第18話 稲霊(いなだま)

 季節は過ぎ行き、朝の肌寒さに夏の終わりを予感し始める頃。アユムはクオンと一緒に稲刈りの手伝いをしていた。


 村は田植えのとき以上に賑やかで、どこか浮ついた気持ちを隠せずそわそわと落ち着きない。「今年は豊作」そんな嬉々とした言葉があちこちから聞こえてくる。田植えののときとは打って変わって温かい目で見守られているのにアユムは気づいた。


 その理由はどうやらアユムが魔法を使った田んぼにあるようだった。

 

 その田は明らかにほかと様子を違えていた。アユムの目の前には、丸々と肥えた実を湛え頭を垂らした穂が所狭しと広がり、黄金色に輝く田んぼがあった。


「誇るがよい、お主の力無くしてはできぬことじゃ」


 その美しさに目を奪われていたアユムの横で、ルジアが深く息を吐くようにして言った。感無量といった様子で目をしみじみと瞑ってそれきり何も言わない。


 これが僕のおかげで?


 アユムは信じられない気持ちでいっぱいだった。だが周りを見れば、レイもサリナもユウも、そして誰もがアユムのことを見て優しく笑いかけている。アユムは思いがけず涙が流れていることに気がついた。胸をぽかぽかと温かいナニカが占めていて切なくてたまらないのだ。


「何でだろう。すごく嬉しいのに涙が」


 眼を擦ろうとする手を、サリナがそっと掴んだ。


「まったくもう、しっかりしなさい。

 いい? これはアユム一人の力じゃないわ。普段世話しているお百姓さん、お天道様や水、それにオオカミ様たちの力あってこその成果でもあるんだから」


「でもね」サリナはぎゅっと握る手の力を強めて言った。


「それでもこれはあなたの力が無くてはできなかったことなんだわ。

 あなたは素晴らしいことをした。胸を張って前を向かなければいけないわ」


 サリナはまるで自分に言い聞かせているようだ。その顔は凛々しく、美しかった。アユムは思わず見惚れてしまっていた。


「さぁ、稲刈りの始まりだ」


 歓声とともに作業が始まる。日は朗らかで暖かく、皆笑顔で嬉しくなる。そんな日だった。




『黄昏色の田に行こう。毎日通った田んぼだから目を瞑ってでも行けるんだ。

 黄昏色の田に行こう。オオカミ様の加護の元、大きく実った穂が待つ場所へ。

 ざっくざっくと音が鳴る。今年も豊作ざっくざく』


 稲刈りをする間も楽しそうな唄が響く。これは何の魔法なの? アユムは思わず聞いてみたが、それに答えられる人はいなかった。毎年唄っているから自然と出てきてしまうのよ。皆そう言って笑っていた。

 



 アユムは荒い息を吐き、痛む腰を叩きながらいまこの場にいることを激しく後悔していた。

 稲刈りは大変な重労働だったのだ。

 アユムが知っている稲刈りは、爺ちゃんが大きなコンバインという機械に乗って、次々と刈り取っていくものだ。あっという間に穂が無くなって籾になっていくのはまるで魔法のようだった。


 ところがこの村ではなんとすべてが手作業だったのだ。

 

 穂を手で束ね、刈り取っていく。繊維は意外と硬く、思い切り鎌を振らないと歯が立たない。切った穂は束ねて並べていくのだが、何束も切らないうちにあっという間に手首は痛くなってくる。しかも腰を屈めての作業なので腰もすぐに悲鳴を上げる。こんなツラいなら、お米なんて食べられなくていい。アユムは本気でそう願った。


 だがアユムが全身に汗をかき何度も休憩を挟みながら作業を進めているのに対し、周りを見れば腰の曲がったおばあちゃんでさえ信じられないスピードで刈り取っていく。

 あれはどんな魔法を使っているんだろう。あの曲がった腰はこの時のためだったんだ。違っているのはわかっていたが、アユムにとってそれくらい信じられない光景だった。


 どんなにツラくても作業は待ってくれない。雨が降れば台無しになると急かされ、ひぃひぃ言いながら手伝っていると、アユムはある穂の中におかしなものを見つけた。

 穂の先に黒いカビみたいなものがついていたのだ。おずおずと触ってみると黒い煤がついた。汚い。


「ねぇ、腐ってるのがあるよ。燃やしていい?」


 アユムは顔を顰め、穂をなるべく顔から話すようにしながら誰かいないかと見渡しながら言った。


「駄目だアユム」


 すると慌てた様子でレイが駆けてきて、アユムから穂をひったくるようして取り上げた。その様子を聞きつけたマリが、すぐにやってくる。


「あらまぁアユムお手柄じゃないの。

 これは稲霊と言って、オオカミ様からの祝福の証さね。今年も出てきてくれたんだねぇ、嬉しいじゃないか。

 今年はきっと、とびきりおいしいお米が食べられるよ」


 マリはほくほくと嬉しそうに笑っている。周りの母ちゃんらも手を休め、口々によかったねと言祝ぐ言葉を掛け合っていた。


 稲霊は間もなくやってきたサリナとルジアにより恭しく回収されていった。




「これで終いだ」


 最後の穂を棒に掛け終えたとき、周りからは大きなため息と喜びの声が上がった。

 稲は刈れば終わりではなく、「はざ掛け」といって、棒にかけてしばらく天日干しにしなければならない。そうすることで、穂に残った栄養が残らず米に行き渡るのだそうだ。

 腰を伸ばしながら背伸びをする人。座り込む人。皆その顔は晴れやかだ。

 一方アユムはというと、諸手を上げて喜び、隣にいたレイと思わず抱き合って喜んだのだった。


 こうして数日かけた稲刈りはようやっと終わりを迎えた。村一面を黄昏色に染めていた穂はいまやなく、代わりにあちこちの田んぼではざ掛けされている。その光景は圧巻で夕陽を受けて佇むその姿を見て、アユムはこれ以上ない達成感を味わうのだった。

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