第143話 誰がためのレッド・ドリーム(1)
……まぶしい。真っ白な天井だ。
電気がその真っ白な天井に光のベールをさらに纏わせる。
あれ?……ここは、どこ?確かあたしは試合をしてて……それで……
「……!梓っ……!」
目の前にすずっちが見える。……すずっち……か。絶対怒るだろうな。奏多君も言ってたもん。『このままだと倒れちゃう』って……
そんなバカなことをしたあたしを、すずっちは……
「よかった……!よかった……!」
涙を流して喜んでくれた。
「す、すずっち、そんな、大げさ……痛っ!」
「あ、バカ!動かすな!」
足には動かないように、厳重にサポーターが施されている。えっと……たしかあたしは……
「ご、ごめん……」
「いや、いいよ。別に……とにかく左足だけは動かすなよ」
しばらく病室を、静寂が包む。
「ねぇ、すずっち……何が起きたの?」
「……あんだけ派手に転んだんだ。意識が飛んでも無理はねぇ。……それに……」
それに、と言ってすずっちはあたしの左足……いや、左膝を見る。厳重に固定されてあるのを見て、あたしですらただ事ではないことは察せていた。
「……ねぇ、すずっち。あたしって……また、バスケ出来るの?」
「……出来るぞ」
すずっちは淡々と答えた。……よかった。またバスケが出来るなら、それだけで十分。あたしはほっと胸をなでおろす。
「……ごめん。梓」
「……え?」
想定外のすずっちの声に、あたしの中の時が止まった。
「オレが……もっと止めてたら、お前はこんな深刻なケガせずとも済んだのに……ごめん……本当に」
「すずっちのせいなんかじゃないよ!無理したのはあたしだから……あたし……だから」
なんで?なんであたしはすずっちに謝らせてしまったんだろう?すずっちは頭を下げながら、あたしの方を向かない。その『見えない顔』が、あたしに絶望を与える。
「すずっち、お願い、顔を上げて……」
その言葉は、すずっちに届いていないようだった。
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「……」
出さんの車で病院へ向かう中で、俺はさっきの事を思い出していた。
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「試合を見に来たって……」
男に向かい合って、俺は声を上げる。
「試合云々の前に、ケガ人が出てるんです!それを無視して」
「無視?何が?興味のあることに興味を示して、興味がなくなったら見限って、それの何が悪いの?」
男は俺に向き直ってくる。
「それに、ケガ人が出てるから助けてって、偽善者ごっこ?そんなの真っ平ごめんだよ。大体{それを無視して}って言ってるけど、君はどうなんだい?無視してないとでも言ってるの?君だって赤城さんを無視してここに来てるわけだし」
「そ、それは……」
ん?
「なんで赤城の名前を……?」
「自分の体も律することが出来ない。そのせいでまるで動けない。そして今回の大けが。はっ、赤城さんには心の底から失望したよ」
その言葉に俺の血液が煮え始めた。男を見る目が、徐々に殺気を帯びてくる。
「とりあえず{あんなの}僕のクラブにはいらないから。そうとだけ伝えといてくれるかな」
「ちょっと待てよ!」
走りだそうとした時に、後ろから腕を掴まれる。
「そこまでだ灰島君」
出さんだった。
「な、何を……離してください!」
「離したらそのままの勢いで灰島君、彼殴っちゃうだろ?出来ない相談かなァ」
俺はだらんと腕を降ろす。いつの間にか、右腕を振り上げていたようだ。
「……君がやるべきことは、今この場で彼に怒ることじゃない。やることを見誤らないで欲しいところだ」
「すいません……試合は」
「今梓ちゃんを担架で運んだところだよ。多分もうすぐ再開するんじゃないかな」
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結果的に試合は、昇陽の惨敗に終わった。しかも対戦校の選手も同じ条件なのに。である。
「梓ちゃんには、今日の試合の事報告するのかい?」
「えぇ。気にしてましたから。……ただ……」
あの梓の転び方を見て、俺は気になることがあった。
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「……」
試合の行方を不安そうに眺めるのは凛。
「どうした?凛」
「赤城さん……どうかしたのかな」
そう言いつつ凛は、梓の左足を指差す。俺はその左足の動きに目線を奪われる。……まるで左足だけが鉄と化しているように、その場からほとんど動かない。
普段はなんてことないパス回しも、まるで通らない。カットですら、まるでうまく行かない。その動きの違和感に、麻沙美、麗華、すずも気付き始める。
「奏多君、何か知ってるの……?」
「……」
――今回だけは……誰にも邪魔されたくないんだ。あの人の前で……恥ずかしいことは出来ないから……
「……いや、何も」
「……そっか」
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そしてその後、問題のプレーが起きた。振り返ったところへ他の選手が激突。そして梓は左膝から落ちた。……何か大きなけがをしていなければいいが……
「あ、ここでいいです。ありがとうございます」
「……灰島君」
降りる前に、出さんが俺に話しかけた。
「……すずの事、頼むよ。多分あいつ、今……」
病院の処置室の前にやってくると、すずが病室の前に、まるで番人のように立っていた。うつむいて、表情はうかがい知れない。
