第5話 略奪愛!?




「澤井副市長はダメ出ししかしない。なにも言わないということは、そのまま進めろということだ」


「そうなのか」


「昔からそうだ」


「じゃあ、これで良いってことだな」


「そうだな。特になんの指摘もなかった。問題ない、と言うことだろう」


 田口の返答に安齋は軽くため息を吐いた。疲れが出たのだろうか。保住や自分のことで気がついていなかったが、安齋は目の下にクマを作っていた。


「徹夜したのか」


 田口の問いに、安齋は肩をすくめた。


「徹夜したってどうってことないのだが。今回ばかりは精神的にやられたぞ」


「安齋でもそんなことあるんだ」


「お前な。おれをサイボーグかなんかみたいに言うなよ」


「安齋は、はっきり言うのが好きらしいから言わせてもらうけど。


 田口の真面目な顔での返答に安齋は笑う。


「お前って、本当に憎めない奴だよな」


「そうだろうか」


「ああ。最初は室長のお気に入りだし、なんだかムカつく奴だなって思っていたけど」


「ああ、そう」


 ––––ストレートすぎるだろう。


 田口は笑ってしまう。こんな男に出会ったことがない。保住よりもひどいと思った。


「なあ、田口」


「なんだよ」


「さっきの副市長との会話って……、室長のこと?」


「え」


 そこを突っ込まれると、なんとも言いようがない。


 ——だから嫌だ。澤井副市長あの人。周囲への気配りもなにも、あったものではない。


「いや、あの、その」


「室長の面倒を押しつけられてんだな。お前」


「あ、ああ。室長の体調管理。前職で任されたからな。その延長だろう?」


 ——誤魔化せるか。


「そんなことまで頼まれるなんて驚きだ。本庁はやはり、まだまだ理解し難い場所だ。サラリーマンの業務から逸脱している」


「仕方がない。ここでは、澤井副市長がルールだ」


「……確かにな。そこは理解した。本庁は副市長がルールだな。……それにしてもさ。あの物言いは恨みがましいよな」


「え?」


「あんなに副市長に憎まれるってさ。お前……」


 『お前……』の後に続く言葉が恐ろしい。引き気味で安齋の言葉を待っていると、彼はじっと田口を見つめたまま言葉を続けた。


「余程のことだろう? 大変なご立腹だった。相当、顔に泥を塗るようなことでもしたのか?」


「……いや、その」


「お前のような真面目バカが仕事でヘマをするとは思えないな。……ああ、そうか。色恋じゃないのか? お前は奥手そうだ。状況を見ないで突っ走りそうだもんな」


 安齋は田口の性格をよく知っている。つい返答にまごついた。「違う」と言えばいいものを……。彼は口元を歪めた。


「まさか澤井副市長の大事なものを横取りしたわけではあるまいな?」


「な……」


「昔のヤクザ映画みたいじゃないか。組長の女を寝とる真面目で実直な若造……みたいな顔しているぞ。お前」


 開いた口が塞がらない。ポカンとしていると、安齋はお腹を抱えて笑い出した。


「笑うなよ……っ!」


 はったとして抗議するが、安齋は全くもって取り合わない。


「だ、だって、お前、それ。図星って顔だぞ? 嘘だろう? 違うなら否定してみろよ?」


 ——否定する理由など考えつくわけないだろ!?


 完敗だ。田口は顔を真っ赤にして黙るしかない。安齋はそれを『肯定』と受け取ったようだ。そしてひとしきり笑うと、田口を見据えた。



「お前が? そんな強引なことするのか? いや。しそうだな」


 変な誤解はやめて欲しい、と思い田口は、口を開いた。


「するとは思っていなかったのだ」


 ——ただあの時。確かに保住さんは、澤井と付き合っていた。それを引き戻したのは事実だ。


「無意識? それって本当にたちが悪いな」


たちが悪い……のだろうか」


「そりゃそうだろう? 悪意があったほうがまだマシだ」


 田口は保住に反発しながらも、いつのまにか恋心を募らせていた。文化課振興係に配属された頃の話だ。

 同性である上司への恋心に驚き、困惑したのを覚えている。かなりの葛藤であった。

 そして田口の思いを受け、保住もまた自分の気持ちに困惑していたと聞いている。


 澤井は、保住のことなら手にとるようにわかる男だ。そんな彼の揺れ動く心につけ込んで、既成事実を作り上げて、強引に付き合わせていた。


 いや。保住の中に澤井への好意がなかったのかといえば、それは否定できないことだろう。保住は少なからず澤井を信頼し、好意を持っている。その好意が恋愛のそれなのか、尊敬なのかはわからない。多分、本人もわかっていないだろう。


 保住が澤井と関係性を持っていることを知った田口は、辛い思いを押し殺して仕事に取り組んだが、すでに遅かったのだ。もう引き返せないところまで思いが募って……あの時は夢中でよく覚えていない。

 だが結局。保住は澤井との関係を終わらせて、こうして自分のそばにいることを選んでくれた。だから自分としては、安齋に笑われるほど悪いことをしたとは思っていなかったのだ。


 黙り込んで保住とのことを振り返っていると、安齋が腕組みをしてニヤニヤと田口を見ていた。


「信じられないな。おとなしそうな顔して。お前。略奪愛か」


「りゃ、略奪愛!?」


 田口は目を白黒させる。


 ——そうか。そうなのか。確かに。あれは……。人の恋人に手を出した構図だ。


 思い出しただけで顔が真っ赤になる。


「おい、どうした?」


 口元を抑えて恥ずかしさを堪える。


「ああ、おれとしたことが……」


「お前さ。本当どこまで無知?」


「……ッ、おれ。確かに。そうだ。あの時は……」


「恥ずかしい奴だな。そこで堂々としておけばいいものを。恥ずかしがっていたら恰好がつかないな」


「からかうなよ」


 田口は大きくため息を吐く。澤井に大きな顔しておいて。厚かましいのは、自分のほうだ。


「はあ……」


 安齋はにやにやしている。


「本当、スカしたやつだと思ったけど。田口、おれはお前が気に入ったぞ! 副市長の大事なものを横取りできる度胸があるとは。お見それした!」


「気に入られなくて、結構だ」


「そう言うなよ。今度、そのの話でも聞いてみたいものだ」


「職務中だぞ」


 安齋は悪戯な笑みを見せて部署に戻る。追いかける気にもならない。なにか良くないことが起こりそうで、胸のざわざわが大きくなった。




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