第5話 密会




「悪いな。誘っておいて遅れた」


 音を立てて開かれた木戸から顔を出した澤井は、珍しく田口に対して謝罪の言葉をかけた。


「こんばんは。澤井さん」


「女将、すまなかった」


「いえいえ。田口さん、とっても面白い方ですね」


 彼女は笑顔を見せて、田口を見る。


「お前な。あちこちに愛嬌振りまくな。保住が心配するだろう」


「そういうつもりはありませんが……」


「まあ、いい」


 澤井は田口の隣に座ると同時に、熱燗が出される。『いつもの』なのだろう。


「席、はずしましょうか?」


「別にいい。女将には大した話じゃない」


「そうですか」


 彼女は嫣然えんぜんとした笑みを見せて、カウンターで料理の準備を続ける。それを見ながら澤井はぶっきらぼうに田口に尋ねた。


「どうだ。新しい部署は」


「忙しいです。ですが、やりがいもあります」


「苦労しているのは知っている。だが市を挙げてのお祭りだ。なんとしてでも成功させろ」


「承知しております」


 澤井とこんな形で食事をするなんて、思ってもみなかった。田口は緊張した面持ちのままじっと座ってたが、澤井はお構いなしのようだ。お猪口をカウンターに置くと、ふと息を吐いてから田口に視線を戻した。


「今日は少し。お前に話しておきたいことがあってな」


「おれでいいのでしょうか。保住さんのほうが……」


「お前に話したい」


 澤井はそう言うと、酒をあおって田口を見た。


「今年暮れに市長選があるのは知っているか」


「はい。それは」


「市長が交代するだろうと言われている大事な選挙だ」


「安田市長の続投はないのですか?」


「さてね。おれは一公務員だぞ。そこまでの介入はできかねる」


 彼はそう言うが、とても謙遜しているようには聞こえない。建前ということだろうか。公務員たるもの選挙活動に介入することは禁じられている。あくまでも公正中立ではないといけないのだが。澤井ほどの男が何もしないで見ているなんてことはあるわけがないと思った。

 職員としてはなるべく自分たちの仕事がスムーズに進む事だけを望む。それだけのことだが、それは大きなことだった。

 自分たちと対立するような人間が市長になった暁には、辛い四年を過ごすことになるだけだ。


 澤井は一体、どこからそういう情報が来るのだろう。素人考えだと選挙は、蓋を開けてみなければわからないのではないかと思ってしまうところだが、澤井クラスになると、方々からの情報を統合し、あらかたの予測がつくのだろう。


「今の市長は比較的、おれや保住には寛容だ」


「ですね」


 市制100周年記念事業も好き勝手やらせてもらっている。安田は職員にとったら都合の良い市長であることに違いないのだ。


「次の市長として有力視されている男がいるのだが、農水省出身だ。破天荒な事業にゴーサインを出すとは思えない」


「おれたちの事業がダメになるということでしょうか」


「そうだ。そういうことだ」


「しかし、それは。一職員がどうこうできることではないのでは?」


「お前の言う通りだが、引き返せないところまでもっていくことは可能であろう?」


「あ、だから……」


 田口はそこで理解した。だから、まだ早いと思われるのに、グッズの作成にゴーサインを出したのか。


「そうだ。既成事実さえ作っておけば、いくら市長が反対しても、引き返せない」


「納得です。しかし、何度もお話するようですが、それは保住さんにお話ししていただいたほうがいいのではないでしょうか」


「いや。今日はその話ではないのだ。田口。別件だ」


「え?」


 田口が目を瞬かせると、澤井は彼を見据えた。


「あいつのことを嗅ぎまわっている職員が二人いる」


「え?」


「お前の部署の安齋。そして、人事課の根津ねづという男だ」


「確かに。安齋は保住さんに興味があるようで、経歴を調べていたようです。聞いています」


「調べたい理由は」


「ただの興味と言っていましたが」


「もともと水野谷の息のかかった職員だ。そして、星音堂せいおんどうしか知らない。安齋が星音堂の職員以外と接点を持つような機会は限りなく少ない。誰かの差し金で動いているとは思えない。安齋は特に問題視していない」


「では、その」


「根津と言う男だ」


 澤井は書類を一式出した。そこには根津という男の経歴が書かれていた。年齢は自分たちよりも少し上。人事課の人事係に所属しているようだった。



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