05 組織とは



 澤井に連れられてやってきたのは、市役所近くの内科病院『熊谷医院』だった。こんな近くに病院があったなんて、気が付きもしなかった。彼は慣れているのか、さっさと手続きをすると保住を診察室に連れ込んだ。


 診断は澤井の言う通り『脱水』。後は『疲労』と『寝不足』。さらには『栄養失調』。ぶら下がっている透明な点滴ボトルを見上げた。


「口ほどにもないな。お前」


 さすがに悪態をつく元気がないらしい。保住は側の椅子に座っている澤井に視線を移す。


「申し訳ありません……」


 そう。本気でそう思った。初めてかもしれない。上司に迷惑をかけて申し訳ないだなんて。人に迷惑をかけて申し訳ないだなんて。本気でそう思ったのだ。


 橋谷田にも申し訳ない限り。今まで人に迷惑をかけたことなんてなかったのに——。


「お前ひとり、どうこうなったところでびくともしないのが組織。だからこそ、組織づくりが大事」


 澤井は腕組みをして保住を見る。


「お前は今までなんでも一人でこなしてきたのかもしれない。だが、市役所は違う。異動もある。人がめくるめく変わる。人が変わったときに業務に支障が出ることは良しとしない。わかるだろう」


「課長」


「お前は特に市民への愛着が強い。なら余計に理解しているはずだ」


 職員の異動で業務が滞るなんてありえない——。保住は頷いた。


「おれは梅沢が好きだ。だからこそ、この市役所を盤石のものとしたい。お前は組織を嫌がるが、その中に組み込まれた時点で、お前も組織の人間だ。それを選んだのは誰だ? お前自身なのではないか」


 澤井の言うことは最もすぎる。


 ——そうだ。選んだのは自分。一人でやりたいなら、一人で出来る仕事をすればいい。なのに……。


 こうして二千人以上もいる組織に入ったのだ。いくら父親のだ。


「その通りですね」


 真っ白い天井に視線を向ける。


「この一か月。あなたの言いつけの課題をこなしました。最初は無意味と思っていましたが、この部署の業務をよく理解しました」


「そうか」


「あなたのやり方がすべて賛同すべきものではないですが、理解はしました」


「そうか。まだまだ半分もやらせていないがな」


「そうですか。それでは、道のりは長いということですね」


「そういうことだ。お前の市役所人生は始まってたったの数か月だろう?」


「ええ。そうです」


「おれのやり方は乱暴だ。お前をねじ伏せることもあるだろうが、文句は言うな。お前は。おれに口応えしたいんだったら、それ相応の地位を手に入れろ」


 澤井はそう言うと立ち上がる。


「お前の家族に連絡しておいた。点滴が終わったら今日は帰れ。この仕事、スタミナ勝負。病弱、休みがちは負け組だ。今日は寝ておけ」


 彼はカーテンから姿を消した。澤井がいなくなると、瞼が重く感じられる。


 ——違う。本当は眠いし、疲れている。身体もだるい。なのに……。


「ああ、そうか。一応、上司だと思って相手しているのか。おれは」


 課長である澤井の前で寝てしまうのは部下としては不相応だと思っていたらしい。

 バカらしいが。いつの間にか、組織の人間になり下がった自分に笑ってしまう。


 ——郷に入っては郷に従えか。


 自分で選んだ道だ。自分はここで、好きなことをしてやる。好きなことができるくらいになってやる。そんなことを思っているのに。いつの間にか深い眠りにいざなわれた。




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