第3話 秋は夕暮れ

 放課後。


「ふわぁ」

 今日は自習する意味もないし、このまま帰るとしよう。そう思い、俺はそそくさと荷物をまとめる。


「……ん?」

 突然、左隣から俺の青いハンカチが伸びてきた。……そうだ。青柳にハンカチ貸しっぱなしだった。


「……ごめん。さっきの時間移動教室で……返してる暇なかったから。ありがとう」

「あ、あぁ……」

 ハンカチの血は落ちていないが、これくらいなら洗濯すれば落ちるはずだ。


「じゃあ、また明日」

「あぁ、また明日」

 手を振って教室を出る俺を、手を振って見送る青柳。……かわいいな。

 と、いかんいかん。早く帰らないとまた晩飯を作って待ってる空に怒られる。




 駅の方に向かって歩いていく。空は茜色に染まり、数多くの制服を着た生徒たちが帰っている。

 その中を歩く俺は差し詰め、何の色も持たない『無』だ。

 ……まぁもう慣れたが。


「あぁ……暑い……」

 夕方になったとはいえ、季節はまだ夏を越えたばかり。歩けば汗ばむくらいだ。

 せっかくだし何か飲もう。そう思い近くのコンビニに入った。


「ありがとうございましたー」

 手には女子力満点な飲み物が。

 違う、違うんだ。これは違うんだ。コンビニがコーヒー豆切らしてるとか普通あり得ないだろ!?何が悲しくて17の男1人で『イン〇タ映え間違いなしのタピオカバナナラテ』なんか飲まないといけないんだよ!俺SNSやってないし!

 まぁ、買う方も買う方なんだが……店員が『最近の人気商品です』とか言うから押し切られてしまった。

 恐る恐る一口。こんなん、同級生には見られたくないな……


「……」

 一口……


「……!!!」

 一口!


 全然吸えないじゃないか!一体どうなってんだよこの飲み物!?俺も肺活量ない方だけど、ここまで吸えないのは初めてだぞ!?


