第101話 青き柳と夢の行く先(9)

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 ……その日の夜。


「……」

 ……家の中に、足音が響いてくる。そして、居間にその足音が差し掛かる。


「……お帰りなさい」

 私は、小さくそう言った。

 顔を実際に見るのは、2年ぶりの事だった。お父さんの顔は、2年前から、まるで変わっていないように見えた。

 しばらく私とお父さんは、じっと2人で見つめ合う。時計の針のカチカチと言う音しか聞こえない。


 ・

 ・

 ・

 ことは、5時間前……午後2時にさかのぼる。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 すでに息も絶え絶えの私は、歩くので精いっぱいだ。


「はぁっ……はぁっ……あっ……!」

 足がもつれて転ぶ。


「青柳さん!」

 慌てて黒嶺さんが手を添える。切れた右足から、出血をしていた。


「……青柳さん、足が……!?」

「……へ、平気……」

 歯を食いしばる。これぐらいの痛みがなんだ。他の人は、私より危険な目に遭っているんだ。

 それも、私のために。……だから、こんな所で止まれないし、痛がっていられない。


「ぐっ……!」

 だが、膝を曲げ伸ばしするだけで激痛が走る。まるで右足だけ手綱を放れ、言う事を聞かないようだ。

 当然そんなアンバランスな体勢で走れるはずもなく、私はその場に倒れ込んでしまった。


「青柳さん!」

「うぅ……うぅ……!」

 ダメだ。足に力が入らない。立ち上がろうとしても、立ち上がれないし、もう動かせない。

 まるでそこだけ分断されたように、一切その場から動こうとしない。

 痛い。痛い。痛い。

 この場にうずくまって泣き出したくなる。でも……


「行かなきゃ……!みんなのために……!」

 私は這いつくばるように進みだす。べちゃべちゃと、昨日の雨を含んだ地面が、私の体温を奪う。


「だ、ダメです!止まって!青柳さん!」

 大声を上げる黒嶺さん。だが、私はその声を無視する。……この声に従えば……私は壊れそうになるからだ。


「……うぐぐ……!」


 ――失敗作


「……違う……私は……!」


 ――失敗作


「違う……私……は……!」

「ダメなんかじゃない。なんて言いたいのかしら?」

「「!?」」

 目の前に立ちふさがったその『声』を聴いた瞬間、ついに私の意識は限界を突破して……




「……ん……」

 目が覚めると、そこは……懐かしい香りがした。私が……生まれ育った家、その場所だった。


「気が付いた?」

 目の前にお姉ちゃんと、黒嶺さんがいる。次に右足に目線をやると、右足は応急処置が施されたようだった。


「お姉ちゃん……」

「……感謝しなさいよ、黒嶺さんに。あの後……」


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「いたぞ!あそこに!」

 兄さん派の奴らが、ウチらの元にやって来たんだけど……


「ふん!見ろ!とんだ{失敗作2人}を捕まえてやったぞ!」

 って、兄さん派に化けて、ウチとあんたを捕まえた『フリをした』んだから。

 案外聞きわけがいい奴らばかりで良かったわ。すっかり信用して、ウチらは何の恐怖もなくここまでたどり着けた。ってわけ。


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「まぁ私は……」

 と、黒嶺さんが何かを言いかけて……留まる。


「「?」」

 私たち姉妹が同じように首をかしげるが、黒嶺さんは『なんでもない』と手を振ってごまかして……ん?ごまかし……?まぁ、いいや。とにかく黒嶺さんにも……他の人にも感謝しないと。


(危ない危ない……アビスで働いてることを青柳さんにはともかく、青柳さんのお姉さんにまで聞かせるわけにはいきませんしね……色んな意味で)


「!?他の人たちは……!?」

「その心配はないわ。凛とウチを捕まえた。そう言っておけばある程度は追撃は緩和されるでしょうし、まぁ、兄さんは相当コケにされたらしいから、どこか探し回ってるでしょうけどね。……とりあえず灰島君に、残りの人たちは観光客に混じっておくよう言っておいたわ」

「え?でも、危なくないですか……?」

 と、黒嶺さんが言うが、私は首を振る。


「お父さんが朝、電波ジャックをしてまで私の所在を探そうとしてた。その上で、見ず知らずの人を連行するのはリスクが高い。私が青柳家に連行された……そう聞いたら尚更」

「それに、どうも外部から無理矢理連れてきた奴らばっかりらしくてね。あんまりうろちょろさせては邪魔になるのは兄さんや父さんでしょうし」

 それを聞くと、黒嶺さんは納得した様子だった。


「……えっと、青柳さん」

「「はい」」

 私とお姉ちゃんは、同じタイミングで同じ言葉を言う。


「あ、えっと……まぁいいです。お二人とも、お聞きしたいことがあるんですが、私の姉の元に、青柳 唯さん過労死事件の調査依頼が来たことは知っていますか?」

「えぇ、依頼を送ったのはウチなんで」

「やはり、そうだったんですね」

 黒嶺さんは、色々と事件についての話をした。

 そして、すでに容疑が固まっている2人の教師がいる。と言うのも。その教師の1人の名前は……有栖川 椎菜。


「やっぱり……」

「凛、わかってたの?」

「うん。お母さんから、聞いたことがない名前だったのに、友達って言ってたから……」

 有栖川さんには疑わしい事も多かった。

 確かに、清音に入れてもらって、寮に入れてもらったことは感謝している。だけど、それ以降は一度も会わなかった。

 そして、私が追い込まれに追い込まれてから離任という一連の行動。まるで私の成績以外に興味がないようだった。私がいじめられている時にも、助けにも来てもらえなかったし。


「じゃあ、あの時来ていた有栖川って人が……」

「……」

 でも、仮にそれを知ったらお父さんは、どんな反応をするんだろう?


