第120話 グリーンメイル・グリーンソード(6)

「すいません。黒嶺先輩」

 田辺君が私に対して言う。


「何が……あなたは私と生徒会にいた身。手伝うのは当然ですよ」

「でも、いいんですか?灰島先輩も白枝先輩も、すごく先輩に怒っていたようですが……」

 特に白枝さんの怒り方は……すごかった。下手すれば殴られていたのかもしれない。


「大丈夫ですよ。心配にしている以上に、私は奏多さんを信じていますから」

「な、なるほど……」

 何故かぽかんとしている田辺君。


「どうしたんですか?」

「あ、いや……どうして黒嶺先輩は灰島先輩の事を、名前で呼んでいるのかなと……」

「!!?」

 私は口を押さえ、顔を赤くした。


「……なるほど」

「なっなるほどではありませんっ!」


───────────────────────


 ……ルーチェタワー二次にやって来た。緑川はすでに下校しているようなので、もう帰っているはず。俺はそう思ったからだ。

 それにしても、麗華もやり方がうまくなったな。直接手を出すわけにいかないから、あのように回りくどい事をしたんだろう。

 正直説明に時間がかかったが(主に梓のせいで)。


「おや?」

 背後から声が聞こえ、振り返る。そこには潤一郎さんが立っていた。


「灰島君。もしや麻沙美に会いに来てくれたのかね?」

「はい。月曜日に生徒会選挙があるのに、あいつは自信をなくしているようだったので……」

「そうか。だが、麻沙美は家に帰ってから部屋に閉じこもることが多くなってね……」

 閉じこもる……大体何をしているのかはわかる。

 日菜子さんはともかく、潤一郎さんを不安がらせるのは大丈夫だろうか?


「でもね。灰島君。私は寂しい反面、嬉しいのだよ」

「嬉しい?」

 こくりとうなずく潤一郎さん。そして階上を見上げながら言う。


「こうして子供は、親から離れていくんだろうね。だけど麻沙美は{1人でやる}と私たちにはっきりと言ってくれたんだよ。そしてひなちゃんにもこう言ったんだ」


 ――お母さん、ごめん。今回だけは、今回だけはあたしにやらせてほしいの。


「そんなことを言ってたんですか」

 なんとなくわかる。緑川は……


 また、嘘をついている。


 そして潤一郎さんは、その嘘に気付いていて、あえて突き放している。

 潤一郎さんとしても、日菜子さんとしても緑川がこの後どのような行動をとるのか、見守るつもりなのだろう。


「……」

 なら、いい機会かもしれない。


「ごめんなさい!潤一郎さん!」

「うん?」

 俺は潤一郎さんに頭を深々と下げた。


「俺……俺、実は、潤一郎さんに嘘をついていたんです。ずっと、ずっと……緑川と、2人がかりで」

「……?」

 きょとんとした顔を向ける潤一郎さん。それもそうだ。いきなりこんな事を言われても……


「嘘、か。なるほど、その嘘と言うのは……」




「キミと麻沙美が、本当は付き合ってなどいなかった。と言う事だろう?」




「……え?」

 しばらく沈黙が続いた後、


「えぇ!?な、なんで……!?」

 俺は驚きのあまり、背筋を鋭く伸ばした。


「私はこれでも一応麻沙美の父親だ。麻沙美が嘘をついていることなんて、すぐにわかったよ。キミまで私を騙そうとしていたから、確信は少し揺らいだけどね」

「じゃ、じゃあ今までのも、全部俺と……緑川が嘘をついていたってわかってて」

 黙ってうなずく。


「だが、麻沙美が本当に{私が灰島君と麻沙美が付き合っているという事を信じている}と思い続けているのなら、知っていたと言うのは酷だろう?」

 そう言った潤一郎さんは、どこか満ち足りたような顔をしていた。


「だがね灰島君。私はキミと麻沙美が嘘をついていた……そうわかっていたからこそ、キミに対する援助を惜しまなかったのだよ。黒嶺君の時も、青柳君の時もね」

「……どうして」

「それはもちろん、キミと言う人間が好きだからだよ。灰島君」

 潤一郎さんは、にっこりと笑った。


「誰かのために体を張り、誰かのために行動し、誰かのために知恵を使える。そんなキミが、人として好きだし、尊敬できる。そんなキミだからこそ、麻沙美の事も任せられるし、そんなキミだからこそ……ひなちゃんは思いとどまってくれたのだよ」

