第122話 グリーンメイル・グリーンソード(8)
「まず皆さんは、この学校をどう思っていますか?{来るのが楽しい}とか{勉強が楽しい}とか、そう思ったことはありませんか?」
身振り手振りを小さくしながら、田辺が話を続ける。
「少なくとも、僕はそうは思いません」
そしてその言葉に、突然体育館がざわつきだす。それを制止するかのように、田辺は指を立てる。
「当たり前です。すべての教室にクーラーがないから、夏は暑くて冬は寒い。食堂の定食が高すぎてバランスのいい食事が出来ない。球技系の部活には一部の部活に全自動の空気入れ機がない。もっと言うならば全校集会の先生の話がいちいち長い」
笑いが起きる。今の欠点って……確か麻沙美の公約にも書かれていた……?
「僕はこの学校の痒い所に手が届かないような、{惜しい部分}を埋めていきたい。このままだと例えるならこの学校は、ジグソーパズルが完成したと思ったら1ピース足りない状態です。……まぁ、僕が言った欠点は4つなんですが」
しかし落ち着いているな……おおよそ俺たちの後輩とは思えない。
その後も演説を続けるが、まるで巨大な手に握られたように、会場の生徒たちの視覚と聴覚は、壇上にいる1人の少年に向けられる。
「……以上が、僕が生徒会長になったあかつきにやりたいことです。ですが、今ここで僕が発表したことで、きっと先生方はこう思っていると思います」
『あー、これ田辺が当選したらきっと学校荒れるなー』
『田辺が会長になったら、どうすればいいんだこれ』
『嫌よ!私は田辺が会長になるのを絶対認めないわ!』
「……って」
ひときわ大きな笑いが起きる。ユニークも真面目な部分も織り交ぜながら演説するのが本当にうまいな。
これは麻沙美、相当頑張らないといけないだろうな……
「という事で、僕の演説はここまでです。皆さん、僕、田辺 誠に清き一票をお願いします!」
そのまま拍手に包まれたまま、田辺は壇上を去ろうとして……
「ん?」
俺はその田辺が、体育館の2階の部分に目線を送ったことが気になった。
しかしゆっくりと去っていく田辺の背中は……どこか貫禄すら感じた。
「……あいつ、相当なうまさだな」
しかし、その演説が終わった後も、梓は帰ってこない。……あいつ、本当にどうしたんだ?と言っても携帯で連絡取るわけにいかないからな……
そして入れ替わるように麗華が入ってくる。
「では、続いてもう1人の立候補者の推薦人の演説から。2年D組、西園寺 愛奈さん」
「はい」
西園寺が壇上に入ってくる。直前までヒートアップしていた空気が、急激に冷めて来る。
無論全員が、壇上に上がる西園寺の言葉を待っている。
「……以上が、わたくしが緑川さんを推薦した理由です。皆さん、緑川 麻沙美さんに清き一票をよろしくお願いします」
拍手が起きる。しかし、その拍手は田辺の時の拍手とは大分ボリュームを落としたような拍手だ。
間違いない。体育館中が、田辺 誠と言う空気に飲まれている。
「続きまして、立候補者の演説を、2年D組、緑川 麻沙美さん」
麻沙美が歩いてくる。……その足取りは重い。緊張か、それとも……
「……あ、あたしが、今回……」
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落ち着いて、落ち着いて。大丈夫。何度も練習してきたから。そう、頭の中で何度も言い続けるが、
目の前にいる生徒たちを見ると、そんな事を考えていられなくなる。
「……あたしが、今回、この会長選に立候補した、緑川 麻沙美です。あたしが、今回……」
大丈夫。大丈夫。
言うんだ。伝えきるんだ。みんなに。それが、あたしが決めてきたことだから。
何とか演説も中盤に差し掛かってきた。……お母さん、使うよ。
「そのデータとして集めてきたグラフがあるので、こちらをご覧ください」
と、マイクを手に持ち、あたしがスクリーンの方を向くと……
「あ、あれ……?」
スクリーンには、何も映らない。どころか真っ暗になっている。
おかしい……何か影が入り込んでる……?だが、その影が一体どういうものなのか、あたしには理解できない。
ざわめきだす体育館、あたしに対する不信感の波が、奥から手前へと向かってくるようだ。
「あ~れれ~?なんで何も説明出来ないのかな~?おっかしいな~?」
岩清水が、勝ち誇ったかのようにこちらに対して歩いてくる。
「みなさ~ん?見てください?これがこの緑川 麻沙美って女の正体ですよ~?満足にちゃんとした演説の内容も用意せずに、賑やかしだけで出ているような、そんな女ですよ~!」
大きく動き回りながら言う。まるで全員に同調を求めているかのようだった。
「本当、色んな努力をしているナ……田辺君と違って、何の努力もなく、何の策略もなく、この生徒会選挙をぶち壊そうとしているためだけに存在しているよう!みなさ~ん!こいつはそんな女ですよ~!」
ざわめきが激しさを増していく。あたしはどうすればいいかわからず、その場に立ち尽くすだけだった。
……いや、立ち尽くす……だけじゃダメ。あたしは変わるんだ。だからこそ……
