第16話 過ぎたるは猶及ばざるが如し

 校舎を出て、校門に差し掛かったところで……


「乗ってくれ灰島君」

 と、車の窓が開き、白枝の兄が俺に声をかけてきた。


「え?なんで俺の名前を……」

「聞いたんだよ。すずから。なんでもすずと関わりがあったんだってなァ」

「すいません。ありがとうございます」

 俺は車の助手席に乗り込んだ。


「あの、すいません。青柳の具合は……」

「あぁ。一応点滴打って、多少良くなったとこで薬飲ませたよ。今はおとなしく寝てるはずだ。熱は下がったし、咳も出てない。今は母さんに診てもらってるから、安心してくれェ」

「ありがとうございます」




 学校から車で5分ほどのところに、『白枝診療所』と書かれた小さな診療所があった。


「ま、狭いとこだが、上がってくれ」

「お邪魔、します……」

 居住スペースから上がり、2階に上がると、ベッドの上に……

 青柳が、スヤスヤと寝息を立てていた。


「気持ちよさそうに寝てますね……」

「あぁ。でも大変だったんだぜェ?この子、点滴を打って少し調子が良くなったからってすぐに{勉強しなきゃ}だ」

 その言葉を聞いて、俺は何か強烈な違和感を覚えた。

 今までは勉強は完璧だったはず。現に、


 ――100点の答案用紙なんて、都市伝説だと思ってたよ……

 ――別に、とりわけ不思議じゃない。


 ――青柳お姉ちゃんもわからないことがあるの?

 ――どうしてわからないのかがわからない……


 と、勉強については余裕を見せていたはずだ。

 なのにここにきて急激に追い込まれている(素振りを見せている)意味が分からない。


「とりあえず最悪今日1日この診療所に泊まらせるから、キミもあまり無理しないようにな。夕方の診察始まるから、また後で様子を見に来るよォ」

「ありがとうございます」

 そして2階には俺と青柳だけが残った。新しくもらったマスクを身に着け、青柳に近付く。

 母親に抱きかかえられた赤ん坊のように、穏やかに眠っている青柳。……相当無理していたんだろうな。

 そりゃあれほどずっと徹夜してたんだ。体に害がないほうがおかしい。

 ……いや、待て。なら俺が止めればよかったじゃないか。何のための向かいの家なんだ。


「……」

 とりあえず空に、今日は遅くなるとメールを送っておく。あとは……


 ガチャ。


 不意に背後の扉が開いた。


「あ、灰島」

 白枝だった。




「しかし驚いたな……お前が診療所の娘だったなんて」

「ま、よく言われるよ。ボクシング部の奴らからもな。{白衣の天使とは真逆の見た目じゃねぇか}とかな」

 慣れた様子で青柳の耳に体温計をかざす。


「この子の平熱はどれくらいかわかんないけど、6度3分。戻ったと言っていいんじゃね?」

「悪いな。何から何まで」

「ま、お前に迷惑かけちまったしな。色々と」

 ……あれ?まさかまだあの嘘を信じてるのか……?


 ――あ、あぁ。あの動画で映ってたの、こいつのお姉さんって話、嘘だったんだ。

 ――やっぱりな。どうせそんなことだろうと思ってたんだよ。

 ――あれ、俺なんだ。


 自分でも忘れかけてたのに……


「なんで落ち込んでんの?」

「あ、いや、何も」

「すず~!ちょっと~!」

 下の階から女の声が聞こえる。おそらく白枝の母だろう。


「おう、今行くよー!ってことで灰島、この子頼むわ。汗かいたら体拭いてやるくらいでいいから」

「あぁ、わかっ」


 ・ ・ ・


「いや無理だろ!?青柳女だぞ!?男の俺が気軽に触れる奴じゃないって!」

「いややれよ。非常時だぞ。人命救助した奴に{セクハラだ}とか言うバカはいねぇだろこの世に。……それとも、出来ない理由があんのか?」

 その言葉を聞いて、俺に電流が走った。

 ……なんで俺は、ここまで青柳に気負いを感じているんだ?……まだ出会って間もないんだぞ。

 そう、出会って……間もない……はず……なんだよ……な。

 考えているうちに、白枝は下へと降りていった。再びこの部屋に、俺と青柳だけが取り残される。


「……」

 寝顔、かわいいな。って、いかんいかん。何を考えているんだ俺は。青柳は苦しんでいるんだ。

 ん?苦しんでいる……?


