12 爆弾




「座れ」


 打ち合わせ室に入ると、澤井がぶっきらぼうに言った。乱暴に椅子を勧められて、保住は渋々とそこに腰を下ろした。


「おれ、またなにかしましたか」


「心当たりがあるのか?」


 保住が座ると、澤井も向かい側の椅子にどっかりと腰を下ろす。


「いえ。——なにも」


 すると澤井は愉快そうに笑った。


「はは。お前でもそんなおどおどした態度をとるのか? 随分としおらしくなったものだ。おれの教育の成果だな」


 返す言葉もない。むっとして彼を見据えていると、澤井は表情を和らげた。これ以上その話題について話すつもりはないらしかった。


「今日はおれの話だ。保住。——おれは異動だ」


「異動……」


 ——そうだ。課長職は二年程度と聞いている。澤井は二年目だ。確かに異動対象だ。


「内々ですか」


「内示は来週末だ。まだまだお前とお別れするには、教え足りないのだがな」


「もう結構です。十分ご指導いただきました」


 「冗談だろう?」と心底思った。保住にとっては「朗報」であることに違いないのだ。喜びが隠しきれていない保住の様子を見取ったのか。澤井がじろりと視線を寄越すので、保住は口元を引き締めた。

 

 ——怒られる?

 

 しかし澤井は、保住のそんな様子など気にも留めないのか、ぶっきらぼうに話を始めた。


「引き継ぎなどで忙しくなる。その前にお前に話しておきたいことがあってな」


「なんです?」


 彼は保住を真っ直ぐに見据えた。


「——父親の話だ」


「父。ですか」


 家族の話題などプライベートだ。業務中に話題するようなことかと首を傾げたくもなるが、澤井にとったらそうではないらしい。以前、父のことを口にする嫌な輩と対面させられたことも関係しているのだろう。黙って聞いておくのが賢明であると判断し、保住はじっとしていた。


「お前の父親は梅沢市役所では有名人だ。この一年で理解したと思うがな」


「……ええ。気が付いておりましたけど……。でもそれって、そんなに重要なことなのでしょか?」


 平然と言って退けると、澤井は呆れた顔をした。


「平然と入庁してきたお前を見て、なにか腹積もりがあってきたのだろうと予測した。しかしどうだ。こうして全く予備知識なしに、純粋に市役所職員を担えると思っているお前に呆れるな。お前はもう少し賢いと思っていたが——。まだまだ経験不足ということだ。読みが甘い。」


 澤井の言い方はかなりバカにした言い方ではある。しかし保住は父親の影響が自分の及ぶことなど、意識にも上っていなかったというのが正直なところだ。だから、こうして一年過ごしてみて、戸惑っているというのが今の自分の感想だった。


 その典型がこの「澤井」ではないか?

 彼が自分に突っかかって来るのは父親のせいなのではないかと、薄々感じ取っていたからだ。でなければ、新入職員を課長クラスが面倒をみるわけがない。


「そういう澤井課長だって、父がいるからこそ、こうしておれの教育をにしてくださるんでしょう?」


 嫌味まがいに言ってやるが、澤井は口元を緩めただけだ。この一年。澤井には軽くあしらわれるばかりで、まったくもって歯が立たないということを知った。自分は未熟だと思い知らされたのだ。


父親あいつは優秀な男だった。市役所始まって以来の逸材。仕事の能力もそうだが、人望を集めるのが得意な男だ。だからこそ好かれてもいたが嫌われてもいた。——この前、料亭で引き合わせた二人は、お前の父親を嫌っていた輩たちだ」


「嫌いな男の息子を見てなにが楽しいんです? 悪趣味ですよね。それに見てどうするつもりなんだか——」


「あの程度で終わって良かったと思え。本能で嗅ぎ取ったか? 大人しくしているのが得策と」


「あなたに常日頃言われていることですから」


「そうか。それはおれのしつけが良いということだな。今後どの場面においてもお前は父親と比べられるだろう。だがムキになるなよ。淡々とこなせばいいだけのことだ。あの手の職員のことは一早く気がつけ。なにをしでかすかわからないからな」