「違う、違うよ……あたしは」
「は?何反論しようとしてんの?」
岩清水はあたしに冷たい視線を向ける。その視線は、どこまでも濁って、どこまでも深かった。
「事実じゃん、何にも用意できてないのは。ただの賑やかしなのは。何?それとも何かいいわけの材料でもあんの?」
「そ、それは……」
キッと岩清水の方を見る。
「まさか{アタシがやった}とか言わないよね?濡れ衣まで着せるわけ?」
「うっ……」
確かに岩清水がやったという証拠も何もない。あたしは目線を向けたまま、動けなくなった。
「こんな寒いアンタショー見るためにみんな集まってんじゃないの。わかる?あ、バカだからわかんないかもね」
岩清水が歩き出す。その歩き方に、あたしは徐々に後ずさりする。
「ほら、土下座しな。みんなの前で、ちょうどいいでしょ?」
強気にあたしを責め立てる。まるで切れ味鋭いナイフが突き立てられたかのように、あたしは背筋が凍る。
周りにいる人々は、ざわめいたり、何が起こっているのかよくわからずに見つめ続けるだけだ。
「{あたしの茶番劇につき合わせてしまってすいませんでした}。ほら、言いなよ」
「……」
「言えって言ってるでしょうが!」
突然、岩清水があたしを突き飛ばしにかかる。あたしは避けられるはずもなく、突き飛ばされて……
ぼふっ
「?」
何かにぶつかって止まる。
「努力してないだと……?寒いだと……茶番劇、だと……?」
その感触は……奏多先輩だった……
「は?何アンタ。ギャーギャーうっさいんですけど」
「ギャーギャーうっせぇのはお前だろうが!」
あたしを静かに横にずらして、奏多先輩が大声を出す。
「何が{努力してない}だ!何が{寒い}だ!何が{茶番劇}だ!こいつはな、確かに田辺に比べて劣るかも知れないし、お前の言う通り賑やかしに過ぎないかも知れねぇ!でも!こいつはこいつで!ちゃんと努力してきたんだよ!毎日毎日校門の前に立って、{お願いします}って言ってきたし、自分に何が出来るかわからないから、色々調べまわったし!今の演説だって、田辺の後でやりにくかっただろうに、やりにくくても静かに演説してただろうが!何が寒い{アンタショー}だ。お前の方がよっぽど寒いだろ!人の努力を踏みにじるお前の方が!よっぽどバカだろうが!」
岩清水に指を差す奏多先輩。その目は血走っていて、少し頼りないながらも大声は体育館中響き渡っていた。
「は?何先輩風吹かせてんの?アンタ、寒いよ」
しかし岩清水にはまるで効いていない。さらに……
「そう言うのは、良くないと思うな、確かに」
田辺まで舞台の上に上がってきた。
「ナベく~ん♪そうだよね!こいつら寒いよね!本当バカみたい!」
そのまま田辺に近付こうとする岩清水。だがその時、スクリーンに何か画像が点いた。
「「「……え?」」」
それは、岩清水が奏多先輩に言い寄っていたり、他の生徒に対して脅しているような画像だった。
「な、何!?何これ!?」
「何って、これが僕の答えだよ。少し怪しいと思っていたんだ。あまりに僕に対する名声が、急激に集まりすぎてると思ってね。だから少しルールに違反してしまうけど、先輩方に協力してもらった。君と言う悪をあぶり出すためにね」
「は!?ルールに違反って!そんなことしていいと思ってんの!?アタシが一生懸命応援してきたの、バカみたいじゃん!?」
金切り声を上げる岩清水、しかし体育館の動揺は、今度は岩清水にすべて向けられている。
「ところがどっこいおむすび君!」
マイクに乗って声が聞こえる。それは赤城先輩の声だった。
「あ、梓?」
「はいは~い!あたしは今、スクリーンのある部屋にいます!実は今回、司会進行をするはずだった新島さんの協力の下、この部屋までやってきちゃいました!岩清水さん……だっけ?その連れの女の子たち2人とも、岩清水さんに脅されて協力してたのを喋っちゃったよ~!」
歯ぎしりをする岩清水。
「な、なんで!?新島先輩は今日休みって言ってたでしょ!?だからあの黒嶺先輩もすっごく緊張して……はっ!?」
黒嶺先輩は、先ほどまで緊張していた表情とは一変、冷静な表情をしていた。
「ハッタリをかけてたんだな。麗華」
「えぇ。新島さんは今日、ばっちり登校しています。私が田辺君と共に、この選挙における違法なルールを取り締まると先生にお伝えしたところ、先生も新島さんも協力してくれました。わかりますか?岩清水さん」
「寒い{あなたショー}はおしまいだという事が」
(いやいやドヤ顔するなよ……)
と、奏多先輩が思っていそうだが、あたしにとって救われた感じがした。
「大方僕が会長に当選すれば、自分は重要な地位につける……とでも思ったんだろうね。でも、僕から言わせてもらうよ」
そして田辺が岩清水の前に立ち……
「そんな独りよがりな人に手伝ってもらうほど、僕もここにいるみんなも困窮していないから」
「……」
岩清水は、すべてがひっくり返されたことに落ち込み、その場に膝を屈した。
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