第10話 好きなものの正体



 結局、ぬいぐるみのことはよくわからずじまいだった。翌朝。なんだかモヤモヤとしたまま大堀にぬいぐるみを返そうと、車に乗せていると保住がやってきた。


「なんだ、一晩だけか? 借りたのは」


「あ、いや。はい」


 保住はせっかく直した髪型をいじりながら、眠そうに助手席に座った。


「あの。保住さん、ぬいぐるみが好きではないんですか」


 田口は車を走らせながら食い下がる。眠そうに目をこする保住は「別に」と答えた。


「ぬいぐるみが好きとか、そう言う感覚はない」


「そうなんですね」


 はっきりしない返答に、今度は保住が田口に尋ねる。


「なんだか変だぞ? なぜ、ぬいぐるみにこだわって何度も尋ねるのだ。なんなのだ?」


「いや。別に。……ですけど」


「じゃあ何度も聞くな。落ち着かないではないか」


 つっけんどんな対応に心がざわつく。聞かないつもりだった件が口から飛び出す。


「グッズの打ち合わせの時、体調が悪かったのですか? 大堀が心配していました」


「え?」


 話題の転換に保住は少したじろいだように視線をさまよわせた。


「別に。体調は悪くない。この前の熱中症から気を使っているのは、銀太も知っているだろう?」


「ですが。大堀から聞きました。顔色も悪いし、気分が悪そうだったと」


「勘違いではないのか?」


 なんだか段々とイライラしてくる。最近の保住は何事もはっきりしない。「なんなのだ」と言いたいのはこちらのセリフだ。最愛の人の全てを知りたい欲求は当然のものだ。


 ——知りたい。全て。あなたのことを隅々まで知り尽くしたい。隠し事なんてしないで欲しい。


 田口は気持ちを抑えきれない。伝えたいのに伝えられないもどかしさ。駐車場に止めた車の中で、煮え切らない態度の保住の腕を捕まえていた。


「銀太……?」


「なにを隠しているのですか? おれを信用してくれないのですか? 体調が悪いなら、ちゃんと話してください。心配です」


「ち、違うのだ」


「そんなに、おれが当てにならないんでしょうか?」


 保住を拘束するかの如く両腕を掴まえて、助手席に押さえつける。体格差で保住が、田口の拘束を抜け出せないことを知っているからだ。


「銀太っ」


 時間はまだ七時を過ぎたばかり。保住の契約している駐車場には誰もやってくる気配はないが、通勤時間であるのは確か。大概が市役所職員が借りている月極め駐車場だ。いつ誰がやってくるかもわからない。そんな中で、ここで揉めるのは得策ではないことも重々承知だが、保住がなにかをひた隠しにしていることが面白くないのだ。

田口はまっすぐに保住を見下ろした。


 彼は視線を彷徨わせたが、結局は観念したのだろう。頬を赤くして俯いた。


「……ぬいぐるみが好きなわけではないのだ」


「え?」


 消え入りそうな声。


「じゃあどうして、ぬいぐるみに反応するのです?」


「……これ……」


 保住のポケットから出てきたのは、梅沢市のゆるキャラ『ゆずリン』のキーホルダー。


「ゆずリン?」


 ミミはうさぎ。顔はゆず。二頭身の可愛らしい黄色のうさぎ。保住は口元を押さえて耳まで赤くする。


「これが、たまらなく可愛い……」


「は!?」


 田口はあっけに取られて、腰が抜けたように運転席に座り込んだ。


「大堀とゆずリングッズの打ち合わせに行ったが、印刷会社担当者が提示してくるゆずリンが可愛すぎて……思わず『可愛い』と言いそうになるのを堪えていたのだ。……なにが悪い! 体調など悪いものか! むしろ、可愛すぎて具合が悪くなりそうだった」


「え……ええ!?」


 恥ずかしさで泣きそうなのだろうか。保住は急に怒り出した。


「昨日だって、こんなもふもふしたぬいぐるみを持って帰ってきて! これがゆずリンだったらと想像してしまったではないか!」


 ——だから。途中で目が輝いたのか。


 一人で怒っている保住を見て、田口は苦笑した。


「保住さん、可愛すぎます」


「な、なにをバカなことを! ゆずリンは可愛いのだ! 本当はもっと色々なグッズが欲しい! しかし職権で私欲を満たすなど、ルール違反だ。頭が痛む」


「いいじゃないですか。ファンが欲しいものって、他のファンも欲しいに決まっています」


 田口の意見にはっとしたのか。保住は急に黙り込んだ。


「おれが欲しいものが、他の人も欲しがる……のか?」


「そうですよ」


 仕事で生き生きしている時の目。保住は目を輝かせた。


「それは、なんと……そんな旨い話があっていいものなのだろうか」


「保住さん……」


 喜びを噛み締めている彼を見るのは初めて。正直言って彼と出会ってから、こんなに嬉しそうな顔を見たことがない。田口は思わず釣られて表情を綻ばせた。


 ——嬉しい。保住さんが幸せそうな気持ちになっているのを見ることが、こんなにも自分まで幸せにしてくれるだなんて……。


「ああ、すっきりとしたぞ! お前に隠さなくて良くなった」


「隠していたんですか」


「そ、それはそうだろう。大の大人がゆずリン好きなんて言えるか」


「可愛いのが好きと言うことではないのですね?」


「別に。可愛いものは可愛いと認知はするが……好んで集めるなんてことはするか」


 保住は顔を赤くしたまま車から降りる。そして、うさぎのぬいぐるみを引っ張り出した。


「保住さん、それは、後で……」


「いや。借りる」


 彼はニンマリ笑みを浮かべ、うさぎを抱えたまま歩き出した。




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