第144話 誰がためのレッド・ドリーム(2)

「君、小学生?」

 目の前にいる男の人が、あたしを見下ろしながら話しかける。


「……」

 小学校の頃は他の人にほとんど話しかけていなかったあたしは、その声を無視してみんなの元に戻ろうとする。


「待ってくれ。……君、バスケが楽しいと思ってるのかい?」

「……」

 抱え込んだバスケットのボールをじっと見つめる。


 ……バスケなんて嫌いだ。


 男の子たちが楽しく遊んで、それをあたしは遠くから眺めるだけ。ぼーっと、眺めるだけ。あたしにボールが回ることなんて一度もなかった。ただあるとしたら……ボールが点々と転がった時、それを取りに行くだけ。

 少しでも遅れれば『のろま』だの、『使えない』だの言われる始末。断ったら断ったで、あとがめんどくさいし。

 見ず知らずの人にはっきりと言っていいのかな。そう考えていると……


「お~い何やってんだよ赤城~」

「モタモタしすぎなんだよお前~」

 いつもの男子が、あたしに向かってきた。


「ボールを取りに行くだけにどんだけ時間かかってんだよ~。日が暮れちゃう……ん?」

 その男子が、男の人に目線を上げる。


「おや、君たちもバスケをやってるんだね」

「……?そうですけど、おじさん誰?」

「おじさんかぁ……まだ20代なんだけどなぁ。まぁ僕は特になんてことない人だよ。通りかかっただけの」

 男子が怪しい目で男の人を見る。


「もしよかったら、僕も参加していいかな?少しは自信があるんだけど」

「いいけど……足引っ張らないでよ?」


 その男の人の腕前は驚くほどだった。

 いくら体格的なハンデがあるとはいえ、あたし以外の男子6人が束になっても、まるでボールを奪えない。あたしはその人の動きに釘付けになっていた。


「くっそ~!なんだよこのおじさん!おい赤城!お前も手伝えよ!」

「えっなんで……」

「いいから!」

 言われるがまま、あたしもコートに入る。


「……」

 その様子を、男の人はじいっと見つめる。まるであたしになんか興味はない……ようには見えなかった。

 あたしは走り、男の人に迫る。当然男の人は、それを避けようとする。しかしあたしはその動きを読んで、すかさずボールに向かう。

 だが男の人の方が1枚上手だった。それを読んだ男の人はすぐにあたしの横をすり抜けて、ボールを簡単にゴールへと運ぶ。


「おい赤城!ちゃんと止めろよ!」

 でも怒られるのはいつもあたしだ。今のボールだって、止めたくても止められなかったのに。と言うか、あたし以外の人はみんな、早々にボールを追いかけるのを諦めたのに。


「……」


 結果的に、男の人が25回シュートを入れるまで、あたしたちは一度もボールを奪えなかった。地面を転々と転がるボールを、男子が拾う。


「あ~あ、つまんねぇ!おれ、いちぬ~けた!」

「おれも~!大体赤城がちゃんとしないから面白くないんじゃんか!」

 口々に出るのは、あたしに対する嫌味と恨み節。これくらいどうという事はない。普段ならそう思えた。

 でも……今日は違った。あたしが前に出ようとすると……


「……」

 男の人に制された。


「彼女が一番ボールを追えていたよ。それに比べ君たちはどうなんだ?彼女に責任を転嫁するのが目的なように思えるんだが」

「は?そんなことないじゃん。そもそもおじさんがもっと手加減してくれたら」

「僕の質問に答えてくれ」

 有無を言わさない口調で男の人が言う。すると男子たちは、急にバカバカしくなったようで、ボールを持ったままその場を立ち去っていく。何かこちらに対して恨めしい言葉を言っていたようだが、あたしにはよく聞こえなかった。


