第145話 誰がためのレッド・ドリーム(3)
「た、高橋……さん……!?」
「おや、僕の名前を知ってくれているんだね。バスケは野球とかに比べて少しマイナーなスポーツだから嬉しいよ」
そう言うと、高橋さんは近くのとある場所にあたしを連れていく。そこは……
「あっ」
高橋さんに初めて出会ったバスケットコートだった。今は開発が進み、バスケットコート自体が狭くなった代わりに、公園が併設されている。
「覚えているかな。僕と君が初めて出会った場所。あの時初めて君に出会った時……君は男の子たちから仲間外れにされていたよね」
「うう……恥ずかしい限りです」
すると高橋さんは、バッグの中からボールを取り出す。
「え?どうして?」
「今日は試合もないから、少しばかり練習したいと思ってね。君もやるかい?」
その言葉に、あたしは大きくうなずいた。
ボールを追いかけることが必死だった小学校の頃と違い、今は多少はスピードも体力もある。高橋さんの動きについていくことも、多少は可能になっているはずだった。と……
「!?」
あたしは高橋さんからボールを受けとる。シュートを入れて欲しいという事なのだろうか。
特に狙う事もなく、肩から力を抜いて、ボールには手を添えるだけのようにしてすいっと投げる。ボールは何の抵抗もなくリングに吸い込まれていった。
「おぉ、すごいね。楽にシュートが出来てる感じがするよ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
その言葉が、本当に嬉しかった。憧れていた人に褒められることは、あたしにとっての活力にもなっていた。
パス回しをしたり、ドリブルをしたり、フリースローの練習をしたり、大体2時間ほどみっちりと練習する。
気が付くと空は赤色から、紫色へと変化していった。
19時を告げるチャイムと同時に、あたしは時計を見る。
「え!?もうこんな時間!?」
「しまったな……つい熱中しすぎちゃったね。親御さんも心配してるだろう。……君の家はここから近いかな?」
「え?」
帰宅すると、パパとママがすぐに出迎える。
「梓!遅かったじゃねぇか!一体何を……」
パパがすぐに、あたしの後ろにいる高橋さんに目をやる。
「ごめんなさい。ちょっと彼女に練習を付き合ってもらって、気が付くとこんな時間になってたんです。僕の不注意で娘さんを危険な目に遭わせて、本当にごめんなさい」
「え?……そ、そうなのか?梓」
あたしは黙って首を縦に振る。
「まぁ、それで送り届けてくださったの?わざわざごめんなさい。よかったら上がってください。ごはんの支度できてるんで」
「いえいえ、僕は彼女を届けるためにここに来たんで、お気遣いなく」
そのまま背を向ける高橋さんに、あたしは……
「あの!」
「ん?」
「もしよかったら……また練習しませんか?一緒に」
……その約束は、今の今まで果たされることはなかった。
『新しい天地を目指すために挑戦を続けたい』それが高橋さんの言葉だった。高橋さんは、あたしが中学に入ると同時にアメリカに渡っていたという。一時帰国の時に、あたしに会いに来たそうだ。
約束は果たされなかったが、あたしはそれでも嬉しかった。一時帰国の間にあたしに会いに来た。という事だけでも。
そのままあたしは高校になってもバスケを続けた。そして……いつしか昇陽のエースとまで言われて。
だからこそ、あの試合は悔しかった。
「……ごめんね、みやみや」
みやみやがパス回しを失敗した?違う。みやみやはあたしを信頼してボールをパスしたんだ。それを相手がカットした。
……あたしのせいなんだ。
昇陽のエース?そんなわけがない。周りに気遣いが出来ないあたしが、エースなわけがない。
だから、今度の試合こそ……今度の試合こそ……
・
・
・
「!?」
そこで、あたしは目を開けた。……長い間、幼いころの夢を見ていたようだ。
真っ白な天井、窓の外で朝からギラギラと照り付ける日差し、音を立ててこちらに冷ややかな風を送るエアコン。
「……夢……?……っ!?」
そして動かない左足があたしをふわふわした夢想の世界から引き戻す。
そうか、やっぱり……夢じゃなかったんだ。
昨日の夜主治医の先生がやって来て、手術の日が明日の水曜日に決まったという。水曜日……1週間経てば2学期だ。
リハビリで歩行がしっかりと出来るようになるまで学校への当校は認められていない。仕方ない事ではあるのだが、それでも……
ぼんやりと天井を見上げ、その後に扉……そして窓を見る。ひとりぼっちの病室は、かなり広く感じる。
「……みんな、何してるかな……」
そうしているうちに、スマホの待ち受け画面が7時を示す。看護師さんが、あたしの元にご飯を届けに来る。
食パン2枚、コンビニで売っていそうなサラダ、ミカン2房、ヨーグルト。あたしはそれを、ものの5分もしないうちに平らげる。足が動かないだけで、食欲はあるんだ。
