第19話 おいしい野菜の秘訣はね
稲刈りは重労働で帰るとくたくたになることも珍しくない日が何日も続く。そのためとくに農繁期は、昼食だけでなく夕飯までマリの食堂を利用する村人も多かった。
「マリの料理はなんでこんなにおいしいだろう?」
満足げにため息をつくアユムの前にある食器はすべて空だ。
マリの店には人気の定番メニューこそいくつかあるが、大体がその日の材料やマリの気紛れでメニューが決まる。春先には山菜がよく並んだかと思えば、うだるような夏には畑で採れた新鮮な色とりどりの野菜が食卓を賑わわせた。
一度アユムは好物の豚汁を夏場に食べたいと言い出して、「おいしいものはおいしい時期に食べなきゃもったいない」と鼻で笑われたものだ。
たしかに夏に食べた汁気たっぷりの真っ赤なトマトと、瑞々しいキュウリはとてもおいしくて、食べると体がしゃっきりするような気にさえなった。
「僕、野菜は嫌いだったんだよ。
とくにこのニンジン。苦くてどんなに小さくても食べられなかったのに、マリがつくったニンジンならどんな料理でもおいしいんだ。不思議だなぁ」
それを聞いていたのだろう。後ろからくしゃくしゃと頭を撫でられたので振り返るとそこには満面の笑みを浮かべたマリがいた。
「ありがとねアユム。だけどこれは私がすごいんじゃないのさ」
マリはそう言って腕を組み何やら考えていたかと思うと、顔を輝かせて言った。
「そうだアユム、稲刈りもそろそろ落ち着いてきたことだし、明日は私の手伝いをしな。あんたにお姉さんがおいしい野菜をつくるとびっきりの秘密を教えてあげるから」
アユムはマリの剣幕に押され、頷くしかなかった。
次の日アユムがマリの食堂を訪れると、そこには眠そうな顔をしたレイに加えて、荷車を引いたクオンがいた。
荷車には森からとってきた落ち葉と、何が入っているかもわからない大きな袋がいくつも乗せられている。ちょっと酸っぱいような、血生臭い臭いがしてアユムは思わず顔を背けた。
それからが大変だった。マリは平気な顔をして荷車を「すぐそこ」という畑まで押すように言ってくる。アユムは思わず開いた口をそのままにレイやクオンを見るが、レイは諦めたような死んだ目をしていたし、クオンは相変わらず表情ひとつ変えずに作業へと移ってしまった。マリは有無を言わさぬ笑顔である。そうなるとアユムも従うしかなかった。
だけど荷物は重く、荷車は地面のちょっとした窪みですぐに傾いたりする。それを力で強引に押していく。アユムは力を増すための『島引き太郎』の呪文が、呪いでもかけているんじゃないかという調子で唄われるのを初めて聞いた。
何度まだ着かないのと訊いただろう。ぎしぎしと今にも壊れそうな音を立てながら延々と進み、着いたときにはアユムとレイはもうクタクタで座り込んでしまった。
「よーしよく頑張ったね。ここが私の自慢の畑だよ」
マリの畑は広かった。息を整え見渡すと、小学校の校庭くらいは確実にあるだろう畑には、そこここに様々な野菜が植えられていた。
あれは何の野菜だろう?
