第102話 青き柳と夢の行く先(10)

「ゆかり……貴様、俺の事を裏切っておいて、あまつさえこの失敗作の肩を持つのか!」

 大声を上げるお父さんに、両手を伸ばして道を塞ぐお姉ちゃん。

 私は立ち上がると同時に、ふらりと右側に倒れそうになる。右足を見ると……包帯の部分から血がにじんでいた。

 お父さんに会う前に変えた包帯。先ほど尻もちをついた拍子に、また傷口が開いてしまったようだ。


「何か言え!」

「言わない。そっちが聞く気ないんでしょ。だったらウチも言ってあげない」

「貴様……!」

 殴りかかろうとするお父さんに、私は抱きしめるように体を止める。


「まずは話を聞いて……何が正しいか、何が間違っているか、何が言いたいか、何をやりたいか……そこからでもいいでしょ……!?」

「黙れ!元はと言えばお前が意味の分からんことを言うからだ!」

 お父さんは、我を忘れてしまっている。だとするなら……


「……わかるよ、お父さん。私を連れ戻そうとしたのも、本当は排除することが目的じゃないってことくらい」

「……何を言って……」

「だって、私の排除が目的だったら、今こうやって私の言葉に足を止める意味も、{私の味方の}お姉ちゃんの事を気に掛ける意味もないもん」

 その言葉を言うと、お父さんはこちらに振り返る。それに合わせるように、私もやさしく微笑んで……


「全部わかってるよ。お父さんの事くらい」

「……!?」


 ――全部わかってるわよ。みんなの事はね。


 お父さんは少し冷静さを取り戻す。と、同時に、私の足もガクンと力が抜けた。


「凛!」

 お姉ちゃんが慌てて私を支える。


「平気……ちょっと、足に違和感があっただけ……」




 居間に戻ってくる。


「……だが、何故今唯の話をする。なにも言う事はもうないはずだ」

 確かにそうだ。私とお姉ちゃんは、あえて何も言わなかった。


「あいつは、夢をかなえたという希望を、一息に砕かれたのだぞ!しかも、見ず知らずの赤の他人の同僚に!それは紛れもない事実だろう!?」

「……そうだね。だけど……それは少し違うの」

「何が違う……!?何が違うというのだ!」

 私はお姉ちゃんに目配せする。


「父さん……これを見てほしいの。これは、母さんが亡くなった後、一度も入らなかった母さんの部屋にあったものなんだけど……」

 それは、お母さんの診察票だった。

 そこに書かれていたのは、驚くべきことだった。


 お母さんが……不治の病であったという事で、去年の1月、亡くなった時点で余命約3ヶ月だったということ。

 そして……診断日はお父さんが仕事に行っていたり、私たちが学校などでみんないなかった時のこと。


「お母さんは、私たちに心配かけまいと、病気の事をずっと隠してた。特にお父さんには……」

「何故だ……何故、何故俺に……」

 首を小さく横に振る。


「もちろん、お父さんが、一番お母さんを愛してたからだよ。お母さんが亡くなった時に、あれだけ号泣できるんだもん。……私なんて、悲しみより先に驚きが来て、涙も流せなかったのに」

「……」

 歯を食いしばるお父さん。


「一番、唯を、愛していた……だと……?ふざけるな……」

 そして立ち上がる。


「唯の体調の異変に気付けず、何が{愛していた}だ!大体、その診察票も本物とは限らないだろう!?何者か……例えば学校側が提出しに来たものである可能性もあるはずだ!」

