第2章 綻び
第1話 赤ペン先生は続くよ
市制100周年記念事業推進室が発足して、一ヶ月がたった。安齋も大堀も少しずつ保住のペースを掴んできたようだ。
あちこちから寄せ集めではあるが、それぞれの能力は低くはない。
文化課振興係に配置された時、自分は全く持って保住のお眼鏡にかなうことなく、最低点を更新していたのだが、二人に限ってはそんなことはなかった。点数を付けられることもなくスムーズに書類のやり取りをしているようだった。
現在のところのメインの業務は、初日に出そろったアイデアを元に、担当者が企画書の原案を作成するというものだった。市制100周年のメインイヤーまでは後二年だ。
三ヵ年で運営される事業は長丁場。直属の上司である澤井副市長からの承認をもらったアクションプログラムはこうだ。
一年目。二年目に開催されるプレイベント、三年目に開催されるメインイベントの企画準備。
二年目。プレイベントの開催と共に、メインイベントの企画調整。
三年目。メインイベント開催イヤー。
四年目。推進室は解散し、事後処理は観光部に引き継ぐ。
一年間かけて企画の立案を行うなんて、悠長な計画にも思えるが、それだけこの事業は大掛かりだった。なにせ百年に一度のお祭り。市役所全ての部署を上げて、なにかしらの企画を実行する。それを一元的にたった四名で行うのだから、それはそれは忙しいに決まっている。
——そんな無茶な話はない。
しかし愚痴を言っても始まらない。もうすでにそれは動き出している。市長の人気をなんとか維持するための切り札。失敗は許されないのだ。
まだ直接的に肩にのしかかっては来ていないものの、じわじわとくるプレッシャーは精神的に追い詰められるものだった。
推進室主催となる主要企画一つにつき、メイン担当者が決められた。
だが一人で全てを賄うことは難しい。一人だけに責任を集中させると、なにかと弊害があるためだ。
そこでメイン担当者以外にサブ担当者が割り振られた。つまり自分の担当した企画だけやっていればいいわけではないという事。
——たった四名しかいないのだ。仕方のないことだが、人の企画まで面倒を見ている余裕がないな。
パソコンと資料を広げて、キーボードを叩いてみたり考え込んでみたりしていると、時間がたつのは早い。なにせ前例のないことばかり。過去の資料なんてなんの意味も為さない。自分の想像力と経験に依存するしかないのだ。
「大堀、これ」
「はい」
ふいに保住の声に我に返った。つい先程、提出していた書類の精査が終わったらしい。
「安齋、修正して」
次々に呼ばれるメンバーは席を立った。
「田口」
田口は席を立って保住の元に立つ。彼はパソコンから目も離さずに書類を差し出した。
「コンセプト、もう少し明確に」
「はい」
書類を受け取ってから席に戻ると、目の前の大堀が顔色を悪くした。書類に視線を落として、真っ赤に赤ペンされているのを目の当たりにしたようだ。
「あちゃ……」
安齋も赤ペンを眺めてため息だった。二人の反応を見ながら、自分の書類の直しに取り掛かることにする。田口はそのままパソコンに向かった。しかし、ふと、大堀が田口「田口」と声をかけてきた。
「これって何回赤ペンされるの?」
大堀はぼそぼそっと尋ねてくる。田口は顔を上げて大堀を見た。
「室長が納得するまでだ」
「うへ……嘘でしょ。これで五回目」
「まだまだ序の口」
今度は安齋の書類を覗き見した大堀は顔を顰めた。
「安齋のは赤ペンが明らかに減っているじゃない」
「おれは優秀だからな」
「冗談でしょう?」
大堀はますますため息だが、そんなことをしている間に安齋は、予算の部分を訂正したようでさっさと保住のところに行った。
「室長、確認をお願いします」
「そこ置いておいて」
「はい」
保住は熱中すると周りが見えない。頭を掻いたりネクタイを緩めたりしながらパソコンに向かう彼。
——多分、安齋の書類に気が付いていないだろうな。仕方ない。
田口は、まだ手直しの終わっていない先ほどの書類を抱えて保住の元に行った。そしてそっと彼の肩に手を添えた。
「室長、書類見ていただけますか」
田口の感覚にはっとしたのか、保住は弾かれたように顔を上げた。
「田口か。なに? 聞いていなかった」
「そうだと思いました。この書類、見ていただけますか?」
田口は自分の書類と合わせて安齋の書類も差し出す。
「あ、ああ。わかった」
彼はパソコンを打つ手を休めて、田口からの書類に目を通す。
「田口、これ。さっきのと変わっていない」
「あれ? おかしいな。すいません」
「もう少し具体的にしろと言った気がする」
「そうでした。再考いたします」
さっと返された書類を受け取ってから席に座ると、田口の書類と続けて安齋の書類を見た保住は、安齋を呼んだ。
「安齋。予算書これでいい」
「ありがとうございます」
安齋は立ち上がって書類を受け取り、自席に戻ってから田口に耳打ちした。
「すまない。田口」
「いや。別に」
「え? なに? なに?」
今の一部始終の顛末を理解できていないのは大堀だけのようだ。田口も安齋も、特に深く説明する気がない。お互いに仕事に入る二人を見て大堀は、つまらなそうな顔をしていた。
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