第6話 お父さんみたいな人
「誰の差し金なのか。個人的なのか。お前は
「ないですね。顔も見たことがありません。少なくとも、おれが保住さんの部下になってから、この人にはお会いしたことがありませんね」
「やはりな。そうなると、安齋のように、個人的な興味とはいくまい。なにか裏があるのかも知れない」
澤井は黙り込む。その横顔を見て、田口はそっと口を開く。
「あなたは、なにをお考えなのですか? なにかあるのであれば、おれに教えてください。保住さんを守るためだったら、おれはなんでもします」
田口の真剣なまなざしに澤井は笑った。
「忠犬ハチ公だな」
「本気ですから。からかわないでください」
「すまない。おれの趣味だ」
酒が入ると澤井は陽気だ。ご機嫌とでも言うのだろうか。こんな彼を田口は見たことがなかった。
「しかし保住さんを調べろなんて指示するような人、心当たりあるのですか?」
「二、三はある。保住の父親を嫌っていた奴は多い。しかしそいつらと根津の接点はない。それよりも、人事課長は侮れない男だ。そいつ指示かもしれん」
「人事課長?」
人事課長とは誰だったのだろうか?
そんなことを考えても仕方がないことだ。知らないのだから。
「
「槇さん、ですか?」
槇とは現市長である安田の甥であり、彼の私設秘書を担う。昨年、保住にちょっかいを出してきた男だ。結局は保住の方が
「気を付けて見てやれ。保住は、なにかに夢中になると、周りが見えなくなる時がある。根津の件は、天沼に注視させている。動きがあったらお前に連絡する。お前は保住の周囲を見ておけ。それを言いたかった」
——そこ? 本当にこの人は。
田口は苦笑した、
「なにがおかしい」
「すみません。いえ。本当、澤井副市長は、保住さんが大事なのですね」
「悪いか」
こんな強面のくせに。過保護で甘やかす。
「いえ。嬉しいのです」
田口は澤井を見た。
「いつも怖くて、恐怖政治の澤井副市長が、保住さんのお父さんみたいに見えます」
「な、」
その言葉には、黙って聞いていた女将も吹き出した。
「女将まで」
「申し訳ありません。ですが、すみません。田口さんのお話がおかしくて」
口元を押さえて、笑いをこらえている女将。田口も釣られて笑った。澤井は半分面白くないが、半分は愉快。結局は笑ってしまう。
「本当、馬鹿みたいだ。損な役回りなのに、自分から買って出てしまうのだからな」
「本当の澤井さんは、そんなお人柄なのでしょう? おれ、澤井副市長についていきたいって本気で思いますよ」
田口の横顔を見て、澤井は苦笑いだ。
「心からおれに気を許してついてきてくれるのは、本当に少ない。若い世代では、保住、天沼、お前だけかもな」
「天沼、楽しいって言っていました。あなたとは気が合うのでしょう」
「気が合うとかではないだろう。あいつが、プロとしての仕事をこなそうとしてくれるからな。おれも任せている。それに最近、楽しいのはおれのせいではないだろう」
「え?」
意味深な言葉。田口は目を瞬かせるが、澤井は気にしていないようだった。
「それより、お前たちのことを聞かせろ」
彼はご機嫌だ。それから田口は随分な時間、澤井に付き合うことになった。
***
「遅くなったな……」
保住と住むようになってから、一人でこんなに遅くなったことはない。先日の徹夜事件以外では、だ。玄関を開けた時、腕時計の針は深夜の一時を回っていた。案の定、アパートの灯は消えている。保住を起こしては悪いと思い、そっと玄関を開けて中に入った。
珍しく酔っているようだ。ふらついてそばの壁に手を着いた。思考が回らない。息が上がっていた。多少ぐるぐるとしている頭を押さえながらそろそろと浴室に向かい、風呂に入ろうとするも、足元が覚束なかった。
「少しだけ……」
そんなことをつぶやいて、田口は床に座り込み、そのまま目を閉じた。少しだけだ。眠い。意識を手放したい。帰宅した安心感からなのか、田口はそのままそこで眠りに落ちていった。
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