「やれやれ。そもそもバスケはみんなでやるスポーツなのに、誰か1人に責任を背負い込ませるものじゃないよ」

「あの……ありがとうございました」

 あたしは男の人に頭を下げると、男の人はこちらに向かって静かに手を振った。


「君、あの男の子たちに、いつもいいように使われてたんでしょ?」

「……」

 その問いには静かにうなずく。いいように使われていた。事実なのだから仕方ない。


「でも、僕が言ったさっきの言葉、嘘ではないんだ。君が一番ボールを追えていたって事。きっといつもボールを拾いに行っていたことが、君が一番うまいと思えることに繋がったんだろうね」

「え?」

 いつも?その言葉にあたしは疑問を浮かばざるを得なかった。きょとんとしたような顔であたしが男の人を見上げると、男の人はくすりと笑った。


「僕のチームはこの辺りで練習していてね。そのたびに見るんだ。君が、男の子たちとバスケをしているのを。最も君は、全然乗り気じゃなかったみたいだったけどね」

「……」

 恥ずかしさのあまり、その場に縮こまりたくなった。そんなあたしを見かねたのかどうなのか、男の人は『ちょっと待ってて』と言ってから何かを取りに行く。


「ちょっと、やってみるかい?」

 それはバスケのボールだった。男の人はそのボールを持ったまま、あたしに微笑みかける。あたしはそのボールに目線をやったまま、動けなくなる。


「あれほど男の子に嫌味を言われたのに、ずっとボールを追いかけてたってことは、君、本当はバスケ好きなんじゃないかなって思ったんだけど、違うのかい?」

 少し悩むあたしに、男の人はボールを投げる。まずはドリブルを、と言った感じで手を動かす男の人に、あたしは見よう見まねでやってみる。

 しばらくボールが地面に打ち付ける効果音が反響する。


「おお、うまいね君」

「あ、ありがとう、ございます」

 勉強も運動も、まるでダメだったあたしは、親以外から褒められた事は今までなかった。そのことが、とても嬉しかった。

 地面からあたしの右手へ、地面からあたしの右手へ、丸いボールが吸い寄せられ合うように往復し、独特のビートを刻み続ける。


「よし、じゃあシュートを入れてみようか!」

 男の人がゴールを指差す。


「そ、そんな、無理ですよ」

「無理でもいいよ。チャレンジするのが大切だからね」

「……」

 ボールを両手で包み込むように抱え、ゴールを見つめる。『絶対に無理だ』と言わんばかりにゴールがあたしを見下してくる。

 気圧されそうになるが、あたしは意を決してボールを投げ込んでみた。

 ボールは真っすぐゴールに向かって飛んで……開いている大口にぶつかって、跳ね返った。

 やっぱりダメだった。そう、思っていた時、ゴールリングに跳ね返ったボールが、その奥の壁にまた跳ね返って……入った。


「……!」

 あたしはその光景を、眩しく見つめた。丸いボールはそのまま、降ってきた星のように見えた。


 この男の人こそ、高橋 勇樹さん。あたしの憧れの人であり……あたしのすべてだ。


 毎週の週末には、高橋さんに会えるのかな。そう思ってあたしはバスケットのコートへと足を運んでいた。

 男子たちはすっかりバスケと言うものに飽きてしまったようで、ゲームなどで遊んでいる。

 あたしには結果的に周りに友達がいなくなったが、あたしは高橋さんがいるだけで心の支えになっていた。


「……ん?お前……」

 そこへショートヘアの男の子が。入学式の時に出会った男の子……奏多君だ。


「えっと……キミは……」

「……灰島 奏多。まぁ、覚えなくてもいいけど。こんなところで何やってんの?」

 奏多君はこちらに近付いてくる。


「あ、え~っと……」

「こんな暑い日に外に出てたら倒れるだろ。早く帰った方がいいぞ」

 今日の気温は30度を超えると言っていた。まだ6月と言うのに、とても暑い。でも……


「こ、ここにいれば、会えると思ってるの」

