第141話 I Have a Dream
……あたしには、夢がある。
そのためにバスケットボールにどこまでも打ち込んで、どこまでも自分を鍛え抜いて、どこまでも……その夢を追いかけていた。
……あたしには、夢がある。
そのために、ずっと自分自身にだけは嘘をつかないでおこうと、偽りのない笑みを絶やさずに浮かべていた。
……あたしには、夢がある。
でも……でも……
夢は叶わないからこそ、夢なのかも知れない。
届かなくて、まぶしくて、どこまでも遠い……それが、夢、なのかもしれない。
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「失礼します」
お盆休みが終わり、この日俺は、夏休みの中昇陽に来ていた。
学園長がこの日学校に来るという事で、黄瀬の事を聞いていたのである。その結果はと言うと……
「黄瀬 香澄さんは確かにこの学校に転入するね。誰から聞いたかはこの際聞かないが、2学期の初めから、この学校に転入する予定だよ」
「……」
正直黄瀬には聞きたいことが山ほどあった。
あの時なんで、コンビニの前で俺に出会ったのかも。そしてどうして朝比奈さん宅に脅迫状めいたものを送ったのかも。
1階に降りてくると……
「あ、奏多く~ん!」
手を振ってこちらを向く梓。そのそばには、北斗の姿もある。
「梓、今日も練習か?確か4日後試合だったろ?」
「うん!その試合でも、あたし活躍しちゃうよ!見ててね!奏多君!今日もこれから、走り込んでくるよ!5キロくらい」
「元気だな……こんな暑い日に……」
「もちろん!あたし……」
「次の試合は思いっきり活躍しないといけないからね!」
「……?」
梓は妙に気合が入っていた。いや、確かに試合に対して気合を入れるのは大切なことだが……確か本格的な最後の大会があるのは冬……なんだよな。梓も『試合』と言っていたし。
「てことで、早速いってくるよ!みやみやも!」
「あ、あの……」
北斗も少し気にしている様子。
「う、ウチは今日……パスで……」
「え~!?最近付き合いが悪いよみやみや~!……でも、確かにあたしも誘いすぎかもしれないよね。大丈夫!みやみやも練習、がんばってね!」
それだけ言うと、話している最中に高速で足踏みしていた梓は、走りだした。
「あいつやる気満々だな」
と、笑みを浮かべる俺に対して、北斗はどこか心これにあらずのような遠い目をしていた。
「……どうした?もしかして、去年のあの試合……」
「それもあるんすけど、ウチ、ちょっと不安なんす。その……梓ネキ、なんだか最近おかしくて」
おかしい?確かにトレーニングに対する感じは少し熱が入りすぎている気はするが……別に特段不思議ではない。
俺は北斗に最近の梓の様子を聞いてみた。
「試合が一週間前に迫った時っす。その時から、なんだか梓ネキ、やたらと練習に重きを置くようになったんす。何だか異常なほど長い距離を走り込んだり、ひたすらシュートの練習に打ち込んだりして……昨日なんて、夜の8時くらいまでやってたんす」
「そういやあいつ、昨日7時くらいに電話した時も親御さんがまだ帰ってないって言ってたし、8時に帰った後も……」
――じゃ、今からクールダウンのジョギングに行ってくるから、また明日ね!
……明らかにおかしい。オーバーペースにもほどがある。梓の事だ。さすがに自分の体をキープできている……と、信じたいのだが……
俺は北斗に連れられ、体育館にやってくる。体育館の中では、女子バスケ部の人々がスクワットやストレッチなど、軽めのトレーニングを行っていた。
「あれ、北斗、赤城はどうした?」
「梓ネキは、今走り込みに行ってます」
やれやれ、と言う感じでため息をつく顧問の先生。
「最近あず……赤城はそんな無理をしているんですか?」
「あぁ、無理ってどころじゃない。自主練から、何から何までハードスケジュールが過ぎるのさ。やめろって言っても、{あたしは大丈夫です}って言っちゃうし」
顧問の先生まで舌を巻くほどである。さすがに俺も心配になってきた。俺は先生に無理を言って、ここで待たせてもらうことにした。
それから30分ほど経って、梓は戻ってきた。息を切らし、目は少し血走ったような目をして、そして体中を汗でびっしょりにしている。
「あ、あぁ……奏多君……まだいたんだ……」
「まだいたんだって……いちゃダメなのか?」
「うんうん?平気だよ。さてと、次はシュートの練習!」
それだけを言うと梓は走り去っていった。俺は大声を上げるが、梓には聞こえていないようだった。
……代わりに他の女の子の視線が俺に向けられ若干泣きそうになった。
「灰島さん!しっかり!」
やめてくれ北斗、そうやって無意識にトドメをさしにかからないでくれ……
ん?そう言えば、あいつなら知ってるかも……俺は練習に戻ると言う北斗と分かれ、一度体育館を出て……ある人物に電話をかけた。
「……梓の様子が変?」
すずだ。自他ともに認める親友同士なのだし、何か知っているに違いないと思った。すずはしばらく押し黙った後、ゆっくりと話し出す。
「なぁ奏多。高橋勇樹って元バスケットボール選手知ってるか?」
「あぁ、ニュース番組で見たことはある。確か今、アメリカでチームのコーチやってる人」
「実は彼、昇陽の卒業生で、梓の……憧れの人なんだ。それでその高橋さんが、梓にアメリカ留学を勧めた人でもある」
セミの鳴き声をバックに、すずが話を続ける。
