第123話 グリーンメイル・グリーンソード(9)

 ……1週間後。

 俺は明日日本を発つという日菜子さんの元へ、麻沙美と共に来た。


「……」「……」

 目の前に置かれたシナモンティーを前に、俺と麻沙美は固まっている。


「え、えっと……ざ、残念、だったわね。2人とも……」

「よしなさいひなちゃん。中途半端な慰めは余計に傷付けるよ」


 ・

 ・

 ・

 結果的に、俺は岩清水を止めることは出来た。だが、これは俺も田辺もルール違反をしたことに相違ない。


「……あっ、え、えっと……」

 舞台の上にいる俺は、急に恥ずかしさが勝ってきた。


「わ、悪い!じゃ、なくて!失礼しました!」

 と、舞台を降りようとして、


「待ってください」

 田辺に止められる。


「……緑川さん。本当は、どんなグラフを出そうとしていたの?」

「え?……あの、えぇっと……」

 急にふわふわした意識が戻ってきた緑川は、戸惑いの顔を見せる。


「……緑川さん。僕はあなたに期待しているんです」

「え?」

「僕はあなたの演説を、改めて聞きたい。例えば……あなたはどうやってこの学校を変えたいのか、とか。どのように変えたいのか、とか。それを是非、聞かせてください」

 田辺は純粋な目で麻沙美を見つめている。麻沙美はそのまま田辺に視線をぶつけたまま動けない。


「……」

 止めた理由って……そう言う事だったのか。


「……お前の{剣}、見せる時が来たぞ。麻沙美」

「……あたしの……剣……」

 麻沙美はきりっとした目を田辺に向けた。


「あたしが目指したい学校は、みんなが{毎日でも来たい}と思えるような、そんな過ごしやすい学校です」

 スクリーンが使えないので、麻沙美は自分の口で言い始める。


「この学校に必要なものは、クーラーでも、食堂の価格設定でも、全自動空気入れでも……あ、いや、本当は全部必要なんですけど……でも、本当に必要なのは、熱だと思うんです」

 その後も、立て板に水のように話し始める麻沙美。岩清水がいなくなったことで、本来の自分を取り戻せたようだ。

 そう、嘘も何も言わない。混じりっけのない『緑川 麻沙美』と言う人間を。

 しばらく言い続けた後、田辺が麻沙美の方を向いて問いかける。


「なるほど、ですが、そう言った熱が生徒に伝えられない限り、結局は変わらないのでは?」

「いえ、人は変わるんです。変われるんです。だからこそ、あたしたちも変わることが出来れば、みんな変われます。例えるなら、あたしのように!」

「面白い事を言いますね。ただ……」

 麻沙美は田辺を相手に一歩も引かずに言葉を続ける。

 そう、嘘偽りのない、自分自身をさらけ出しながら、意見の言い合いはヒートアップしていく。

 その様子を、体育館中の生徒が固唾を吞んで見守っていた。全員の瞳が、緑川と田辺に集中し、視線が射られた矢のように降り注ぐ。

 だが、後方から見つめるだけだったが、俺にはわかる。


 麻沙美は、楽しそうだった。

 ・

 ・

 ・


「結果的に田辺が322票、麻沙美が203票。まぁ結構惜しいとこまでは行ったと思うんですが」

「はっはっは。惜しいところと言っても、負けているのは変わらないよ。まぁもっとも……」


「麻沙美はやり切ったようなので、そこは私としては嬉しいよ」

 と、潤一郎さんが言う。


「灰島君には話したよね。ひなちゃんは{失敗させるのが怖い}と」

「はい。でも、今回のは失敗……」

「そんなわけあるものか。失敗どころか、大成功だよ」

 頭を下げ、話し始めるのは日菜子さん。


「ワタシたち親が、知らず知らずのうちに麻沙美を、そして灰島さんにも迷惑を……枷を付けていた。{失敗させたくない}と言うワタシたちの思い上がりが、麻沙美に対して負担になっていたんです。それを……家族ではなく、あなたに教えられた気がしました」

 そう言った日菜子さんの顔は、純粋な顔をしていた。澄み切った目でこちらを見た後、麻沙美の方も見る。

 そして2人で笑い合う親子。俺はその2人が、本当の意味で親子になれた気がした。

 日菜子さんの『善意』と言う鎖で縛られてしまった麻沙美を、麻沙美は自分の手で、自分の意思と言う『剣』で断ち切ったんだ。


「そうと決まれば、灰島さん」

「はい?」

 すると日菜子さんは何かをテーブルの下から取り出した。


「これ、お詫びとしていただいてください!」

 それは、最高級のシナモンティーだった。しかも段ボールごと。何故かどすん、と言う音が反響する。


「……」「……」

 あれ?さては何も変わってないな?この人……


───────────────────────


 奏多先輩と共に、リムジンに揺られる。結局奏多先輩は、このシナモンティーを持って帰るみたいだ。『もらえるものはもらっといた方がいいだろ』と言うのは奏多先輩の言葉。

 でも……多分後悔すると思う。だって……


 あたし、そのシナモンティー飲みすぎてシナモンがトラウマになったんだから……


「……」「……」

 リムジンの中には運転手と、あたしと奏多先輩しかいない。すでに午後5時を過ぎたが、大分陽は長くなり、まだ青い空が見えている。


「奏多先輩。その……ありがとうございました。あたしと……あたしたちのために、ここまでやってくださって……」

「いや、俺はただ、お前を助けたかっただけだ。明日麗華にも、梓にもちゃんと礼を言っといてくれよ。特に麗華は、俺たちに嫌われる覚悟で田辺側に寝返ったふりまでしたんだからな。……すずを説得するのは割と骨が折れた」

