続・推進室一年目

第7章 ライオン強襲

第1話 中身まで覗いてみたい



 保住から指示のあった関係団体への挨拶回りも今日で最終日だった。最後の団体の長との面談を終えた田口は、安齋と一緒に乗ってきた公用車の白いバンに乗り込んだ。


 「やっと終わった」という気持ちと、安齋という男と二人でずっと一緒に過ごしていた緊張感とでついため息が出た。


 隣に座っていた安齋も疲労の色がにじんでいる。彼にとったら慣れない業務だったようだ。珍しく口数が少ないのは緊張をしていたのか、疲れていたのかのどちらかであろうと思われた。田口はエンジンをかけて車を走らせる。その途中で、ルームミラー越しに安齋を確認しながら声をかけた。


「疲れた? 安齋」


 ダイレクトに尋ねても彼が素直に答えるとは到底思えなかったのだが、彼は口元を緩めてから肩を竦めた。


「さすがに……な。訪問をするということは、気を遣うものだ。窓口業務とは全く違うな」


「訪問するということは相手のテリトリーに入るからな。かなり気を遣うんだ」


「お前の言う通りだな。今回はお前のやりたいようにやらせろと言われて、どんなものかと思っていたが、さすがだ。お前のことだけ見直したぞ」


 ——少しね。


 田口は苦笑した。安齋という男は人を素直に褒めるという行為もしないタイプであるということはよく理解している。「少し」という前置きがあるが「見直した」と受け取っていいということだろうと判断をして、田口は内心笑ってしまった。


 市役所までの道のりは正味十五分。最初はしっくりこなかった安齋との外勤も慣れてきたところでの終了か、などと楽観的なことを考えていると、ふと安齋が声色を変えた。


「そういえば、この前の話だけど」


「え?」


 田口はルームミラー越しに安齋を見る。


「お前に室長とどういう関係なのかと聞いた時に、友達だと言っていたことだ」


「あ、ああ……」


 安齋は田口と保住のことを随分気にしているように見受けられる。一度終わったはずのこの話題をわざわざ蒸し返してくるだなんて。なんだか心がざわついた。


「もし、それが本当なら——」


「本当なら?」


 安齋の次の言葉を聞くのが恐ろしい。田口は思わず固唾をのんで彼の言葉を待った。


「もし、それが本当なら——だよな」


「関係ない?」


 ——関係がどういうこと?


 ちょうど車は信号で止まる。ブレーキを踏み込んでから、今度は直接安齋に視線をやった。


「関係ないって、どういう意味だ?」


「おれは正直、男でも女でも関係ないたちでね。気に入った人間にちょっかいを出したくなるものなんだよ」


 安齋の言っている意味が田口にはわからない。ぽかんとしていたが、信号が青に変わったのを認識して慌てて車を発進させた。


「安齋、あの。それって——」


「え? そのままの意味だ。お前が室長となんの関係もないのなら、遠慮することないだろうってことだ。こんなおれでも、一応、には手を出さないからな。 。——ああ、そっか。お前にはもう。澤井市長を黙らせて」


 安齋の言葉は一々棘がある。田口は言い返す気にもなれない。しかし、彼はそれを理解してやっているのだ。『わざと』というやつだろう。


「安齋……お前」


 彼は意地の悪い笑みを見せて田口を見ていた。


「多大なる興味がある。あの人に。のぞいてみたくならないか? ああいう人の


 安齋の横顔は本気だ。残忍な腹黒さ。星音堂せいおんどうの職員である星野の言葉が脳を掠めた。


『あいつは腹黒い野獣だ』


「大丈夫だ。お前のだ。傷つけるようなことにはならないように努力する」


「な、なにをする気だ。安齋」


「お前、そんな野暮なことを聞くなよ。おれだってある程度節度はあるぞ。職務中にそんなこと口に出せるわけがないだろう」


 安齋は舌舐めずりをしているライオンみたいだった。虎視眈々と獲物を狙っている獣みたいに眼光鋭い。田口は気が気ではなかった。ここで保住との関係性を話すわけにもいかない。話したところでこの男が企んでいることを止めるだろうか。いや。そもそも、企んでいることの中身が曖昧で、ぼやかされていてどうとでも受け取れるのが気味が悪い。


 まるで心理戦をしかけられているような気持ちになった。ヤキモキして、心臓がドキドキした。


「お前って奴は……」


「そんなに怒るなよ。悪いようにはしないしないから」


「そういう問題じゃないだろ?」


「しかしお前には関係ないことだろ?」


 そう言われてしまうと弱い。安齋は田口の立場を理解している上で仕掛けてきているのだと理解した。本庁舎の側の公用車専用駐車場に車を停車させてから施錠する。そして安齋の胸ぐらを掴んで車に押し付けた。


「安齋——。お前、室長を傷つけるようなことがあったら、おれが許さない」


 声色も、怒りを押し殺したような低さ。田口はギリギリと安齋のワイシャツを握る手に力を入れて彼をにらみつけた。さすがの安齋も顔色を変えた。


「ほほう。お前でもそんな顔出来るんだ」


 その軽口を叩いたのは、安齋の精一杯だろう。勝負の世界に生きてきた田口の本気は野獣のような安齋も黙らせる力を持つ。


「——本気で怒るなよ。温和な顔して……中身はおれと大して変わりないじゃないか」


「黙れ」


 田口は安齋から手を離し、じっと彼を見据えた。シャツの乱れを直している安齋の視線に応えるように見つめたのだった。


「おれは、おれの大切なものを守りたいだけだ。相手が誰であろうと、それを脅かす奴がいれば、全力で戦う」


 いつもの田口ではない。険悪な雰囲気をフォローする訳でもなく、「鍵、返してくる。先に戻っていて」と言い放ちその場を後にした。


 ——絶対にそんなことはさせない。





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