「なにをって」


「おれが守りたい組織には闇も多い。お前には計り知れない闇だ。病んでいる輩も多い。おれは異動だ。右も左も分からないお前に、こんな昔話を教えてやれるのも最後だ」


「課長——」


「知っているのと知らないのではわけが違う。いいな? お前が注意すべき相手は、同期や後輩ではない。だ。お前の父親を知る者たちは、みながそれぞれ父親への感情そのままの態度をお前に取ることになるだろう。わかるか?」


 澤井の言いたいことはよくわかった。料亭での邂逅。上から下まで舐められるように見られた時の嫌悪感。あれは、自分への感情ではなく、自分の父親への感情がむき出しだったのだろう。

 正直に言うと自分は初対面で関係のない男たちだが、彼らから見たら自分は「保住の息子」なのだからだ。


「好意を持っていれば味方になるが、悪意なら敵だ。それに、味方だからと全てを委ねると、お前は自分の首を締めることになる。意味がわかるか?」


 「わかります」と保住は頷いた。


「味方は味方ですが、それは父に対する感情からってことでしょう? それはおれのためではないと言うことですよね」


「そういうことだ」


「面倒は嫌いです」


「だが、否応なしに巻き込まれるぞ」


「無視していいんですか」


「できるものならな。ただし、そんなことは許されない事態に追い込まれると思うがな。現にすでにお前は巻き込まれている。吉岡がそのいい例だろう?」


 ——確かに。吉岡さんが懇意にしてくれるのは父親の影響だからだ。それがなかったらこんな一職員が話せる相手ではない。


「おれには選択の余地がないと言うことですね?」


「そうなるな」


 保住は少し押し黙ったが、すぐに澤井を見る。


「まだその立場に立たされていないので想像がつきませんね。しかしあなた程の方が心配してくださるということは、相当のことなのだと理解できました。なにをどうしたらいいのか、今のおれにはわかりませんが。——まあ気をつけることにいたします」


 保住の回答に、澤井は口元を歪めた。


「お気楽だな。だが嫌いじゃない。そういうくらいがちょうどいい」


「平凡は詰まらないです。おれの市役所人生、なんだか楽しくなりそうじゃないですか」


「お前の市役所人生は波乱万丈な楽しいツアーになることだろう。おれが保証しよう」


「澤井課長。——あなたは、どうしてそこまでおれにしてくれるんですか」


 澤井はなにかを言いかけたが、ふと思いとどまったような表情を浮かべ、それから口元を歪めた。


「別にな。——ただの気まぐれだ」


「気まぐれ?」


「退屈しのぎにはちょうどよかったからな」


 澤井の表情を見て、これ以上、彼の本音は聞き出せないと悟った。保住は目を閉じて「ふふ」っと笑った。澤井はテーブルとトントンとしていた指を止め、そして真面目な顔をした。


「お前は市役所にとっての爆弾だ。悪い方に向かえば脅威になる。おれはお前から一時、離れるがお前のことはずっと見させてもらうからな」


「あなたの邪魔にならないようにだけしますよ。そしたら好き勝手やっても文句はないのでしょう?」


「まあ、そう言う事だ」


 手で追い払うわれるような仕草に、これ以上の話はないと言うことだ。保住は頭を下げて会議室を退室した。

 澤井の考えていることは、保住にはわからない。だが彼から学んだことはよく理解している。市役所でやっていくのであれば、うまく立ち回る必要があるということ。

 自分の席に戻ると河合が心配そうな表情で声をかけてきた。


「保住くん、大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ」


 ——そう、何事も問題はない。うまくやれる。自分はここで好きなことをしていくのだ。自分の思い通りに。澤井とはここでお別れになるのだから……。

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