第121話 グリーンメイル・グリーンソード(7)
日曜日……あたしは部屋から出て、色々と考え事をしていた。
月曜日に使う原稿……まぁ、原稿は使うわけにはいかないのだが、大まかな流れは書いて覚えておいた方がいいだろう。それをぼんやりと眺めながら、ここはどう言ったほうがいいか、どうすれば相手の注意を引けるか、と言うのを試行錯誤する。
お母さんがまとめてくれたグラフは、結局のところ使うことにした。一切使わない。と言うのもお母さんに悪いと思ったからだ。
そのあたしに、横からの紅茶の香りが意識を逸らす。
「あ、お父さん、ありがとう」
「はっは。今日はシナモンティーじゃないよ」
お母さんは今日、朝から出かけていて家にはあたしとお父さんしかいない。
「……」
紅茶に出来た水面に映る自分自身とにらめっこする。
――あぁ、期待してるからな。『麻沙美』。
奏多先輩から言われたあの言葉が、あたしの頭の中に反響する。
――お前はやさしいんだ。それでいて真面目だ。他者を慮れるその目。それがお前の『剣』になるんじゃないか?
「お父さん。ごめんなさい」
あたしは口を開いた。お父さんはあたしが何を言い出すのかわかっているのか、それとも驚いているのか、あたしからの言葉を待つ。
「ずっと、嘘をついていたの。かな……灰、島、先輩は、あたしの彼女でも何でもなくって……ただ、お父さんに怒られるのが怖くて、とっさに灰島先輩を巻き込んでしまって……」
「……」
お父さんは穏やかな目をこちらに向けて、あたしと同じくゆっくりと話し出す。
「知っておったよ。お前は、本当に嘘をつく割には嘘をつくのが下手だからな。だからこそお前の言う嘘にも、すぐに気付いていたさ。……もっとも、灰島君の積極的な動きに、最初は本当に騙されそうになったがね」
「……」
「では、逆に聞こう。お前はどうなんだね?」
「え?」
その問いに、意味を見出すことが出来なかった。それをフォローするかのようにお父さんが声を続ける。
「お前のあの{嘘}は、どこまでが{本物の嘘}なのかね?{灰島君が好き}と言うのも嘘だったのかね?」
「……」
奏多先輩が……好き。それも嘘。
……いや、嘘なんかじゃない。あたしは奏多先輩が……
「す、す、好きなわけが……」
「また嘘をつくのか?」
お父さんが笑顔になりながらそう言った。
「……そ、そんなの……先輩の前で、言えるわけがないよ……」
「なら、その{嘘}はまだ{本当}になる可能性だってあるんだな。あとは麻沙美の心次第だよ」
「……可能性……」
ずっと、先輩の事を思っていた。これは嘘偽りのない事実だ。現に先輩から、こう言われた時でも……
――お前との恋人ごっこも、結構楽しいしな。
……ごっこ。で終わりたくない。と思ったりした。
この感情に……嘘なんてつけない。つけるはずがない。……でも、奏多先輩はどう思っているんだろうか……
「……本当は奏多先輩の事が……」
「!!?」
ボソッと言った言葉に、お父さんは大きくのけぞった。
「い、今灰島君の事を、まさか名前で呼んだのかね!?付き合ってないと言っておきながら、実は仲は進展してるんじゃ!?」
「え!?あ、いや、あの……」
「やっぱり!やっぱりそうなのだね!式場の!式場の準備を!」
あー、結局お父さんは何も変わらない。そう思っていた時だった。
「……と、ちょっと前の私ならなっていただろう。だが、それは違うという事を、灰島君に教えられた」
「え……」
「今は決断を急がなくてもいい。お前が未来を{本当}か{嘘}か、どちらで染めるか……私たちは親として見守る役目があるからね。……そうだろう?ひなちゃん」
玄関の扉が開くと、お母さんが立っていた。
「き、聞いていたの!?お母さん!?」
「えぇ。でも、大丈夫よ麻沙美。大体はダーリンに聞いているから」
そのままあたしに向かい合うように、お母さんが座る。
「でもね。ワタシとしては……今の麻沙美の方がとても素敵に見えるわ」
「あたしが……素敵?どういう事なの?」
笑みがこぼれるお母さん。
「さぁ?それは秘密」
「え~!?気になるじゃん教えてよ~!」
そう言われても、お母さんは何も言わなかった。自分で気付け。という事なのだろう。でも……それが今はわからない。時間が経てば……わかるようになるんだろうか?
