第17話 あの人が好きだった。



「いえ、すみません。父とあなたのことでしたね——」


 吉岡は観念したのか、保住をじっと見据えたまま言葉を紡いだ。


「私はね。澤井さんと違って覚悟もないしダメな男なんだよ。保住さんが生きていたら、不甲斐ない私を見て『お前らしいな』と笑うのだろうけどね」


 彼は軽く息を吐いてから保住を見据える。


「あの人が好きだった。死ぬまでの貴重な時間を、家族から奪ったのは私だ。保住——」


 彼は保住にこの話をすることを、ずっと恐れていたのかも知れない。いつも穏やかな吉岡の横顔は、蒼白で瞳の色は余裕がなかった。


「奪ってなんかいないじゃないですか。あの人は、元々家にはいなかった」


 ——ああ、そうだ。やっと腑に落ちる。


 そう思うと、保住は逆に安堵の気持ちに満たされたが、吉岡は自分のことで精いっぱいなのだろう。澤井が父親への贖罪しょくざいの念を吐露した時と同じ顔をするのだと思った。


 吉岡と父親がよく一緒にいる姿を見てきた。父親は家族といるよりもイキイキと表情を変えていたことを思い出す。


 正直に言うと、自分は嫌われているのかと思っていた。あの人にとって大事なのは職場なのだ、仕事なのだと思っていた。しかしそれは違っていたのかも知れない。あの人にとって、自分たちも大切だったかもしれないが、それとは違って、吉岡のことも大切に思ってきたのだろう。


 今の自分だからわかる。過去の自分では到底理解できなかっただろう。


「吉岡さんは——澤井さんと同じく謝るのですね」


「澤井さんが?」


「ええ。——あの人は、自分が良かれと父を国へ送り込んだことを後悔していました。父が体調を崩したのは自分のせいだと」


「澤井さんがそんなことを君に話したのか?」


 吉岡は信じられないという表情だ。正直に言うと、自分もそうだ。まさか澤井がそんなしおらしい部分を持ち合わせていたなんて彼の日頃の態度からは想像できないことだったからだ。


 だが違ったのだ。保住は澤井のそういう辛い苦しい思いを理解してしまった時。彼を放ってはおけなかった。澤井との関係性の始まりはこの件だったのだ。


「ええ。本当に悔やんでいるのだなと思ったのです。あの人の苦しみがダイレクトに伝わってきて。きっと、救いを求めているのだと感じて。それで——」


 ——それで父の代わりに澤井を許した。


「父親の代わりをしたのか? キミは」


「そうです。それで少しでも救われるならと。あの時はそう思ってしまったんです。まあ、あの人のほうが割り切っていましたけどね」


 保住の話に吉岡は自嘲する。


「恥ずかしい話だ。我々はずっと澤井さんを憎んできた。ライバルである保住さんが死んだことを嘲笑っているのだと。もっと早くに知ることができたら、協力できたのかも知れない。保住さんの思いを引き継いで。いい仕事が出来ていたかもしれないのだな」


「ですが、そんなにしおらしいタイプでもありませんよ。澤井さんは」


「ああ。キミの言う通りだね」


 吉岡は「うふふ」と面白そうに笑い声をあげた。


「付き合いの長いおれたちより、キミのほうが余程、澤井さんを理解しているらしい。彼はそんなに素直に君に話ができるんだね。本当に羨ましいね。——私は怖いんだよね。キミが。好き勝手なことをしておいて、キミに向き合えていないからね。こうして話をしていても、いつお父さんのことを問われるのかと戦々恐々としていたんだ」


「吉岡さん」


「私は保住さんが大好きでね。妻との結婚前から大好きだった。妻にもいつも『そんなに好きなの?』と呆れられていた。始まりは尊敬すべき先輩と言う気持ちだと思っていたのに。あの人が国に行った時。離れてしまって初めて気が付いた。あの人の大切さを。疲れ切って、精一杯のところで一人で踏ん張っているあの人を支えてあげたい、そばにいてあげたいと、気持ちが変化して行って……いつのまにか、憧れは恋心になっていたのだろう」


「父は——」


「体調を崩して死を知らされた時、保住さんは私に『生きていると実感させてくれ。自分はまだ生きられると教えてくれ』と縋ってきた。当時の私はそれがどういうことだったのかよくわからなかった。ただ、自分の気持ちを自覚していたから、あの人の気持ちに乗じて、ただ自分の欲望を満たそうとしたんだ。この逢瀬が、これで最後になるかも知れないと、戦きながらね——」






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