「……すず」
「!!?な、なんだ……奏多か」
ひどく驚いたようで、びしっと背筋が伸びる。
「わ、わ、悪い。今日なんか寝れなかったから、今……」
「嘘付け。その割には朝は元気そのものだっただろうが。……どうせ、梓のケガは自分のせいだって思ってたんだろ?」
「……」
図星のようだ。すずはしばらく押し黙った後、処置室の窓から眠っている梓の様子を見つめる。梓は極めて落ち着いたように眠っていた。左足は厳重に固定されている。
「……左膝の半月板損傷」
「?」
「梓の診断結果だ。手術も必要になるらしい。あんだけ派手に左膝から落ちたんだ。むしろ靭帯とか切ってなくてよかった」
左膝の半月板損傷……俺はすぐにスマホで調べる。膝に強い衝撃を受けた際に起こりうると言う膝のケガだと言う。
「基本的には投薬による治療らしいじゃねぇか。ならよかっ」
「……梓、1センチ以上行ってしまってるんだ。手術は……避けられねぇらしい」
手術……
「な、なぁ、じゃあ梓って……」
「あぁ。最悪の場合……高校にいる間はバスケが出来ない。決まってた留学の事も……影響が出るだろうな。間違いなく」
そう、言い終えた瞬間……
「くっ……!」
「すず」
すずの瞳から、大粒の綺羅星が零れ落ち始める。綺羅星は病院の床に落ち、そして細かな破片とその姿を変える。
「お前がここにいる理由って、梓の姿を見るに堪えなかったんだろ?」
「オレがもっと強く止めてりゃ……直接会って説得してりゃこうはなってなかったはずなんだ……無理してるのを止められずに、ケガさせて苦しめて、何が親友だよ……!」
「お前のせいじゃないだろ。だから気を落とすな」
「じゃあ誰のせいなんだよ!?梓か!この日のために頑張ってきた梓か!?」
いきなりの大声に背筋が伸びる。それを言った後、すずは急に我に返ったのか、俺から少しだけ離れる。
「わ、悪い……」
「……出さんに聞いた通りだな。お前……相当気負ってる」
「……」
その言葉に何も返さなかった。それが答えなのだろう。しばらく凪のような時間が訪れ……そしてその時間に終わりが来る。
「奏多君」「奏多先輩」「奏多さん」
残りの3人もやって来た。
「お前ら……来たのか」
「赤城さんがケガしてるんだもん、放っておけないよ」
「すごい音してましたもんね赤城先輩……大丈夫なんですか?」
俺よりもすずが説明したほうがいいだろう。そう思いすずに視線を送ると……
「……わかった」
すずは察したのか、説明を始めた。そして……そこに至るまでに至った経緯も。相当足に負荷をかけて特訓していたことも。
「「「……」」」
3人に重い空気がのしかかる。
「あいつには憧れの人がいるんだ。その人が、今回の試合を見に来るってことであいつ、相当張り切って練習してたんだ。……その結果が……これなんだ」
「……なんで」
凛が落ち込んだ様子で声を発する。
「なんで努力って……報われないんだろう」
「……」
再び重苦しい空気が周りを包んだ。その後は誰もが、眠っている梓を目で追うだけで声を発することはなかった。
ただただ、時間が過ぎていき、そして……宵闇がやがて辺りを覆うまで、俺たちはその場に立ち尽くしていた。
家に帰ってきてベッドに寝そべった後も、俺は梓の事を考えるばかりだった。
男女の仲、その前に幼馴染だ。やはり幼馴染がこう言ったケガを負うのは、俺としても耐えられない。
あいつが夢……そして憧れのために追い続けてきた、高橋勇樹と言う男……そのためにあいつはオーバーペースを続け、今回の大けがに繋がってしまった。
――それに、ケガ人が出てるから助けてって、偽善者ごっこ?そんなの真っ平ごめんだよ。
――大体『それを無視して』って言ってるけど、君はどうなんだい?無視してないとでも言ってるの?君だって赤城さんを無視してここに来てるわけだし。
「……あっ」
俺はつい声を漏らした。怒りに身を任せ、その時は頭になかったのだが、昼間に会ったあの傲慢な男……
俺が依然調べた、高橋 勇樹の顔写真にそっくりだ……
あんな奴を梓が尊敬しているのか。憧れているのか。あの顔は心の底から梓を軽蔑している顔だ。
あいつが梓に対して何をしたのかはわからない。何を吹き込んだかもわからない。だが、それによって梓がオーバーペースになるほどに練習に打ち込んだのは紛れもない事実だ。
ただ……その事実を梓に伝えるべきなんだろうか?梓のモチベーションは間違いなく高橋なはずだ。なのに……あえて追い討ちをかける必要はあるんだろうか。
俺は少し悩んだが、今は言う必要はないと思い、そのまま気だるさに身を任せて目を閉じることにした。
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・
……何をしても、あたしはまるでダメだった。
運動も、勉強も、人に話しかけることだって、まるで出来なかった。
明るい人間になりたいと思った。でも、あたしには出来ないと思っていた。自分の事ぐらい、自分が一番知っているから。
目の前を、点々とボールが転がっていく。
「おーい赤城、取ってこいよ」
男の子の声が聞こえる。ボールを取りに行くことだけは、あたしの役目だ。あたしは運動が出来なくて、足手まといになるだけだから、らしい。
こんな事……したくなかった。でも、足手まといになりそうなのは事実だったからあたしは従った。
「あっ」
掴もうとした時、不意に目の前から、ボールが消えた。
「女の子なのにバスケをやってるのかい?」
……それが、すべての始まりだった。
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