第142話 角を矯めて牛を殺す

 そして、昇陽学園の試合の日がやって来た。


「あ、奏多先ぱ~い!」

 麻沙美が手を振る。この日は全員暇なので、梓を抜いた5人で観戦することにした。全員が全員夏場を過ごす私服で来ている。

 それにしても……私服で全員で集まるのは昇陽祭の時以来だ。何だかふわふわとした浮揚感に包まれる。


「試合は……これから30分後に始まるんだな。ところでみんな、バスケットボールのルールとかは知ってるのか?」

「うん。こんな事もあろうかと……バスケのゲームで自習してきたよ」

 本来ここで、『いや、お前なんでもゲーム知識だな凛』と言いたいところだったが、


「あれ?凛さんもですか?」

 と、麗華が横から割って入り、失敗。


「うん。という事は麗華ちゃんもなんだね。初心者なら初心者なりに、ちゃんとついていかないといけないからね」

「え?そんなゲームがあるならあたしにも教えてくださいよ!あたしバスケットのルールあんまりわかんないんですよ!」

 思い思いの事を話す3人。一応この3人には梓がオーバーペースで練習していることは伝えていない。伝えたところでこの3人が動いても、梓を止められないし、さらに梓に火を点けかねないからだ。


「……」

 すずが俺に手招きをする。


「……梓は?」

 その言葉には黙って首を横に振る。


「2日前から連絡がないし、連絡もしてない。{練習に集中したいから}って理由で、連絡自体を少なくしてほしいようでな」

 何故そこまでストイックにする必要があるのか……?俺の中の疑問は膨らむばかりだ。

 しかしもうすぐ試合が始まると言う事もあり、俺はすずと少しだけ話をした後3人に合流し、体育館へ向かおうとした。


 あれ以降、俺は高橋 勇樹と言う人間を調べた。

 日本人としてアメリカのプロバスケットボールリーグのチームに所属したことがあり、シーズンの得点王にも輝いたことがある。昇陽学園の出身という事は知らなかったものの、それでもかなりのカリスマだ。

 2年前に引退し、現在はアメリカのアマチュアバスケチームのコーチをしているらしく、アメリカでは超有名人らしい。

 しかし、日本では誰にも見向きもされない。確かにバスケは他のスポーツより伝えられないスポーツではあるが……ここまでなのか?


「おい、君」

「ん?」

 男の声で俺は振り返ると、そこには恰幅のいいロングヘアの男が立っていた。


「ハンカチ、落としたよ」

「あ、ありがとうございます。気付きませんでした」

「今日は人が多いから、気を付けるようにね」

 それだけを言うと、男は昇陽の中に入っていった。


「今の男……」




 体育館にやってくると、いつもの体育館が狭く見えた。やはり練習試合とはいえ他校との交流でもある。他校の生徒もいるからだろう。

 昇陽学園女子バスケ部の姿もある。体育館では練習試合の準備が着々と進められている。


「……」

 俺はあたりを見回すが、すぐに違和感に気付いた。


 ……梓が、いない。


───────────────────────


「……」

 あたしは左足の膝をじっと眺める。『表向きでは』特に違和感も何もない普通の左膝だ。その視線を、ゆっくりと部室の周囲に向け、そして再び左膝を見る。


「梓ネキ?どうしたんすか?」

 肩の筋肉を伸ばすみやみやの声で我に返る。


「うんうん?なんでもない。なんでもないよ!」

「……?だったらいいんすけど……とにかく今日の試合、がんばっていくっすよ!」

 みやみやのその言葉に、あたしは力強くうなずく。


 ……そう言ったあたしの額には、脂汗がじんわりと浮かんでいた。


 ・

 ・

 ・

「……梓にですか?わかりました。おい梓!高橋さんから電話だぞ!」

 この日の試合が10日後に迫った日、パパがあたしを呼ぶ。あたしは大急ぎで電話に出た。


「もしもし?」

「やあ、赤城さん。久しぶりだね」

「はい!高橋さんもお元気ですか?」

 弾むようにあたしは言葉を繋げる。

 高橋さんは、あたしにとってのすべてだった。憧れであると同時に、赤城 梓と言う人間を形作るに至るまでの、そのきっかけとなった人……

 その人があたしを知っている。それだけで、あたしがバスケをやるには十分だった。


「……それで、そろそろ心は決まったかい?」

「……」

 心……それはアメリカへの留学だ。憧れている人からの誘いは確かに嬉しい。嬉しいのだが……


 それは同時に、奏多君たちとの別れも表す。

 それに、すずっちの事も傷付けてしまったし、他のみんなにはそもそも言っていない。

 ……第一、言ったところでみんながみんな、あたしのことを受け入れてくれるわけではなさそうなので、ずっと言えずにいた。


「まだ決めてない……ようだね?」

「あ、あはは……ごめんなさい」

「まぁいいんだ。君の事だから大いに悩むといい。で、実は今度、僕に密着取材する番組があってね」


「それで君の高校であり、僕の母校である昇陽学園に行くことになったんだ。すでに聞いているかも知れないけど……」


 その言葉が、あたしの心に火を点けた。


 あたしはひたすらに練習に打ち込んだ。高橋さんが見に来るんだ。その前で恥ずかしいプレーなんて出来ない。

 体力に不安が残るので、ひたすらに走り込んだ。

 最近シュートの精度が落ちてきているので、シュートを何本も練習した。

 それでも体力が弱いと思ったので、練習後も走り込みなどを行った。夜になっても、そして朝も、ひたすらに。


 その特訓漬けの毎日は、あたしの筋肉に悲鳴を呼び覚ました。


「……」

 夜、あまり眠れなくなった。本来疲労感があればよく眠れるはずなのだが、あたしの場合違う。特訓をすればするほど、体力を付けようとすればするほど、何故か眠れなくなってくる。