アユムは畑仕事をしたことがほとんどない。何となく見覚えがあるような気がするといった程度だ。だからアユムは目をしばしばとさせながら、これは何だろうといくつも質問を重ねレイに厭な顔をされるのだった。徐々に目を輝かせ始めるアユムをにこにこと見ていたマリだったが、キリがないと見ると手を大きく叩いて話を中断させた。
「さぁさ、野菜のことは今度手伝いに来た時に教えてあげるから。今日は別の仕事をやっておくれ」
どうやら目的地は畑の隅にあるようだった。荷車は畑の中には入れられないので、アユムたちは荷物を手で持って運ばなければならなかった。
落ち葉の袋は意外と重かったがまだいい。だけど何が入っているのかわからない袋は触ってみるとごつごつとしたものが詰まっていて重い上にとても臭い。クオンが優先的にいくつも同時に運んでくれているとはいえ、アユムは何でこんなことになったのかと泣きたくなった。これなら稲刈りをしていた方がいいと思えたのは初めてだ。
「うわ、何コレ?」
そこには大きな穴が空いていた。穴の中には野菜の皮のような生ごみに、細かいパン粉だろうか、白っぽい粉が大量に入れられていた。
穴の中に言われるがまま袋の中身を入れていく。なんと何が入っているかわからなかった袋の中には、動物の骨が入っていた。骨にはまだ肉がところどころこびりついている。アユムはこみあげる吐き気を必死に我慢した。
レイとアユムが運んだ落ち葉や骨をクオンが魔法で手早く砕きながら、黙々とかき混ぜていく。
「え、何で野菜をつくる畑のこんなすぐ近くにゴミ置き場があるの? 汚いよ」
アユムが思わずそう言うと、マリに頭をごつんと小突かれた。
「馬鹿な事言うんじゃないよ。罰当たりな」
すぐにニカっと笑いながらマリは言う。
「これがおいしい野菜の秘訣なのさ」
ようやくすべてを運び入れ、マリがいいというまでかき混ぜると、マリがパンパンと手の土を払いながら言った。
「ご苦労さん。これであとはしばらく待って、黒い土になったら堆肥のできあがり。堆肥をまくから私の畑の野菜はおいしいってわけさ」
…もう野菜食べられないかも。
口を押え青い顔をしているアユムに、マリはすっとニンジンを出して言った。
「これはさっき採ってきて、水で洗っただけだよ」
マリににらまれた上おいしそうにかじるレイを見て、観念したアユムは渡されたニンジンにかじりついた。採れたてのニンジンはカリッとした歯ごたえに、苦みのない甘さが絶品だった。思わず唸る。それを見たマリは満足そうに笑っていた。
「でも結局土に入れるなら、初めから燃やしたり細かく砕いてまいちゃえばいいんじゃないの?」
そうすれば骨も見なくて済むし、臭い思いをしなくていいじゃないか。
するとマリが「わかっちゃいないね」と困ったように笑って言った。
「面倒だし、時間がかかるからそうしている人もいるよ。でもそれだと土に精霊が宿らないんだよ」
よくわからないと首を傾げるアユムに、マリはこっちにおいでと手招いた。ついて行った先には、同じように畑の隅に空いた穴がある。だけどそこにはもう生ごみの姿はない。
あれ、おかしいな。
感じる違和感。何かと思えば臭いがほとんどしないのだ。するとマリが「これは去年同じようにしてつくったものだよ」と穴の中にある堆肥を手に取ってアユムに差し出してきた。恐る恐る渡された堆肥を見てみれば、黒くてパラパラとした土は、ほのかに香ばしい香りがした。
「これ本当に同じものなの?」
どんな魔法なのだろう。信じられないものを見るようにアユムはまじまじと堆肥を見ている。
そんなアユムにマリは教え諭すように言う。レイは何度も聞いた話のようで上の空だったが。
「これは土の精霊様の魔法によるものさ。
いいかい、私らが食べているものは畑の土に育ててもらったもんだろう? それを分けてもらって私たちは生きている。
なら感謝の気持ちを込めて、ちょっとおまけをつけて返すのが筋ってもんだ。それも料理と一緒でただ与えればいいってもんじゃない。
なるべくおいしくなるように、手間暇かけて森の落ち葉や生き物の骨や米ぬかなんか混ぜたりして。これはうちの祖母ちゃんの祖母ちゃんから教えてもらったことだね。混ぜたらゆっくり寝かせてあげればそれが供物になるんだよ。
そうすれば土の精霊様たちが喜んで、野菜にとって最高な黒くていい土にしてくれるのさ」
マリの話は難しかった。だから正直アユムはよくわからなかったが、「実際うまいんだから、そういうことにしとけ」と横から突いてくるレイの言葉に従い、ニンジンをかじりながら納得するしかなかった。だってニンジンは本当においしかったから。
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