「ちょいそこの陰キャくーん。どいてくんなーい?」

 声が聞こえた。見ると、黄緑色のサイドテールヘアの少し日焼けした、メイクからしていかにもギャルな女が目の前に立っている。


「陰キャ君……もしかして、俺か?」

「俺か?じゃなくてキミしかいねーじゃん。何言ってんの?」

「何言ってんの?て……俺は陰キャじゃない」

 いや、こう否定してる時点で陰キャだろうなきっと。発言後すぐに後悔した。


「ははは、アタシに張り合おうって気?なかなかやるじゃんキミ。どこ校?」

「どこ校って……俺と一緒だろ。お前制服同じだし」

「まー、そうともいうね?」

 正直こういったものの喋り方も知らないような奴と喋るのはとても煩わしい。


「……てか、これどうやって飲むんだよ」

 話を切り替えるような意味でも、俺はその飲み物の入った容器を女に渡す。


「あー、これ?多分ちゃんと混ざってないんじゃない?こうやって」

 シャリシャリとコップの中で効果音が鳴る。まるで雪でも掻いているかのような音だ。そんなカチカチに凍ってたのかこれ。

 てか、似合うなこいつにこの飲み物。


「はい。あとは手の温度でも溶けてくはずだよ」

「あぁ……ありがとう」

 試しに一口飲んでみると……


「……なんだ……こりゃあ」

 バナナの酸っぱさ、タピオカの食感、ミルクの絶妙な甘さ。そのすべてがベストマッチし……


 俺の舌に合わない。


「え~?おいしくないとかマジで言ってる?アタシ一番のお気に入りですけど」

「いやこの場のお前指標はどうでもいいわ。……仕方ない。ほら」

 俺はその女に飲み物の容器を渡した。


「え?くれるの?」

「俺の舌には合わないからな。このまま捨てるのももったいないし。気に入ってるならお前が飲め」

 それを受け取った女は、跳びはねながら喜んだ。


「ありがとー!キミただの陰キャ君じゃないんだね!」

「だから俺は陰キャじゃ……ん?」

 と、俺は女の背後で手を振りながら近づいてくる別の女を見つけた。


「ちょっとアサミー、遅いよ~」

「あたしたちもう10分待ちコース」

 他の女がそこへ現れる。多分この女と同じ学年だろう。


「あ~、今行く~。てことでじゃね~!陰キャ君!」

 女はその場を立ち去って行った。……しかしこの学校の女の子はどいつもこいつもせわしない……


 ペラッ……


 ん?何かあの女のスカートのポケットから落ちた。


「何だこれ?紙?」

 おーいと声を上げるが、女には聞こえていない様子。

 申し訳なく思いつつそれを広げると、それは英語の小テストのような物だった。70点……か。あの見た目でも平均点くらいの点は取れているのか。

 名前は……1年D組、緑川 麻沙美(みどりかわ あさみ)。

 通りを見回すが、すでにその姿は見えなくなってしまっていた。仕方ない……明日渡すか。俺はその小テストをリュックの中にしまった。

 ……………………


 てか俺、年下からため口聞かれてたのか!?得も言われぬ不安と怒りに苛まれた。




 しかしずいぶん遠回りしてしまったな……早いとこ帰って風呂でも入ってのんびりしたいところだが……

 最寄りの駅に着き、ICOUKAを使って改札を通ろうとした時、誰かにぶつかった。


「「あ、すいませ」」

 2人で同時に声を上げる。その相手は、見覚えのある相手だった。


「青柳?」

「灰島君?」


 すでに紫色に変わりつつある空を背景に、2人で歩き続ける。


「ここ、お前も最寄りだったのか」

「うん」

「そ、そうか……」

 ……まずい。会話が続かない。

 ここ最近家族以外の人とこうやって2人きりで話す事自体あんまりなかったからな……

 とにかく何か話題を……話題を……そう、脳を高速回転させた時だ。


「……ごめん」

「え?」

 突然出たその言葉に、俺は足を止めそうになる。


「昼間のこと、謝ってなかったから。あの後体育の授業に戻れなかったんだよね」

「あー、別に構わないさ。お前の体の方が心配だし」


 ……本当は体育の授業をサボりたかっただけ。なんて言えない。


「……バカ、みたいだったよね」

「え?」

「今日の私……体育の授業で、あれほど何もできなかったから……ボールは取れないし顔面で受け止めちゃうし。灰島君も、軽蔑しちゃうでしょ?」

「しないぞ」

 なぜか即答できた。意味が分からないほど即答できた。


「……どうして」

「だって、お前の事調べたんだよ。全国模試で1位連発したんだろ?麒麟児って名前も付いてたんだってな」

「……」

 浮かない顔をする青柳。しばらく無言が続く。まるで何もない部屋に2人して閉じ込められたかのように、静かに時が過ぎる。


「わ、悪い」

「何が?」

「え?何かほら、地雷的な奴、踏んじまったんじゃないかって」

「……」

 すると青柳は観念したように、吐息をついた後に話し始めた。


「灰島君は、私が望みどおりに生きられてると思う?」

「いきなり、どうしたんだよ」

「……私、父さんが厳しくて、父さん、元陸上の選手だったから、私を含めた4人きょうだい色々鍛えられたの。……子供のころはね」

 『子供のころは』その言葉に、俺はごくりと喉を鳴らした。


「……でも、私は違った。次第に運動が出来ない私は、お父さんから見捨てられ始めた」

「見捨てるって……どういうことだよ」

「読んで字のごとく。母さんを早くに亡くしてる、その家に私の居場所はなくなっていった」


「……だから、逃げた」

 その言葉と同時に、俺の体に秋の風が吹きつけた。宵の口に吹く風は、どこか冷たく、どこか夏の名残を残していた。


「逃げたって……」

「読んで字のごとく。だから勉強に逃げた。だから勉強に逃げ続けたから……父からも、きょうだいからも見捨てられた」

 不思議と、それを話している青柳の表情は曇っても、落ち込んでもいなかった。……いや、もはや話慣れているようにも見える。


「そして私は勉強をし続けて……父親を裏切り続けた。だから……見捨てられるのも当然。結果的にこの町にやってきて、1人暮らしして……」

 俺はその時ハッとした。だからこいつは……日の丸弁当を食べていたんだ。

 親から離れて一人暮らししているから。弁当を作ってくれるやつがいない。


「……ごめん。こんな話をしても、無駄なのにね」

「いや、無駄なんかじゃない」

「え?」

 ぽかんとする青柳に、俺は……


「お前はそうやって悩みを打ち明けてくれた。俺にはそれだけで十分だ。転校してきたのも、ちゃんとした理由があることもわかった。その……昼間は悪かった」

「……なんの事?」

「お前の日の丸弁当に、驚いてしまったことだよ。あれにもちゃんと理由があったのにな」

 首を横に振る青柳。しかしその後、うつむきながら顔を赤くする。


「……初めて」

「え?」

「……初めて。{無駄なんかじゃない}って言われたこと」

 するともじもじしだして……


「じゃ、じゃあ、また明日、学校で!」

 と、顔を隠すように猛スピードで走り抜けていった。


「……」




 家に帰り、夕食を取った後2階の自分の部屋で寝転がりながら、今日1日を追憶する。

 今日だけで、色んな女に出会ったな……黒嶺、赤城は別としても……

 転校してきた青柳。そして、帰り道に会ったあのギャルっぽい女。名前は多分緑川。

 ……そうだ。明日忘れないように緑川に小テスト渡しに行かないとな。

 うん、今思えば、1日でこんないっぱい女と会話することって今までなかったな。そう言う意味では、今日は充実していたのかも知れない。

 それにしても……青柳……


 ――初めて。『無駄なんかじゃない』って言われたこと


 思っていた以上に、重い過去を持ってたな……


「……エアコン効かないな……」

 俺はいろいろありすぎた頭をクールダウンしようと、窓を開けた。


「……!」

「……」


・・・・・・・・


「……は?」


 えっと。ありのまま、今起こったことを話そう。

 窓を開けて涼もうとしたら、目の前に……バスタオル1枚で体をホカホカさせた青柳が立っていた。

 何を言っているのかわからないとは思うが……そうとしか言えない。


「……めて」

「……え?」

「閉めて。灰島君」

「あ、あぁ!悪い!」

 俺は大急ぎで窓を閉めて、ついでにカーテンも閉めた。

 ……なんて言うんだ?こう言うの、ラッキースケベ?いや、そうじゃなくて。

 青柳……胸が小さい以外背が小さいながら案外いい体を……でもなくて!




「どうしてこうなったーーー!?」




「ちょっとお兄ちゃんうるさい」

「あ、ご、ごめん……」




問3.次の言葉に当てはまることわざを答えなさい。

『思い切って大きな決断をすることのたとえ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る