第4話 清水の舞台から飛び降りる
翌日……
「あ、おはようお兄ちゃん!」
「お、おはよう……」
昨日はほぼ眠れなかった。あの光景が、目に焼き付いて離れなかったからだ。
涼もうと思って窓を開けたら、窓の向こうにアパートの窓を開けて立っていた、バスタオル1枚の青柳。
……いや、何考えてるんだ俺。どうせ学校に行くまで会わないだろうし、その時に謝ればいいんだ。
うんそうだ。そうすればきっと大丈
「……」「……」
夫、と思ってモノレールに乗り込んだ少し前の自分をぶん殴りたい。でもよりにもよって朝ごった返してる満員電車で一緒になるか普通!?
「……」「……」
き、気まずい……
「……見た?」
沈黙を叩き切るように、青柳が一言。
「え?何をカナー?青柳サン」
「……見たんだね」
「……はい」
もう……頬を膨らませる青柳。
「ご、ごめん!わざとじゃないんだ!だけど、青柳が風呂に入ってるなんて知らなかったから!」
不慮とはいえ見てしまったのは覆しようがない事実だ。ここは素直に謝ろう。無論、許してもらえるとは思っていないが。
「何言ってるの……?」
そう言った青柳は、ノートに視線を落とす。
あ、見たって、ノートの事な。うん、きっとそうだ。そう思いつつ、俺もノートを覗くと……
「ず、ずいぶん、空白が多いノートだな」
「要点だけまとめれば、後は前後の文面から問題を読み解くことは出来る。だから、ノートにはいたずらに文字を書きすぎない」
「な、なるほど」
そのノートから視線を離さない青柳は……
「……夜の7時から8時」
突然口を開いたかと思うと、そう言った。
「その時間、お風呂に入っていることが多い。その時間以外なら、窓を開けても構わない。私が許可する」
ペラリ。とノートをめくる音が聞こえる。周りの喧騒なんて、聞く余裕すらなかった。
「顔、近い」
「あ、ご、ごめん」
それ以降は特に離さずに、モノレールに揺られた。
1限目が始まる前に……
「あ、そうだ。青柳。先教室行くだろ?」
「それが……どうしたの?」
「先行っといてくれ、俺、寄る場所があるんだよ」
1年D組の教室に向かうと、そこには……
「だから、もっとちゃんとした言葉遣いでもされたらいかがですか!?」
と、黒嶺と誰かがもめているようだった。
「メンディーもんだってー。キミもわかるでしょ?なんで{おはようございます}とか言わないといけないの?」
「当たり前です!健全な朝の挨拶には、健全な心が宿り、健全な精神で健全な日々を送れるのです!挨拶も何もしない人は、風紀委員として見過ごせません!」
あぁ、風紀委員。それであいつ毎週月曜日校門の前に立ってるのか。
「あ~アタシパース。そう言うのこそメンディーし」
「なんですって!?」
……顔をよく見ると、黄緑色のサイドテール……間違いない。昨日の奴だ。
だが黒嶺がいるとなると話が変わってくる。それほどまでにこいつは面倒だ。
でもどうするよ……大事な奴も知れないし、早いうちに返しておいた方が……そう考えていた時。
「あー、昨日の陰キャ君じゃ~ん」
「!!?」
「えっ……?」
2人の視線が集まり、俺の体を串刺しにする。
「あなたの知り合いですか?彼女は」
「イエチガイマス」
「嘘おっしゃい!インキュバスなどと、ふしだらなニックネームを付けられているではありませんか!」
それを言うなら陰キャ君な。どういう聞き間違い……
(ん?)
今、俺の頭の中に疑問が浮かぶ。
インキュバスと言うのは女性の夢の中に現れてあーだこーだする夢魔の一種だ。『あーだこーだ』の中身が気になる奴は調べてみてくれ。とてもこの小説上では言えないから。
なのにどうして『ふしだら』なんて言葉が出るんだ?インキュバスの事を知らないとわからないはずなのに。真面目な黒嶺がなんで知ってるんだ?
「なになに~?アタシに会いに来てくれたの陰キャくーん」
と、今はこっちの方が先だ。
「断じて違う。お前、この小テスト落としてたろ昨日。それを届けに来ただけだ」
英語の小テストを手に取る。
「そうだろう?緑川 麻沙美」
「ほえ~!?もしかしてアタシの名前知ってるってことは……この小テスト見たの~!?」
「そりゃ見るだろ!今開いたんだからよ!」
「最低ですね……」
「なんでお前がキレてんだよ!てかその{親を殺された恨みのままに動くRPGのキャラ目}やめろ!」
とりあえずこれで小テストは返し終えた。
「……確かに返したからな」
「うん、あざまる水産!」
「待ちなさい!まだ話は終わって……」
「あー、もう8時30分だなー。あと10分で1限目始まるなー。風紀委員がギリギリで席に着くとか、そんなことあり得ないよなー!?」
時計を見る黒嶺。
「う、嘘……!?急がなきゃ!あなたもすぐ来るのですよ!」
「へいへいっと」
砂ぼこりが立ちそうな勢いで走る黒嶺を見送った後、俺もその方向につま先を向ける。
「あと緑川。お前にも言っておくぞ」
「……へ?」
「年上は敬え」
ごくごくごく普通に、そう叱責した。……はずだった。
そう、この時はこれから、こんな事になるなんて思いもしなかったんだ。
「おお、おお……おおおおお……!」
なのに、なのに。なのに。
「どうしてこうなったーーー!?」
昼休み、学食に来ていた俺と青柳。そして……
「どうしてって……先輩が見えたからです~」
緑川。
うん。おかしいよな。絶対おかしいよな。俺は確かに小テストを返した。ここで、こいつとは終わったはずだ。
今日は青柳に本当の謝罪も込めて、うどんでもごちそうするつもりだったんだ。
青柳のうどん(エビ天乗せ)450円。俺の生姜焼き定食650円。これで今日の出費は終わるはずだった。
緑川のエビカツバーガー、400円。
「なんでお前まで頼んでんだよ!青柳はともかく、お前だけは訳わかんねぇ!」
「でもおいしいですよこれ」
「あ、そうか?でもそれとこれとは話が別だ!おい、青柳も……」
と、青柳の方を見ると……
「ん?何?灰島君」
と、満面の笑みで言った。
(うどん一杯でめっちゃ喜んでる!?)
