第18話 おれらしくもない!
父親の死の間際、東京から駆けつけた。病室で横たわっていた父親は、思ったよりも穏やかで、眠るように亡くなった。死を間際にした人間がこんなに穏やかにいられるものなのかと、あの時は不思議に思ったものだが……。
だが、あの時の光景を思い返すと、あの場には家族以外の人間がいた。母、妹、そして自分。もう一人の男。病室の片隅にそっと佇んでいたのは、吉岡だった。
——そう。大好きな家族と、大好きな彼に見送られて、そんな安心感の中で父は息を引き取ったのだ。
——自分はどうだ? きっと。田口がいてくれたら、どんなことも怖くない。
「父は幸せ者ですよ。吉岡さん。——本当にお世話になりました」
少し戸惑ったような表情を見せた吉岡だが、ただ頭を下げた。 お互いが頭を下げ合うだなんて、おかしいが。今はきっとこれでいいのだろうと保住は思った。
「やだな。キミの悩み相談だったはずなのに。自分の過去の話ばかりになってしまったね」
吉岡は苦笑いをした。それを見て保住は首を横に振った。
いや。よかったのだ。吉岡と話をすることで、だいぶ自分の気持ちがすっきりとした。曇天に光が差し込んできた気分だった。
「いいえ。吉岡さんの話かも知れませんが、おれの気持ちを整理するには、充分過ぎるお話でした」
保住の中で変化が起きたのだ。吉岡はそんな保住の変化に気が付いたのか、「うん」と頷いた。
「銀太との事を部下に話してしまったようなのです」
「——え?」
「昨晩、その職員に相談があると持ち掛けられて二人で赤ちょうちんに行ったんですけど。酔って記憶がないので、どこまで、なにを話したのか覚えていないのです。ただ——その職員に、銀太との関係性を自分は知っているということを仄めかすように言われました。おれはハッキリ言われないから、見え隠れする物に翻弄されていたようです」
そう。そこだ。曖昧でベールに包まれたような物言い。それに翻弄されているということだ。もしかしたら、自分はなにも話していないのかも知れないではないか? そんな客観的な見方も出来なくなるほど冷静ではないなんて。自分らしくもないのだ。
保住はそう思う。そして、安齋にそれを知られたからなんだ。自分と田口との関係性にそれは全く持って関係のないことではないだろうか?
澤井も吉岡も。みな自分の気持ちに素直。そして、それを言語化できるのだ。ひた隠しにして田口を守ろうとしても、それが果たして彼のためになるのかどうかはわからないではないか。
田口主語で心配しているつもりだが、それはお門違い。自分の心配ではないのだろうか?
「しおらしくする、だなんておれらしくない!」
保住はそう言い切ると、口元を上げた。その笑みはいつもの彼の笑み。自信に満ちた、何者にも妨げられない、自由に生きる——それが保住
保住の言葉に吉岡は手を叩いて笑い出した。
「本当だ! お前らしくもないな! しおらしい保住なんて保住じゃないみたい!」
彼はひとしきり笑うと、目元に浮かんだ涙を拭ってから声のトーンを落とした。
「市役所にはね。職員はたくさんいるよ。長くここにいると色々なものを見るもんだ。みんなそれなりに色々なものを抱えて生きているものだ。
おれも、澤井さんも。そしてお前もだ。そうだろう? そんな秘密があるから、仕事ができないわけではない。他の職員も見てみろ、人に突かれてて良い物ばかり出る人間など、むしろ不自然だ。——違うか?」
「そうですね」
「そんなものは傷だと思うことはないよ。むしろ、それを
吉岡はまっすぐに前を見た。
「おれが秘密にしていたのは、保住さんを守りたいからだ。亡くなった人を愚弄するような真似はしたくない。あの人の名誉のためにも黙っていただけだ——と世間様にはそういう
恥ずかしそうにそう呟く吉岡の横顔。彼のそんな顔は見たことがなかった。なんだか親近感を持った。
母親は知っていたのだろうか。自分の夫が職場の後輩と浮気をしていただなんて——。
——いや。
自分の母親の顔を思い出して、保住は笑ってしまう。波風立てることなく、夫の好きなようにさせていた彼女は変わっているとしか言いようがないと保住は思った。
「長居してしまったな。すまない。結局は、おれの話を聞いてもらっただけだな」
「そんなことはありません。いろいろと気持ちの整理ができました。——吉岡さん。本当にありがとうございます」
「かしこまらないで。澤井さんみたいに君を導くことはできないと思うけど、そっと力になれるとは思う。頼りにしてもらっていいんだよ」
「ありがとうございます」
保住は頭を下げた。おろおろとした自分がバカみたいだ。吉岡と話をする前と後では全く心構えが違った。困惑していた自分はバカみたいだと思った。
そう思いながら。
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