「うぅっ……うう……!」

「ど、どうした!?青柳!」

 青柳の様子が明らかにおかしい。急に大量に汗をかいて、それにうなされているようにも見える。


「ううう……!うぅっ……!」

「!?」

 そして青柳は、俺の手を握ってきた。


「……んっ……えっ?」

 弱々しく声を上げる青柳。目の前には俺が見えていたため、少し戸惑いがあるのだろう。


「……あ、青柳……どうした?」

「……はい、じま……君?」

 青柳の目には、うっすらと涙も浮かんでいる。



 

 少し青柳の呼吸を落ち着かせてから、俺はゆっくりと話しかけた。


「……なぁ、青柳。お前なんでこんな無茶したんだ?」

「……」

「赤城も緑川も黒嶺も、当然俺も心配したんだぞ。急にぶっ倒れるから」

「……」

 無言で何もしゃべらない。


「何か言えよ」

「……ダメ」

「え?」

「……依存……したくなっちゃうから」

 依存?


「……何かあったんだろ。お前」

「……なんでもないよ」

「何かあったんだろ。お前」

「なんでもないよ!」

「お前夜中一晩中部屋の明かり点けて勉強してただろうが」

「!?」

 自分でもバレていないと思ったんだろうか。青柳は動きと……反論を止めた。そしてそれは同時に、青柳の身に何かが起こっていたことを表す。


「教えてくれ青柳。お前の事を気にかけたまま、中間テストなんて受けられるかよ。俺も、他の3人もな」

「……」

 観念した様子の青柳は……


「お父さんに……お父さんのところに戻るように言われたの」

「……お前を見捨ておいて、か?」

「うん……お兄ちゃんやお姉ちゃん、弟が、私がいなくなったことでやる気を出せないらしくて……でも、私にはわかるの。他のきょうだいがやる気を見せないのは、お父さんのせいだって」

 話が見えてこない。俺はあることをして椅子に座る。


「……お父さんは、やっぱり私が自分の思い通りにいかないことが許せないみたいで……灰島君には、前話したよね?」

「あぁ、陸上の元選手で、お前たちきょうだいを鍛えようとしてた。ってことは」

「お父さんに、こう言われたの。{次の中間テストで、全科目100点じゃないと戻ってきてもらう}って」

 全科目100点!?無茶苦茶な要求だな……

 俺でも取れたことがない。青柳も全国模試1位の成績を持っていても取ったことはないだろう。


「……無理だってわかってる。だけど……だけど……」

 青柳の目に、再び涙が浮かぶ。


「せめてみんなには私の事で、迷惑をかけたくなかった……だから本当は、灰島君の言葉もとても嬉しかったし、緑川さんが怒るのも、本当は謝りたかった……」

「青柳……」

「だけど、出来なかったらみんなと別れないといけないって思ったら、みんなと一緒にいるのが、急に怖くなって……!意味もないのに、冷たくあたっちゃって……!」

 ポロポロと、青柳の目から涙が落ちていく。


「でも、こうやって別れたほうが、緑川さんは私の事を忘れてくれそうで」

「いや、そんなことはないだろ?」


「なぁ、緑川」

「え……?」

 俺は黙ってスマートフォンを青柳に手渡す。それを受け取った青柳は、静かに耳にあてる。


「もしもし……」

「青柳先輩……」

 あ、スピーカー切るの忘れてた。悪い。緑川。


「「……ごめんなさい!…………あっ」」

「い、いいよ。緑川さん……」

「あ、青柳、先輩こそ」

 2人で譲り合い。そして少し笑う。


「その……体調を崩したって聞いて不安だったんですけど……伝える暇がなくて……灰島先輩に連絡先を教えたんです。でも、青柳さんがそこまで追い詰められてたなんて……何も知らなかったのに、あんなこと言ってしまって、ごめんなさい……」