「それは……わからなかった」

 わからなかった。その言葉を後押しするように、私はパソコンを取り出す。


「!?それは……唯が買ったというパソコン……」

「……ごめんね。お父さん」

 そして、私は静かに謝罪の言葉を口にする。


「……私が、もっと早く{お母さんが亡くなる間際までパソコンをしてた}って言えば……こんなにすれ違いは起きずに済んだかも知れないのに」

「どういうことだ?」

 そしてパソコンを起動し……


「……」

 パソコンを、起動した後……


「……お姉ちゃん、お願い」

「あんた……ゲーム以外機械音痴だったのね……」

 お姉ちゃんは慣れた手つきで、あるフォルダを開く。そこには、音声データが2個残っていた。


「な、これは……」

「たぶん、母さんが残してた音声データよ。ウチたちもまだ聞いてないけど……何が残ってるかはわからないわ」

 お姉ちゃんは恐る恐るクリックする。

 ……私も聞くのは初めてだった。だって、先に聞くのはお父さんにまたあらぬ疑いをかけられそうだし、


 何より、お父さんなしで聞く勇気がなかった。


 もしこれに、絶望に詰まったお母さんの声が残っていたら、それこそお父さんは……

 そう考えているうちに、音声データが始ま……


 ・ ・ ・ ・ ・


 ら、ない。そう、思っていた時……


『うえぇ!?これもう始まってる感じかな!?ごめんごめん!』

 お母さんの声だ。あわただしい中から始まったためか、少し息切れしている。


『えっと、この音声、聞いてるのは誰かしら。パパ?宗悟?ゆかり?凛?祐輔?……とにかく誰でもいいわ。出来れば、みんな一緒に聞いて欲しかったんだけど……』

 久々に聞くお母さんの声。もう、二度と聞くことは出来ないお母さんの声。

 その事実に、私は涙をこらえきれない。


『……ごめん!』

 その涙は、お母さんの声でせき止められる。


『まず、わたし、みんなに嘘ついてた。{大丈夫}ってずっとうそぶいてたんだけど、本当は今も、このまま後ろに倒れちゃいそうなくらいしんどいの。多分凛や宗悟とか、人の考えに聡い人ならそのうちわたしの診察票を見つけるかも知れないね』

 その診察票が、あの診察票だったのか。


『その、本当は教えてもよかったんだ。みんなに。でもね。もし教えちゃったら、特にお父さんや凛が、本当に絶望しちゃうかなって……最初に、診察を受けた時から、{もう治らない}って。余命は……あともって1年。ま、今日がその日なんだけどね』

 今日がその日……音声データはさらに続いている。


『でもね。これだけは信じてほしいの』


『……わたし、今とても幸せなんだ』

 その言葉に、3人とも息を飲んだ。

 もう治らない病気があるのに、後は死を待つだけなのに、お母さんはそんな状況を『幸せ』と言った。


『だって、夢である教師になれて、かわいい子供たちに囲まれて、大好きなパパもいて。そう考えたら、{死ぬ}なんて怖さ、なんてことないもん。きっとわたしが死んだら、パパは泣きそうだけど』

「……あぁ、泣いたさ」

 お母さんの言葉の最中に、お父さんが発する。その言葉は、虚無を帯びていて、どこまでも悲しく、どこまでも乾ききっていた。


『みんなの成長を見られないのは残念だけど……わたしはみんなのこと、大好きだからね。だから……みんなに一言ずつ言いたいことがあるの。……宗悟、あなたはすぐに、人の意見に流されちゃうから、たまには自分らしさを持たないとダメよ。あなたは強い人なんだから』

 お兄ちゃんはここにはいない。もし、この言葉をお兄ちゃんが聞いたら、どう反応するだろう。


『ゆかり、あなたは本当はやさしい人なんだから、憎まれ口ばかり叩かないようにね。祐輔。あなたと過ごした時間は短かったけど……あなたの事は、いつまでも見守っているから。……凛』

 私に対してどんな言葉が来るのか、ドキリとしながら待つ。

 ……が、その前に音声データの再生が終わった。何故か、ドアを開けたかのような効果音と共に。


「もう一個、再生するわね」

 お姉ちゃんがもう片方の音声データを再生する。


『……ふぅ、ごめんなさい。途中になっちゃって。……凛。宗悟、ゆかり、祐輔と違って、あなたが一番心配なの。あなたは体力がないし、ゲーム以外に何もやらないし、友達と遊んだって話題も、一向に聞かないし。……』