そして食べると、また何もすることがなくなる。……お父さんがテレビカード買ってきてくれたし、テレビでも見ようかな。
「……続いてのエンタメ三面記事はこちら!高橋 勇樹さん、夢を持つ若者にエール!」
「!?」
ちょうどテレビで高橋さんの話題をやっていた。高橋さんの顔を見ると、なんだか気分が落ち着くように思えた。
「……」
そしてあたしの顔は、そのニュースを見ているうちに……
「……」
どんどん、どんどん……
「……」
ポトリ。
「では、続いて全国の天気です。進藤さ~ん……」
───────────────────────
……けたたましい音。スマホの着信音だ。俺は少しだるい体を起こし、スマホの画面を見る。
「……すず……?なんだ、こんな朝早くから……」
ボタンを押す。
「もしもし?」
「奏多!今すぐ{サッパリ!}を入れてくれ!今すぐ!」
「あ?」
俺は急いでテレビのリモコンで電源を入れ、サッパリ!にチャンネルを合わせる。そこに映っていたのは……
「!?」
高橋さんだった。高橋さんはスポーツショップのイベントのインタビューに応じている。その様子が映っている映像を見て、俺は息を飲んだ。
「昨日も僕の母校にバスケを見に行ったんですけどね。そこで無理して活躍しようとしている子がいたんですよ。そしてその子、ボーっと突っ立ってたら女の子とぶつかっちゃいまして。あぁ言う独りよがりな子がいると、どのスポーツでも大変ですよ」
「彼女には期待していたのに、残念です。心の底から」
テレビに映る高橋さんは、ハハハと笑いながらそう言っていた。
……テレビの情報だけを鵜吞みにすれば、悪いのはもちろん『無理して活躍しようとしている独りよがりな子』なのだろう。だが……
もしこのテレビを、梓が見ていたら……どうなるかは想像に難くない。
「高橋さんは今日、地元の病院へ入院されている人々を元気付けるために訪れるそうです」
地元の病院……まさか。
「……奏多」
「……おい、すず」
電話越しでもわかる。すずの声に、殺気がほとばしっているのが。
「止めるなよ……!」
その言葉を最後に、電話はプツリと途切れた。
「クソ……!」
俺も急いで、家を出る支度をして飛び出すように家を出た。
梓が入院している病院にやってくる。まだ時刻は9時だが、診察が始まったので人はそれなりに多い。
何度も何度も梓に電話をかけるが、出ない。一体どうしたのだろうか。病院だから出ないだけ……かも知れないが……
「赤城 梓さんの面会に来たのですが……」
「6階の611号室です」
看護師さんに話を聞き、俺はエレベーターで6階に向かう。
6階に来た。ナースステーションを横目に進んでいくと611号室が……
個室?しかも、扉の外からして結構広めだ。俺は扉をノックする。……反応がない。鍵はかかっていない。
中に入ると、ベッドにかけられたシーツが盛り上がっていた。左足だけがシーツからはみ出している。
「梓」
声をかけるが、何も返ってこない。……まさか。俺に焦りが浮かんだ。
恐る恐る梓のベッドに近付いてみる。すると……
「あれ?奏多君……?どうしたの……?」
梓が声を上げる。よかった、無事……では、なさそうだ。声にまるで覇気がない。
「……梓。どうした?」
「ど、どうしたって?あ、あたしは……いつもの……あた……あたし……」
……その動揺の意味が、俺にはすぐに分かった。だからこそ俺は、今度はこう言った。
「……無理、するなよ」
「……」
一瞬だけ『えっ』と言うような顔をしたあと。
「無理、なんてしてないよ!」
と、自分を奮い立たせるように声を上げる。
ポタ。
「……?」
何かがこぼれるような音がした。そして梓の方を見ると……
「……あれ……?」
梓は目から、綺羅星を落としていた。それは誰かのための涙ではなく、自分に対する涙。
「……」
俺はそんな梓を、静かに見据える。
「……奏多君……あたしって……やっぱり独りよがりだよね……いつだってどこだって、自分が一番だと思ってて……いつだって無理して失敗して……」
「……」
そんなことないぞ。とも言い辛かった。仮にここでそう言ったことを口走ってしまうと、梓は余計に自分を追い込む。そう思ったからだ。
――でも、奏多君はすごいよね!自分の力で、清音に受かっちゃうんだもん!
――推薦なんかで……入学するあたしとは違うよ。全然。
俺は『赤城 梓』と言う人間を知っている。そしてこの後、梓がどんな行動をとるのかも。
「……だから、奏多君ももういいよ……あたしなんかに……構わなくても……」
「……」
こうやって、人を気遣う……梓は落ち込んだ時でも、決して自分以外への気遣いを忘れない。
その梓が独りよがり……?そんなわけが……ない。
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