「……緑川さんは悪くないよ。むしろ、心配してくれてありがとう。……ごめんね。私こそ……言い過ぎて」

「……」

 そして緑川は、一息ついた後こう言った。


「あたし……青柳先輩ともっとお話ししたいです。まだまだ知らないことだらけですし……それに……」

「……ごめん、それは言わないで」

「え?」


「別れが……つらくなるから……」

「青柳先輩……」

「赤城さんと、黒嶺さんには……内緒にしてほしいの。あまり多くの人に、色々引きずって欲しくないから」

「……わかり、ました」

 それだけを言うと、通話を切った。


「……ごめんね。灰島君。だけど、私は……」

「……諦めるのか?」

「……」

 黙る青柳に、俺はあえてこう聞いた。


「お前はどうしたい?」

「どうしたいって……?どうしたい……か…………わからない」

「そんなはずはないだろう。決まってるんじゃないか?自分がどうしたいか。そうじゃなかったら、今日風邪をおして学校まで来るわけないだろ。夜中まで勉強するわけないだろ」

 しばらく凪のような時間が続く。


「……決まってる……」

「え?」

 涙が流れる目をこちらに向け、


「嫌に決まってるよ!転校してきたばかりで、やっとみんなと仲良くできたのに、また戻れなんて……そんなの嫌だ!やっと私の事を……信じてくれる人に……会えたと思ったのに……!その人と、こんな簡単に別れないといけないなんて……嫌だ……!」

「……」

「だから必死で……必死で頑張ってきたのに……その結果がこれなんて……!」

 号泣……いや、慟哭する青柳。


「……」

 だからこそ俺は、こう言葉をかけた。


「{過ぎたるは猶及ばざるが如し}だ」

「え?」

 ぽかんとした顔をこちらに向ける青柳。


「お前は頑張りすぎたんだ。頑張りすぎたから体調を崩した。それ自体は悪い事じゃない。でも、それはお前が1人だった場合だ」

「……今は……?」

「俺たちがいる。少なくとも、誰もお前を応援しないわけじゃない」

 それを言うと、青柳は頬を赤くして……


「か、か、からかわ……ないで……」

 と、もじもじしながら目を泳がせた。


「……だから俺の願いはただ一つだ。休める時は、しっかり休んでくれ。そして……」

 青柳の手を、そっと握る。


「お前自身を信じてくれ。そして……出来なくったっていい。俺が……俺たちがなんとかしてみせるから、俺たちも信じてくれ」

「……信じる……」

 ドクンドクンと、青柳の心臓の鼓動が高まっていく。


「……って、色々言うのもあれだな。悪かったな、青柳」

「……う、うん。絶対、テストまでには治すから」




「いやァ悪かったねェ灰島君。ようやく診療がひと段落着いたよォ。後の事は俺とすずに任せてくれ」

 白枝の兄と、白枝が2階の部屋にやって来た。


「はい、ありがとうございます」

「ん、ついでに晩飯も食っていくかい?」

「いえ、そこまでは悪いです。それに、家族も待ってるんで」

 『そうか』と言う白枝の兄。……そう言えば名前を聞いていなかったな。


「とりあえず彼女は明日の朝にでも家に送り届けるから、心配しないでくれ。もう暗くなってきたし、キミのことも言えまで送るよ」

「ありがとうございます」

 頭を下げ、そして2階から降りようとする俺。その際に、あることを言った。


「……!?」「お?」「……へっ」


 ……あれ?なんでみんな動き止めてんだ……?青柳に至っては、口覆ってるし……

 まぁいいや。俺は階段を小走りで降りると、駐車場で待つことにした。


───────────────────────


「……」

「おい、青柳って言ったか。……あいつ、割と大胆なんだな」

「!?……か、からかわ、ないで」

 言われた言葉に、私はドクドクと激しい心臓の鼓動が、しばらく止まらなかった。


「また、テストの日に元気に会おうぜ」




「凛!」




問16.『生き延びられるか滅びるかの瀬戸際に立たされること』と言う意味のことわざを、『秋』という漢字を使ってなんというか、答えなさい。

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