「……凛、もう、歩けるかしら?」

「うん。この家の中なら……」

「それで、黒嶺さん、ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」

 お姉ちゃんは、黒嶺さんに耳打ちをした。

 黒嶺さんは最初こそ驚いていたが、次第に表情は冷静を取り戻していき……


「わかりました。調べてみます。でも、ここはお二人に任せて大丈夫ですか?」

「大丈夫です。……ウチはともかく、凛は」

 お姉ちゃんと黒嶺さんが、共に私を見る。

 私は……決心した。お父さんに向き合う覚悟を。そして……


 お母さんの死に、向き合う覚悟を。

 ・

 ・

 ・


「……」

 お父さんは、私など眼中にないと言わんばかりに、居間を出ようとする。


「待って、お父さん」

 立ち上がる私に、お父さんは……


「寄るな!{失敗作}め!」

 こちらに鋭い眼光を放つ。


「今更何をしに自らの足でここに来たかは知らんが、俺はお前に対して聞く言葉などない!さっさと消えろ!」

「消えない……それに、自分の足でここに来たのには、ちゃんと理由があるから」

「フン。理由とはなんだ?さては、唯の事などと言わんだろうな」

 その通りだ。だが私は何も言わずに、お父さんの話を続けて聞く。


「あいつは自らの夢におぼれ、自らの夢に殺されたバカだ。それだけで十分だろう?今更何を知る必要がある?どうせあの匿名の訴えも、お前か{失敗作2号}が出したものだろう?」

「……本心で言っているの」

「何を言っている?本心以外で何がある?疲れている。下らん話をするな」

 ……やはり、お父さんは、何も話を聞いてくれない。

 背を向ける父さんが、とても遠くに見える。

 このままお父さんには、何の言葉も通じずに……


 ――またそうやって、壁を作るのか!?お前を信じようとしている俺の前にも、壁を作るつもりなのか!?


 ――クソゲーはクソゲーで、やり込めば良ゲーになるかも知れない。そのまま『クソゲーとしてエンディングを迎える』か『分岐点から良ゲーに移行するか』は、それぞれ次第じゃないのか?


 ――でも……その分岐点って言うのは、今お前の目の前にもあるはずだぞ。


「……」

 そうだ。だから、ここに来たんじゃないか。だから……奏多君を信じたんじゃないか!


「下らなくなんかない!」

 私の大声に、お父さんは足を止める。


「騒ぐな。{失敗作}」

「私は{失敗作}なんかじゃない!自分の手で夢をかなえたい、自分の力で夢をかなえたい、どこにでもいる普通の女の子、青柳 凛だよ!」

「そうやってお前を{毒素}で染め上げたのはあの学校ということか、なるほどな。とにかくお前の話を聞くつもりは」

 思い切ってお父さんの右手を両腕で取る。

 鎖でつないだように、ガッチリと。……昨日、奏多君がしてくれたように。


「離せ」

「……だから……」

「離せ!」

「だから、私が置いてきた過去に向き合いたくて、今日はここに来たんだ!」

 その言葉を聞くと、何故かお父さんは動きを止めた。


「……過去に、向き合うだと……?」

「そうだよ!過去に向き合うの!私だって、お母さんが死んだ時確かに看取ったけど、それ以外に……知らないことがあったんだ……だってお父さんだって、そうなんでしょ!?」

 必死にお父さんに訴えかける。喉に負担がかかりそうだが、構わない。


「お父さんだって、お母さんの事を忘れられないんでしょ!?だからいつまでも、お母さんの事を言ってるんでしょ!?本当は愛してたんでしょ!?だって、私と違って……お母さんの死に涙を流せた人だもん!そんなすぐに{夢におぼれた}とか言えないはずだもん!」

「……!?」


 バチン!


 左手の甲が飛んだ。私の左頬に、紅い花が咲き、私は勢いよくその場に尻もちをつく。


「……それがどうした!今更それを知って何になる!?お前のような奴が……俺の心の中を覗き込めると思うな!」

「……」

 痛くて涙が出そうだ。口の中を少し切ったのか、口の中で鉄の味が支配する。でも、負けない。


「じゃあ……{お母さんを思っていた}ってことは……認めるんだね」

「……」

 お父さんは、何も言わなかった。そして、そのまま自分の部屋に戻ろうとする。……その時、


「待って、父さん!」

 お姉ちゃんの声が、父さんの前に立ちふさがった。

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