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「ひなちゃん」
麻沙美が部屋に戻った後、リビングに残る日菜子と潤一郎。
「私たちは、大きすぎる枷を麻沙美に付けてしまっていたようだね。しかも、自分たちが良かれと思っていたことで、ね。恥ずかしい限りだよ。よりにもよって、赤の他人にそれを教えてもらうなんて」
「えぇ、本当にそうね。灰島さんは、ワタシは悪くないとは言っていたけど……」
揺らめくコーヒーの湯気が、2人の両親を隔てる。苦い香りが部屋の中を支配する。
「しかしひなちゃん……どうだ、灰島君は。私がほれ込む理由もわかるだろう?」
「えぇ、休みを利用して家に帰ってきて良かったわ。彼のような人ならば、麻沙美の将来も明るそうなのだけど……」
そう言いながらも、ニコリと笑っている日菜子は、
「あ……そう言えば言いそびれていたわ。灰島さんに」
「何を?」
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翌日……
ついに、生徒会選挙の日を迎えた。今日の午後1時から5時間目を使い、演説と投票が行われる。だが……
「緑川 麻沙美をよろしくお願いいたしま~す……よろしくお願いいたしま~す……」
懸命に声を上げる麻沙美と西園寺に対し、声を上げずとも多くの人々がついてくる田辺。もはや選挙の演説をするまでもないと思えそうなほどの差だろう。
「あれ?今日れいれいは?」
と、梓の声で気付く。確かに人ごみの中に、いるはずの麗華がいない。
「お……おはよう……ございます……」
「ん?なんだ麗華、お前が遅く登校するなんて珍しい……な!?」
そこには、がくがくした足取りでやってくる麗華の姿。何故か顔もこわばり、おおよそわかる。
めっちゃくちゃ緊張している。と。
「ど、どうしたの!?れいれい」
「じじじ、実は……今日司会をするはずだった方が、欠席に、なりまして……急遽生徒会選挙の司会進行を私がする事になったんです。こここ、こんな大事な役割、やるだなんて思わなかったんで……」
「なんでよりにもよってお前なんだよ……他にいるだろ」
緊張している麗華に、俺は近付く。ついでに梓も。
「で、結局岩清水と田辺の関係はどうなんだ」
小声でささやくように言うと、麗華は少し落ち着きを取り戻したのか、俺の方を横目で見ながら、
「おそらく、田辺君は岩清水さんの事をそこまで買ってはいません。ですが、このまま田辺君が生徒会長になれば、岩清水さんの罪も不問に処されかねませんね。緑川さんのお母様がやった事も確かにやりすぎな気はしますが……」
岩清水のやり方はあからさまな印象操作だ。
確かに麻沙美(日菜子さん)の掲げた公約は行き過ぎていた、さらにはゴーストライターのような作られ方をしていたが、それはそれで他者を蹴落とすよう印象操作をしてもいい。という事にはなり得ない。
それになんだか、猛烈に嫌な予感がする。あいつがもし、推薦人の立場を越え、生徒会において重要な位についてしまったら……
また、麻沙美のような被害者が出るかも知れない。
だが、今更になって結果など覆るんだろうか。麻沙美は鎧を打ち破れるのだろうか。
自らが着た、『嘘』と言う鎧を……それはやってみないとわからない。もはや麻沙美はまな板の上の鯉だ。あとはどうなるか、ふたを開けてみなければならないだろう。
午後12時55分。
すでに選挙戦の準備が整えられている体育館にやって来た。明かりはうっすらと暗く、舞台の上にはスクリーンも見える。
おそらくあそこに、何らかのグラフなどを映し出す仕掛けがあるのだろう。それを使うのが、田辺か麻沙美かはまだわからないが。
「なんか……緊張してきたね」
梓がもじもじしながらその時を待つ。俺たち3年生は、一番前で見ている。
「なんですずっちが一番緊張してるの……?」
「ちょっちょっと、と、トイレ!」
あいつ意外とビビりなんだな……俺はトイレに行くと席を立った梓を見送った。
「……奏多」
その直後に、俺を呼ぶすずの声に意識を持っていかれる。
「どうした?」
「……いや、何も……」
「なんだよ、気になるだろ?」
しかしそれ以降、すずは何も言わなかった。
(なんだ……?あの舞台袖の女……岩清水、だったか)
その視線は、舞台袖に向かっているようだが、俺の言葉にすずはさらなるリアクションを取らなかった。
(あの笑み、なんか不敵な感じを浮かべてたが……)
午後1時になり、全員が席に着く中、体育館中が暗くなる。
だが、梓は帰ってこなかった。こんな時にどうしたんだ……?
それはさておき、麗華が壇上に現れる。そして……
ファーン
いきなりハウリング。そして笑いが起きる。あいつ、相当アガってるな……麗華は軽く咳払いすると、発言を始めた。
「ただいまより、第41回、昇陽学園生徒会会長選挙を始めます。本日、新島 葵さん病気欠席のため司会進行を代わりに務めさせていただく、3年A組、黒嶺 麗華です。よろしくお願いします」
拍手が起こる。
「まず初めに、1人目の立候補者の推薦人の演説から。2年A組、岩清水 薫さん」
「はい」
岩清水が壇上に現れた。落ち着き払っているように見える。……それに……
どこか、すでに勝ったかのように、勝ち誇ったような顔も浮かべている……
「以上が、アタシが田辺君を推薦した理由です。皆さん、田辺 誠君に清き一票をよろしくお願いしま~す!」
拍手が起きる。つかみとしては普通……と言ったところだろう。
「続きまして、立候補者の演説を、2年A組、田辺 誠君」
そして田辺が堂々と歩いてくる。演説をする台の上に上がる前に、彼は一礼して……
キィーン……
またハウリング。会場から笑いが起きる。
……いや、違う。今のハウリングは、きっと故意に起こしたものだ。演説を始める前、あんな風に高い音を出したら、誰だってその人物に注目が行く。
そして、田辺の演説が始まる。
「僕が、今回、この生徒会会長選に立候補した、田辺 誠です」
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