 突然、音声データが静かになった。そして……


『ごめん。凛。さっきあなたが{学校の先生になりたい}って言ってた時、初めて聞いたようなリアクションを取ってたんだけど……あれも嘘なの』

「えっ……!?」

『凛が学校の先生になりたいってことくらい、わたしは知ってたの。ゆかりの誕生日の時に言ったでしょ?{全部わかってるわよ。みんなの事はね}って。だから凛の夢だって、本当は知っていたの。……でも、あなたがそのことを{自分で}話して自信にしてくれることに期待してたから、あえて黙っていたの』

 ……やっぱり、お母さんはすごい。私は改めて感じる。


『凛だけじゃなく、他のみんなの夢も、わたしは応援してるよ。みんな。これから先も、色んな壁や、色んな試練にぶつかると思う。大丈夫。みんな、わたしとパパの子供だもん。どんな壁だって……一生、懸命……』

 咳き込みが聞こえる……この音声データを録音したのはやっぱり……あの時だ。


 ――さてと……ちょっと喉渇いたわね。凛、何か飲む?

 ――あ、じゃあ私が入れてくる。お母さん何飲む?

 ――そう……ね……麦茶で……いいわ。


 あの時だ。


『最後に……パパ。これから先……わたしがいなくなったら、間違いなくあの子たちは……パパを、必要とするわ。だから、パパ……』


『あの子たちの……{夢の行く先}の、その先に……立ってあげて』

 その言葉を聞いた瞬間、お父さんは……その場にうなだれた。


『愛して……るから、パパも……みんなも……お……な……じ……』


 ドスン!


『……お、お母さん!?お母さ』

 そこで、音声データは途切れた。


「凛は救急車を呼んだ。そう言っていたわ。おそらくお母さんは、音声データを切った後、この音声データを保存して……力尽きたの」

 お姉ちゃんは、涙をこらえながら言う。


「唯……唯……!」

 居間のテーブルの上に、小さな湖が出来た。お父さんは、その湖の上で、温かな雨を降らしている。


「……皮肉……だよね。お母さんの願いを、私たちは……何にも聞いてあげられなかった。それどころか、すれ違ってばっかりで。この音声データの存在に、もっと早く気付いていたら……8年前からのすれ違いなんて、なかったはずなのに……お母さんの死に寄り添ってなかったのは、私も同じだよ」

「……」

 それを聞くと、お父さんは、何もしゃべらなかった。


「出て行ってくれ……凛、ゆかり……」

 絞り出すように、そう言うお父さん。きゅっきゅと喉を鳴らしながら、必死に言葉を繋ぐ。


「俺はもう、お前たちにも、唯にも……合わせる顔などない……謝罪する資格も……何もない……すべては俺が……!俺が……!」

「……」

 私はお父さんに近付く。


「……!?やめろ!これ以上俺に構うな!お前と言う存在を、無茶苦茶にした俺に……!」

 そして、お父さんを背中から抱きしめた。


「……人生って、本当クソゲーだよね」

「……!?」

「グラフィックは綺麗だけど、死んじゃったキャラクターは生き返らないし、リセットボタンもないし、セーブポイントだって、ロードだって何もない」

 そしてそのまま、こちらを向かないお父さんに向かって言った。


「でも……選択肢は過剰なほどあるんだよ。だから……命があれば、私だって、お父さんだって、やり直せるはず。お母さんも、そう望んでるはずだから」

「……まだ俺の事を……{お父さん}と、呼んでくれるのか……?」

 そう言って、お父さんはそのくしゃくしゃになった顔を、私の方に向ける。私はにこりと笑ってこう言った。


「もちろんだよ。{パパ}」


 その日は親子3人で、夜遅くまで居間で涙を流しあった。

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