第24話 大型犬、歓喜する。



「安齋とは、何事もなかった——ということで、いいんですよね?」


 田口は、怖くてなかなか聞けなかったことを口にした。保住はじっと押し黙っていたが、田口の訝し気に見る視線に気が付いたのか、首を大きく横に振った。


「ない。断じてない。いくら酩酊していたとしても、自分のことくらい認知できる!」


「良かった……。保住さんが傷つけられるようなことがなければいいのです」


 田口は心底安心したようにため息を吐いた。保住が無事ならそれでいい。野獣のような安齋はともかく恐ろしいからだ。あの男は、「やる」と言ったら「やる」男だ。


 保住と田口では立場が違っているから、安齋が見せる顔も違っている。よって田口が思っている安齋像と、保住が捉えている安齋像には相違があった結果、このような事態にまで落ち込んだ。


 ——もっと素直に安齋の件を相談していればよかったんだ。言葉を濁して、おれが正直に話さなかったから。


 田口は後悔したように黙り込んだ。しばらくの沈黙は、自分の気持ちに整理をつけるには十分だった。顔を上げて保住を見つめると、彼の視線をぶつかった。保住は真剣なまなざして田口を見据えていたのだった。 


「おれがお前に安齋とのことを言い淀んだ理由は、安齋と何事かあったから——ではなく、お前との関係性を話してしまったのではないかという、後ろめたさからだった」


 指の節を撫でるように 、優しくふれてくる保住の指先の熱は、田口の心をざわつかせた。ここのところ、忙しさに追われて、こうして二人でゆっくりと話をする機会も取れていない。

 何年も保住に恋をしているというのに、こうして側にいることを自覚するだけで動悸が止まらないのだ。まるで思春期の恋みたいに。


「こうなると怖いのだなと感じた。お前との関係性を恥ずかしいとは思ったことはない。だが、おれもお前も立場がどうなるのかと不安になった。特にお前が傷つくのではないかと心配していた」


 保住の不安気な瞳の色を見て、田口は思った。


 ——やはり、保住さんはおれが守らなくてはいけない。こんな不安そうな顔をさせるなんて……おれは何を弱気になっていたんだろうか。


 保住の田口への想いは紛れもないものだ。疑う余地もないくらい、保住は田口を大事にしてくれているということがわかっているにも関わらず、今回のように、少し突かれると揺れてしまう自分の気持ちが嫌だった。


 ——どんなことがあっても信じる。それがおれにできること。


 田口は保住の頬に手を添える。今日一日、自分が体調不良で寝ている間に、彼はきっと。一人で安齋と戦ったのだ。申し訳がない気持ちと、もうこんなことはしてはならないという気持ち。


「銀太」


 田口はにこっと笑みを浮かべて保住を見据えた。


「おれは構いません。あなたとのこと。みんなに言いふらしたいくらいだ。——それよりもなによりも。あなたがそんなに心配してくれていたということ。それだけで嬉しいのです。ああ、痛む腹もなんだか落ち着きました」


「お前ねえ……」


 保住は一瞬で不安気な瞳を輝かせた。それから「ふふ」と笑みを浮かべる。


 ——保住さんの笑顔がおれは好きだ。


 田口の大好きな艶やかな笑みは、彼の体調を癒してくれる。難しい顔をして辛そうな顔をしないで欲しい。そう。田口は、保住にはいつも笑顔でいて欲しいのだ。


「なんだか肩透かしだな。おい。おれはな、崖っぷちに追い詰められた獲物がライオンに牙をむくくらい、情けない反撃をしてしまったのだぞ? バカらしい。お前に早々に話をするのであった」


 いつもプライドの高い保住からそんな話を聞くなんて思ってもみなかった。田口は苦笑して「一体、なにをしてきたんですか?」と尋ねた。


「——大堀と安齋に、おれはお前と付き合っていると伝えた」


「え?」


 田口の反応に保住はきょとんとした顔をした。


「いいのだろう? 別に? ダメ?」


「そんな可愛らしい仕草をしてもダメですよ。いえ、いいですけど。いいんですよ。でも、わざわざそうはっきりと言わなくてもいいのではないかと」


 田口は赤面してから、保住の腕を捕まえて俯いた。


「おい? 銀太?」


「そ、そんな。でも——嬉しい……」


「は?」


 保住は目を見開いてきょとんとしていた。しかし、田口は心躍っていた。保住が自分たちのことを人にカミングアウトしてくれたということがなぜか嬉しく感じられたのだ。


「嬉しいです……。保住さんの口から、第三者にそう話をしてくれるだなんて! 滅多にないことじゃないですか!」


 田口は大興奮だ。


「しー! 銀太。ここは病院だ。出るぞ」


「はい」


 ポワポワとお花畑な頭の田口には保住の言葉は上手く入って行かない。なんだか嬉しい気持ちのまま保住に腕を引かれて処置室を出る。

 保住が会計をしてくれた受付のマトリョーシカのおばちゃんは「まだ具合が悪いのでは?」と不審な目を向けてきたようだが、そんなことにも気が付かないほど幸せな気持ちになった。




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