく息を吐いてから、安齋を睨みつけた。
「今後、同じようなことをしたら、お前でも許さないからな」
「怖い顔するなよ」
「当たり前だ。お前だって、自分のものに手を出されたら、黙ってはいないだろう」
田口の射すくめるような視線に安齋は「ふ」と笑い出した。田口は彼の反応に目を瞬かせて手の力を緩めた。
「安齋……?」
彼は田口を見据える。その瞳は獣そのものだ。一瞬、田口でも怯むくらいの、殺気を含んだような視線だった。
「当然だ。おれの物は誰にも渡さない。手を出す輩は半殺しだ」
「お前な……」
田口は呆れた。保住には手を出しておいて、自分のものには手を出させないとは。身勝手にも程がある。しかし、だからといって田口は、彼の恋人には興味がない。
田口はあくまで保住だけなのだ。男がいいとかの問題ではない。保住がいいのだから——。
「お前、イカれているぞ」
「当然だ。どうせ元々壊れている人間だ。不具合が出るのは仕方がない」
「どういう意味だよ?」
「お前に話しても仕方がない。だがわかるだろう? おれは他人とは相入れない。こういう男だからな」
確かに。正直に言ったら安齋という男は誰も信用していないし、自分以外の人間が嫌いなのではないかと思った。しかし彼にだって大事にしたい人間がいるということだ。
それに。
「安齋。お前は変わってきていると思う。推進室に来てから、人を理解しようとしているじゃないか。室長だけじゃない。お前はおれのことも知りたがった。違うか?」
「田口」
彼の獣のような瞳は光を和らげた。自分でも自覚しているのではないか? と思った。
「壊れてなどいない。お前はお前だ。人と折り合おうとしているのだろう? 相手に興味を持つってことは、その人を知りたい。そして自分を知って欲しいんだ」
田口の言葉に安齋は目を見開いた。
「おれも元々そうだ。誰とも相入れない。一人で孤独に仕事をしてきた。だけど室長——いや、保住さんと出会ってから色々なものに興味を持った。部署の同僚たちとも親しくなった。人に囲まれて、協力する素晴らしさを学んだ。 ——安齋。一人でいるなよ。おれたちがいる。保住さんも大堀もだ。おれはお前とは気が合うと思うんだ。どうだ? お前はおれをどう思う?」
真っ直ぐに見つめると、安齋は少し驚いた顔から笑みを浮かべた。
「お前たちは充分に信頼に値する。室長のことはよく理解した。おれはあの人を目指す。そして田口。お前とは気が合うと思う。だからこそ、ちょっかいを出したかったらしい。以前は鈍臭くて、一番のお荷物になる奴だと思っていた」
——悪かったな!
「しかしこの数ヶ月でお前の仕事への真摯な姿勢と、馬鹿正直で市民に可愛がられる理由も理解した。すまなかったな。田口。お前への評価は修正した。おれはお前からも学ぶべきことがあるらしい。まあ、略奪愛するくらいだ。恋愛もお手の物なのだろう?」
「おい! それ。もう絶対に言うなよ。保住さんに聞かれたら恥ずかしい」
頬を赤くすると、安齋は吹き出した。
「お前さ! 中学生!」
「う、うるさいな!」
空気が緩んでほっとしたのも束の間。視線を感じて顔を上げると、星音堂の新人職員である
田口は、はったとした。なにせ自分は、安齋のネクタイを掴み車に押し付けた格好だからだ。男二人で密着して笑い合っているだなんて……誤解される!
「あ、あの、違うのだ。えっと」
「のぞき見か。新人」
「安齋!」
普通なら安齋の低い声には萎縮してしまうところだが、熊谷はそうではないらしい。 ちょっと頬を上気させてから首を横に振った。
「し、失礼いたしました!」
「あの! だから。誤解しないで」
「い、いいんです。お邪魔でした。本当、申し訳ありません」
熊谷は慌てて駆け出すと、星音堂に入っていった。それを見送って田口はため息を吐くしかない。
「あーあ。誤解されただろう? 田口」
「おれのせいか」
安齋から手を離し、田口は肩を落とした。
「まあ、仲良くしてくれよ! 友達」
「もうお前には付き合えない」
「そう言うな。まだまだ先は長いぞ」
歩き出す安齋の背中を眺めてから、田口は軽く息を吐き足を踏み出した。
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