 さらには足も、徐々に動かなくなってきた。走っている間や、バスケの練習をしている間は忘れられるが……それが終わると……


 そんな中、奏多君に言われたのが、


「……無理してないか?」

 と言う言葉である。だが、ここで奏多君に甘えたら、それは自分自身に負けることになる。


「……何が言いたいの?」

 それだけは嫌だ。あたしは奏多君のやさしさを突き放した。

 正直、奏多君もバスケと同じくらいに大切なものだ。だけど……


 そして試合の当日。あたしはバキバキと痛みが走る体をゆっくりと起き上がらせて……


「……?」

 左膝に違和感。立ち上がって歩こうとすると……


「痛っ……!」

 激痛が走った。痺れるような痛みが全身に向かってほとばしってくる。一瞬頭が真っ白になりそうな感覚に襲われる。


「……!」

 違う。違う違う。今のは気のせいだ。ここまで練習したのに、よりにもよって試合の日にこんなケガに襲われるなんて絶対にありえない。

 あたしは素早く首を横に振ると、立ち上がり、朝食を取りに向かった。

 ・

 ・

 ・


「これより、昇陽学園と北川学園による練習試合を始めます。一同、礼」

 全員で頭を下げ、『よろしくお願いします』とあいさつをする。そして全員が守備位置につく。

 ……あれほどあった膝の違和感は、コートに立つと嘘のように消えていた。

 うん、これならいける。これなら大丈夫。あたしはボールを目で追いかけ始めた。


 ……5分後、すぐにそれが気のせいだと言う残酷な現実を突きつけられた。

 なんで?なんで?

 パスカットのために伸ばした腕は、まるでボールに届かない。ボールを追うために走りだそうとしても、足がそれについていけない。

 そしてシュートも、リングに当たるばかりで、ゴールには一切入らない。

 そして肝心の体力は、と言うと……すでに満身創痍。まだ前半と後半。2クォーターずつあり、その1クォーター目なのに。

 ……なんで?体力をひたすらに鍛えたのに。なんでもう息切れしてるの?

 ……なんで?いや、なんで?と言う問いに、答えは簡単だった。


 ――無理してないか?


 奏多君のその言葉が、重く重くあたしの中で反響する。

 無理なんて……無理なんて……違う。違う違う違う。あたしは、あたしは……

 動揺を鎮めるように、パスされたボールを受け取ろうとあたしは手を伸ばして、


「!?梓ネキ!あぶない!」

 そのみやみやの声があたしに届くのに、少し時間がかかった。そしてその時間は……

 あたしの運命を決定づけるのに、十分だった。


 ゴキッ……!


───────────────────────


「!?」

 聞こえてはいけないような音が聞こえた。そしてそれと同時に、対戦校の選手と……梓が地面に激しく倒れ込む。


「梓ネキ!」

 コートの中にいる選手たちが、一斉に駆け寄る。梓も選手も、2人ともびくとも動かない。


「梓!」

 観戦者の中ではすずがいの一番にその中に飛び込んでいく。俺たちも急いで駆け寄る。


「しっかりしろ!梓!君も、大丈夫か!?」

「うう、私は、大丈夫……それよりこの子が……」

 女の子は少し意識が飛んだ程度で、重度のケガではないようだ。問題は梓。


「うう……ぐうっう……!」

 左膝を抱えたまま、まったく動けない。


「担架!」

「え?」

「担架!用意してください!救急車の通報も!こういう時の大人じゃないんですか!」

「は、はい!」

 すずの気迫のこもった声に、審判を務めていた人が急いで走りだす。


「赤城さんは……!?」

「……最悪、左膝やられてるかも知れねぇ。下手しちゃ……」

「……ば、バスケを」

「言うな!」

 何かを言いかけた麻沙美の声を、すずが大声で制する。その言葉は、正直俺も聞きたくはなかった。


「……」

「?」

 騒然としている先で、1人の男が体育館を静かに出て行くのが見えた。俺はそれを、本能的に追いかける。


「奏多さん!どこへ」

「悪い!梓を頼む!」




「あの!」

 炎天下の中に飛び出すと、俺の言葉に男は反応しなかった。……さっきハンカチを拾ってくれた男だ。


「手を貸してください!ケガ人が出てるんですよ!」

 その声を上げると……


「あ?僕は試合を見に来たんだよ。もうあの試合は続けることは出来ないだろ?」


 まるで男は、ゴミを見るような目で俺をにらみつけた……

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