 その言葉を聞いた後、日菜子さんが現れた。


「ひ、日菜子さん……なんで」

「全部聞いていたんですよ。灰島さんとダーリンの話を。そして、麻沙美の事もね」




 その後、緑川の部屋の前へ、俺1人でやってくる。


「……よう、緑川」

「!?……灰島……先輩?」

 俺の声に驚いたのか、それとも俺が来るとは思わなかったのか、緑川は驚きの声を上げる。扉越しにでも、緑川の背筋がピンと張り詰めたのがわかる。

 そしてまた静寂に戻る。


「なんで……灰島先輩がここに……言ったはずですよ!先輩はあたしたちと協力関係になってるから、あたしに構ったら」

「なわけないだろうが。仮にそれが本当だったら学校中の1年2年から白い目で見られるわ」

 図星だったのだろう。緑川は無言のまま、何も話さなくなる。


「わかってんだよ。お前は俺を巻き込みたくないだけだろ?俺たち3年が手を貸しちゃダメってルールがある」

「そうです。でも……灰島先輩を見ていたら、依存したくなっちゃいそうで……ダメですよね。あたし」

 そのまま、部屋の中から声が聞こえる。


「結局、自分が嘘をついて、それで灰島先輩の気を悪くさせてしまって……依存からの脱却を目指したのに、結局は灰島先輩の事を思ってしまう……弱いですよね。笑っちゃいますよね」

「弱いかよ」

 俺は静かにそう言った。するとさも当然のように『え?』と言う声が部屋の中から返ってくる。


「自分を変えたいと思って選挙戦に出た時点で、お前の事は弱いと思わないし笑わない。何とかして努力をしようとしてる奴は、絶対に笑わないさ。お前が今まで嘘をついてきた理由もそうなんだろう?{誰かを傷付けたくないから}って事じゃないか?」

「……どうして、そう思ったんです?」

「ずっと違和感があったんだよ。お前がなんで、急に俺の事を{彼氏}と呼んだのか……」


 ・

 ・

 ・

「そう、だったんですね……」

 日菜子さんも、俺と緑川が本当は付き合っていないという事をわかっていた。


「じゃあ、今回日本に帰ってきた本当の理由って……」

「灰島さんに、ワタシから話そうとしていたんです。もしかしたら、負担になってるんじゃないかって不安になっていて……でも、ダーリンから聞いたんです。灰島さんは、ワタシたちが思っている以上に麻沙美の事を思ってくれていると」

「部下に調査をしてもらっていたが、キミは麻沙美からの頼みを一度も断らなかった。麻沙美が無茶ぶりをいくらしようと、キミは嫌な顔ひとつもしなかった。キミは本当の意味の善意を知っているんだなと」

 潤一郎さんが言った後、日菜子さんは突然頭を下げた。


「ようやく灰島さんの言った言葉がわかりました。ワタシは……麻沙美を善意と言う名前の自己満足で振り回していたのですね……あの時はあのような無礼を言って、ごめんなさい」

「そんな、やめてくださいよ!前にも言いましたが、やり方自体は間違っていませんから」

 それを聞いた後、日菜子さんはそっと顔を上げる。そして静かにもう一度頭を下げた。


「……灰島君。ひとつ聞きたいことがあるんだ」

「なんですか?」

「キミはどうして……そこまで麻沙美にしてくれるんだね?」

「……わかるんです。俺も、緑川の気持ちが」

 きょとんとする潤一郎さん。

 そう、似ていた。何とかして他の人を傷付けずに、自分の身を守るために『鎧』を着て身を守る。そんな動きが、緑川と俺とで似ている。

 かつて、1人の男が黄瀬と言う少女に対してそうしたように。


 ――お前が俺に電話をかけてた……それがバレたら、お前まで停学処分を受けるかも知れないぞ。


 本当はあの時も、黄瀬の事を気にかけたかった。そして、俺も黄瀬に助けを求めたかった。

 だが、それは許されなかった。許されない……と、思っていた。だからこそ……俺は『鎧』を着こんだ。


「ダーリン」

「……そうだね。あまり聞くことでもないだろう。麻沙美はおそらく部屋の中だ。今オートロックを解くから、会いに行ってあげてくれ」

 ・

 ・

 ・



「だから、お前は潤一郎さんの評判を落としたくないから、俺の事を彼氏だと嘘をついた。だろ?」

「……灰島先輩には、敵いませんね。でも、そのために灰島先輩を巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」

 少し笑ったような口調で聞こえてくる、緑川の声。


「それだぞ」

「え?」

「お前の武器。それなんじゃないか?」

 にやりとしながら言う。『どういうことですか?』と緑川から当然の返しが来る。


「お前はやさしいんだ。それでいて真面目だ。他者をおもんばかれるその目。それがお前の{剣}になるんじゃないか?」

「剣……」

「そう、剣だ。お前が着こんでしまった{嘘}って鎧を打ち破る剣」

 その瞬間、目の前のドアが開け放たれる。そこには、少し目を閉じて考え込んでいる緑川がいた。


「だから、お前なら出来るはずだ。仮に負けてしまっても……納得できる答えは出せるはずだ」

「灰島先輩……あたし、やります。灰島先輩のためにも、推薦してくれた西園寺のためにも……学校のみんなのためにも、そして、お父さんとお母さんのためにも!」

 その目には、確かな光が宿っていた。嘘偽りのない、真実の光だった。


「あぁ、期待してるからな。{麻沙美}」

「……!?」


 俺の名前呼びに、一瞬たじろいだ『麻沙美』は……


「えぇ、見ててください!{奏多先輩}!」

 と、握りこぶしを作りながら言った。

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