「で、その高橋さんが次の練習試合見に来るらしいんだよ。あいつが張り切ってる理由ってそれじゃねぇか?」
「なんで高々一個の練習試合見に来るんだよ、元とはいえそう言うスター選手が」
「それがよくわかってねぇけど……テレビの企画かなんかじゃねぇか?で、多分オレの考えでは梓は高橋さんに自分の姿を見て欲しいから、躍起になってんじゃねぇかってわけ」
憧れの人を前に自分の実力を発揮する。確かにそれはまたとない機会かも知れない。それに……梓は前、こうも言っていた。
――あたし、あがり症で……昨日の試合でも、実力の1割も出せなかった……それどころか、コートがすごく広く見えて……相手チームの事も全然見えていなくて……
――あたしを信頼して、パスを回してくれるみんなの思いも……全部無駄にしてしまって……でも……そんなあたしのせいじゃないって、みやみやが言ってくれたんだ。全部、あの時パスを出した自分のせいって。
今度こそ自分が足を引っ張らない。そう言う決意の表れだろう。
「……でも、奏多」
「?」
目の前から声が聞こえてきた。パッと視線を目の前にやると、すずがこちらに向かって歩いてくる。
「なんだ、来てたのかよすずも」
「あぁ。借りてた本返すの忘れててな。で、今日はいずにぃもママも出かける用事がないってことで、ちょっとばかりぶらぶらしてるってとこ。……」
すぐさま体育館の中に目をやるすず。その視線の先に梓を見据える。梓は今度はスクワットをしている。しかも、かなり高速で。
「本当、やる気満々だなあいつ。どう思う?」
「……」
腕を組んだまま、険しい表情で見る。
「汗を異常なほどかいてるし、足の動きに繊細さがない。多分ここんとこのオーバーペースで体力を使い過ぎてる」
「じゃあ梓は……」
と、梓がこちらに気付いた様子で、手を振ってくる。俺とすずも適当に手を振って応えると、梓は全速力で走ってきた。
「どしたの?奏多君もすずっちも?」
その顔を見て、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。目が赤く、くまも出来ている。
「梓、お前最近ちゃんと寝てるのか?」
「ん?寝てるよ!寝てる寝てる!寝すぎなくらい寝てるよ~!」
絶対嘘だ。そうでなければこんなくまが出来るわけがない。
「ちょっと言いたいことがあるんだが……いいか?梓」
「あ、これからシュートの練習しないといけないんだ!ごめんすずっち!また今度ね!」
それだけを言うと、また梓は練習の中に飛び込んでいった。
「……」
結局どうすることも出来ず、その日は家に帰ることにした。そして家に帰った後、改めて梓に電話してみる。
「もしもし?奏多っ君っ!」
梓は何か息を切らしているような感じで走っていた。そして遠くに踏切の音が聞こえる……
「お前、帰ってからもトレーニングしてるのか?」
「うん!走りっ込みだよ!あたし体力があまりないから、少しでもつけようかなって!」
そのまま走りながら俺と、他愛ない談笑を続ける。……いや、この状況も十分におかしい。
「……で、ど~したの?奏多君。今日学校で会ったばっかなのに、奏多君から珍しいね」
「あのさ、梓。……すずが言ってたんだ」
『あいつは絶対無理してる。あのくまも目の赤みも、運動によって肉体を興奮させすぎて睡眠に悪影響を及ぼしてるんだ。疲労を感じないくらいに脳が興奮してしまってる。典型的な、オーバーペースのアスリートにありがちな状態だ』
「このままだとお前、ぶっ倒れるぞ」
そう言ったのだが、梓はそれを右から左のように走っているようだった。それどころか俺(と、すず)の忠告をゲラゲラと笑うように一蹴する、
「ぜ~んぜんないない!毎日快眠だよ!か・い・み・ん!毎日寝れてるよ~!」
「……無理してないか?」
俺がやさしくそう言う。こういう時は梓は大人しくなる。俺はそうたかをくくっていた。そして足音がゆっくりと、ゆっくりと遅くなり、完全に止まる。
次にこいつは多分、『奏多君には~』と言った感じで話し出すだろう。俺はその次の言葉を
「……何が言いたいの?」
待って……え?
「何が言いたいの?奏多君」
「何が言いたいって……お前、少しは練習量セーブしないと、本当にぶっ倒れ」
「怒らせないでくれる?あたし、こんな事で奏多君を嫌いになりたくないよ」
あまりにも冷たい反応に、逆に俺の血液は熱くなり始める。
「お前の事を心配して言ってるんだ。なにもそんな言い方することないだろ!それにこれはすずが言ってたんだぞ」
「だから何なの!?あたしが大丈夫って言ってるの!奏多君もすずっちも、何も心配することないじゃん!」
「お前だから心配するんだよ!お前が次の試合にかけてるのはわかってる!でもその試合を前に、結果を出す前にぶっ倒れたらそれこそ本末転倒だろうが!」
その言葉を聞いても、梓は何のリアクションも示さない。静かな時が少しだけ流れた後、
「……ごめん。もう切るね。奏多君」
と、梓が口火を切った。
「お、おい!」
「今回だけは……誰にも邪魔されたくないんだ」
「あの人の前で……恥ずかしいことは出来ないから……」
まるでケーキにナイフを入れるかのように、すっぱりと音声は途切れた。
問89.『わずかな欠点を直そうとして、かえって全体を台無しにしてしまうたとえ』と言う意味のことわざを、動物の名前を使ってなんと言うか答えなさい。
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