いや、それも無理はないか。昨日の話が本当なら、こいつはロクなものを食べていないんだ。
それに高々うどん一杯でここまで喜んでくれるのはおごった側としても嬉しい。
「久しぶりに本物のエビの天ぷら食べた」
「じゃあどんなエビ天食ってたんだお前!?」
はぁ、とため息。青柳はまあ、このまま食べさせてやるか。
「……で、なんだよ緑川」
「え?」
「俺を追ってまで学食に来た。俺になんか言いたいことがあるんじゃないか?」
緑川にそう言うと、緑川は悩みを打ち明けた。
「あたし……普通の女の子として過ごしたくないんです!」
・ ・ ・ ・ ・
「ん?」
「だからあたし、普通の女の子として過ごしたくないんです!何とかしてくれませんか先輩!」
「いや、話の流れが全然見えてこないんだが……」
ごくり。とうどんを飲み込む青柳。そして静かにこう言いだした。
「……緑川さん。お父さんがこの町の市議会議員だよね。お母さんは……確かキャビンアテンダント」
「え?よく知ってますね。えっと」
「青柳 凛。青柳でいい」
「市議会議員とキャビンアテンダントの娘?なんだ別に普通……」
・ ・ ・
「市議会議員とキャビンアテンダント!?」
「……遅い、灰島君」
いやいや!あり得ないだろ!?そんなサラブレッドなのになんでこんな見た目してるんだ!?
しかも『普通の女の子として過ごしたくない』!?ちょっと何言ってるのかわかんねぇ!
「……そんな親がしっかりしてるなら、こんな高校に来なくてよかっただろ?」
「それが、無理なんです……」
すると、緑川は1学期の期末試験の結果を見せた。
国語:71 数学:58 理科:67 社会:57 英語;62 合計;315
……すげぇ!?
見事に全科目平均点ピッタリだ!?
「お、お前……まさか……」
「頭が悪くもなければよくもない……普通過ぎてこれ以上点が取れないからあたし、ここに来たんです!」
「高校を決めた理由も普通かよ!」
まずい、何もかも普通過ぎてよくも悪くも言えない。
「ち、ちなみに灰島先輩はどれくらいだったんですか?」
国語:95 数学:97 理科:89 社会:92 英語:96 合計:469
「えぇ~!?すごすぎませんか!?」
「理科が点低かったから、これでも調子悪い方だ。……てか言わせんな恥ずかしい」
成績が書かれた紙を直し、話を続ける。
「じゃあ質問があるんだが、そもそもお前、なんでそんな姿してるんだよ。今どきガングロギャルなんて流行らないだろ」
「あぁ~、よくぞ聞いてくれました先輩。実はあたし、高校になるに至って、昔の普通の自分から変わろうと思ったんです」
中学校時代の写真を取り出す緑川。そこには、髪の色以外地味な女の子が写っている。……正直こっちの方が好みだ。
「だから日焼けサロンで日焼けして、メイクをネットで一生懸命覚えて、ギャル語も同じくネットで一生懸命覚えて、清水の舞台から飛び降りる勢いで高校デビューを迎えたんです」
「……で、結果は?」
「中学の時から大して変わらないし、その時の無理が祟って風邪を引いて皆勤賞すら逃したんですっ!」
(うん、普通にアホだ)
と言う言葉が出かかったが、何とかして飲み込む。
何より昨日見る限り、友人は普通にいる。その時点で、俺より勝ってるからな……
「で?そんな普通過ぎる学業を何とかしたいから俺に白羽の矢を立てたと。何ゆえだよ」
「だって灰島先輩、あの黒嶺先輩を退けてたじゃないですか!それほど弁が立つ、つまり頭がいいという事です!」
「飛躍しすぎだ!」
ただそれほどまでに本人が悩んでいる。という事は放ってはおけない。俺の力で何とか出来るなら、何とかしてやるか。
……え?違う。断じて違うぞ?
『市議会議員とお近づきになっておけば、のちの人生で何かと得しそう』とかそう言う意味じゃないぞ!?
「……よし、わかった」
「え?じゃあ……」
「明日の放課後、少し俺と付き合え。ついでに青柳も」
「私……?なんで?」
当然のごとく疑問符を浮かべる青柳。
「無論」
俺は青柳の方を向いてこう言った。
「こういう勉強は人数が多いほうが楽しいからだ」
「……要は、1人だと自信がないんだね?」
青柳に痛いところを突かれた。
そして、そんな光景を『あいつ』に見られているのも知らなかった。
「あれ?がり勉君……?女の子2人と何してんだろ?」
問4.次の言葉を英語に訳しなさい。
『私と勉強をしましょう』
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