 そして画面を見せる奏多先輩。


 いまこの瞬間選挙戦は田辺君の勝ちで決まり

 わたしはそう思っています

 しに物狂いで抗ったところで

 みなさんの心は変わらないでしょう

 ずっと見てきました

 がワタシはそう思います

 くるしむよりは、大人しく

 ろくな目に遭わないうちに

 まけを認めて

 ください


 あたしはすぐに、そのメールのの違和感に気付いた。


「これ、1文字目……」

「この時は、まだ俺たち上級生が、関わったらルール違反になるかも知れないってことを俺たちは知っていたからな。だから麗華も回りくどく伝えるしかなかった。そう、1文字目だけを抜いて、こんな風にな」

「い わ し み ず が く ろ ま く……岩清水が、黒幕……」

 ハッとする。


「じゃあ、黒嶺先輩は、最初から岩清水の事を怪しんでいた上で、今回の行動に?」

「あぁ。まぁ、田辺の出馬辞退の撤回を麗華が知った時点で、あいつは俺と麻沙美に協力するつもりだったんだろうけどな」

 そのままリムジンに再び揺られる。


「……奏多先輩。ひとつだけ聞きたいんです」

「ん?なんだ?」

「お父さんに{あたしたちが付き合っているのが嘘だった}って、言ったんですよね」

「あぁ。正確には、潤一郎さん側が{知ってた}って感じで言い始めたんだけどな。……それが、どうしたんだ?」

 それを聞いたあたしは、少しだけ顔を伏せる。

 今なら、思い切って言えるんだろうか。思い切って……自分の『鎧』を切り破って……


「あ、着いたな」

「……え?」

 気が付くと、確かに奏多先輩の家のすぐ前だった。もう、そんなに走っていたのか……!?


「悪い。ただ確かめたかっただけだろ?それに対して色々聞こうとするのは、さすがにナンセンスだったな」

「えっちょっ奏多先輩」

「じゃ、また明日学校でな。期末試験も近いから、明日からはビシバシ行くぞ」

 と、腕まくりをする素振り。

 ……違う。あたしが、あたしが言いたいのは……あたしが……言いたいのは……


「じゃあな。麻沙美」

 段ボール箱を手にする奏多先輩。それに対し、あたしは……


「奏多さん!」

「ん?」


「……本当にするのは……ダメですか……!?」




 ……しばらく、空白の時間が続く。あたしは自分でも、何を言っているのかよくわからなかった。だが、奏多先輩には……届いたと、思いたい。

 奏多先輩はこちらを振り返りながら、しばらく目を見開いて……


「……本当にって……何を?」

「……!?」

 しまった。

 急にこんな事を言っても、奏多先輩は戸惑うに決まっていた。なのに、あたしは何もわかっていなかった。

 最後の最後で、やってしまった。詰めを誤った感じがすごい。


「な、ななな、なんでもっありまっせん!」

「……?」


───────────────────────


「……な、何だったんだ?」

 と、俺はリムジンを見送った後で首をひねった。

 そして道路側に背を向けながら歩き出す。家までものの2分くらいだ。それくらい持っていこう。

 だが、どうにもあの2文字が気になる。


「……本当にする……本当、か。本当ってどういう……」




「本当に恋人同士になったらダメですか?と聞いたんです」


「……!?」

 背後に麻沙美がいた。麻沙美の顔は耳まで真っ赤になっていた。そしてそのまま、俺に歩み寄ってくる。


「ど、どこか鈍感で、どこか女心をわかっていなくて、どこか察しが悪い……そんな奏多先輩を含めて、ぜ、全部の奏多先輩が好きなんです。あ、う、嘘じゃありませんよ!むしろ、嘘の方がよかった……ですか!?」

「あ、麻沙美……お、お前……!?」

「こ、この思いは……嘘なんかじゃ、きっと止められないんです!ざ、残念でしたね!?奏多先輩!」

 そう、俺を指差しながら言ってきた。

 その顔はどこまでもまっすぐ俺の事を見つめていて……どこまでも、嘘偽りのない顔と、言葉だった。


「……で、では!また!へ、返事は後日で大丈夫ですから!」

 そして嵐のように、麻沙美は去っていった。

 俺はその麻沙美の向けた『剣』を受け止めたまま、動けなくなっていた。


 ……その様子を『あいつ』が見ていたことに、気付くことなんて、出来るはずがなかった。


───────────────────────


 待たせていたリムジンに乗り込み、あたしは顔を覆った。

 ……言ってしまった。言ってしまったんだ。奏多先輩に『好き』と。

 だが、この思いは『本物』だから、今更退くことは出来ない。

 あたしのその顔色に重なるように、茜空はあたしを照らしていた。




問72.『力が伯仲した二つの強豪が勝負をすること』と言う意味のことわざを、四方を守護するとされるふたつの生き物の名前を使って答えなさい。

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