「会える?誰に」

「……高橋さんって言う、バスケがすっごくうまい人」

 このころは高橋さんが、バスケットボールのチームに入っていることなんて知らなかった。たどたどしい口調でそれを言うと、奏多君は、


「ふうん」

 とだけ言って、あたしから離れる。


「えっ用事はないの?」

「ない。そもそも俺、図書館に行こうと思ってたし」

 そして奏多君は、あたしの元から離れようと背を向け歩き出す。その背中から何故か、放ってはおけないような気を感じた。


「……赤城 梓」

「ん?」

「あたしの……名前……」

 男の子に自己紹介をしたのは、高橋さんに続いて2人目。あたし的にはまるでバンジージャンプでもするかのような思い切りだった。

 奏多君はその言葉を聞いたか聞かずか、そのままあたしの元を去っていった。




 ……そのまま3年の歳月が流れ、あたしは小学校4年になった。

 高橋さんに対する憧れは月を追うごとに、年を追うごとに強くなっていき、あたしはいつしか運動が好きになっていた。

 勉強は相変わらずまるでダメだが、体育の点数では毎学期最高得点を取っていた。

 自分の事をより『よく出来る』ようみせるために、性格も明るく振る舞うようにした。

 その結果、あたしの元には友達が集まり始め……


「赤城!今日一緒に帰ろうよ」

「うん!」

 かつての人と話すのも億劫だった赤城 梓は鳴りを潜めた。

 しかしそれからと言うもの、高橋さんには一度も会えなかった。毎週のようにバスケのコートに向かっても、そこには誰も来なかった。


 そんな矢先の出来事である。


「あ?お前、バスケ部入んの?」

 目の前にいる男の子……灰色のショートヘアの男の子、奏多君が、あたしに対して言う。


「うん!やっぱり憧れの人に、ちょっとでも近付きたいから!」

「……ふぅん」

 奏多君はそれだけの言葉を言った。


「な、バカにしてるでしょがり勉君!」

「お前のその{がり勉君}ってあだ名よりマシだ。大体お前とその高橋さんって人とは性別から違うだろ」

「む~、性別なんて些細なことだよ!夢は性別を飛び越えるんだよ!?」

「何名言風に言ってるんだ」

 奏多君はノートに視線を落としながら、あたしのことなんてどうでもいいような素振りだった。


「むぅ……奏多君!ひどいよ!あたしが夢を喋ってるのに、全然聞いてくれないじゃん!」

「心配してないだけだよ。お前、運動神経{だけは}すごいから」

「むぅ~。何だかバカにされてる感じ」

 そう言いつつも、こうやってあたしに話しかけてくれること自体が嬉しかった。何と言うか、奏多君は……特別な存在だった。


 小学校の頃は男女混合のバスケだったが、その頃からでもあたしはメキメキと力を付けていた。

 相手からのカットを、ドリブルで巧みにかわしてシュートし、ゴールを確実に奪う。そのたびに周りの部員があたしに賞賛の言葉を送ってくれる。

 それがとても嬉しかった。単純すぎる性格かも知れないが、それだけであたしには十分だった。

 それがあたしのモチベーションにもなっていた。


 やがてあたしは、中学校に進学。その中学校では女子バスケ部があったので、あたしは即座に入部を決めた。

 最初こそ中学校の運動部のレベルに少し悲鳴をあげたが、それでもすぐに順応した。

 自分で自分を高く買うつもりはないが、運動神経には本当に自信があった。

 その結果がこれで、あたしにとっての大きな自信になっていた。


「じゃあ、また明日ね赤城さん!」

「うん!まったね~!」

 その日も、いつもと同じように帰路についていた。と、その時……


「あれ?君ってもしかして……」

 聞き覚えのある声が、あたしの耳に飛び込んできた。顔をそちらの声の方向へ向けると……


「!!?」

 そこに立っていたのは、高橋さんだった。

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