第16話 琥珀の新しい家

 遠くから烏の鳴く声がする。見上げれば日は暮れはじめ、空も徐々に茜色に染まりつつあった。


「そろそろ帰らなきゃな」


 レイがぽつりと言った。「……うんそうだね」楽しい時間はすぐ終わっちゃうな。アユムが下を向きながら石を蹴飛ばすと、石は弧を描いてぽちゃんと川に入っていった。


「さ、早く帰らないと叱られちゃうんだから」


 そんな空気の中、サリナが努めて明るく言うと琥珀がキャンキャンと鳴く。思わずくすりと笑う三人。


「そうだな、琥珀も早く家に入れてやらないと」


 3人は急いで帰り支度を始めるのだった。


 琥珀の家は秘密基地となる大樹の下にあった。樹にぽっかりと開いたウロを利用したものであり、アユムが来たときには既にあった。しかしその大きさは徐々に大きくなりつつある琥珀には、少し狭くなってきたようだった。


「しっかしこいつもどんどん大きくなるよな」


 レイが琥珀をいつものように長めのロープに繋ぎながら言った。琥珀は成長期を迎えたようで日に日に目に見えて大きくなるようだった。


「このままじゃ家も大きくしてやらなきゃな」


 琥珀の家の周りには、レイが持ってきたエサの残飯が散乱している。さらには遊び足りない琥珀がかじったのだろうか、樹には噛み跡のようなものがいくつもあった。


「そうだね、今度は木の板を使って、大きな家をつくってあげようよ」


 アユムは三角屋根の犬小屋を思い浮かべながら言った。つくったことはないが、平たい木の板と釘があれば何とかできるはずだ。

 しかしそんな二人の様子を後ろで見ていたサリナは1人、浮かない顔をしているのだった。


「ねぇアユム」


 レイを見送ったあと、サリナは何やらもじもじとしていたかと思うと言ってきた。


「もしかして琥珀、ご飯足りてないんじゃないかな?」


「え、でもレイがいつもご飯持って行ってあげてるよ」


 アユムはきょとんとした顔で答えた。それを見て「でも」とサリナは言う。


「琥珀も大きくなってきたから、そろそろレイが持って行くだけじゃ限界もあるんだと思うの。私たちもなるべくご飯持って行ってあげましょう」


 たしかにと、山ほどあった魚をぺろりと平らげてしまった琥珀の姿を見てアユムは思った。

 

「琥珀食いしん坊だもんね。わかった、僕もなるべく琥珀が食べられるようなものを用意するようにするよ」


 サリナはそれを聞いてほっとしたような顔をしていた。




「ねぇユウ、要らない木の板や釘ってないかな?」


 帰ってからアユムは早速、こっそりとユウに訊いてみることにした。


「え、板と釘? 何に使うの?」


 ユウはことりと首を傾げる。


「いいから。ちょっとつくりたいものがあるんだ」


 しかしアユムははぐらかすばかりで答えなかった。琥珀のことはユウにも内緒だったからだ。


「教えてくれない悪い子にはあげません」

 

 ユウはぷいと顔を逸らす。そうなっては慌てるのはアユムの方だった。えっとと、頭を捻るアユム。


「そうだ、修理。レイの家で物置の修理に使うんだって」


 それを聞いて目を細め、怪しそうにアユムを見つめるユウ。アユムは必死に笑顔を取り繕った。

「まあいいけど」ユウはため息をついた。


「でも倉庫にあったかな? あまり残ってなかったかもしれないわ」


 悩まし気に腕を組みながらユウは申し訳なさそうに言った。

 実際、その後二人で倉庫へ行ったが、釘も板もめぼしいものはあまりなかったのだった。




「……と、いうわけなんだ」


 次の日、レイとアユムは二人顔を突き合わせ、頭を唸っていた。その場にはわずかばかりの板と釘しかない。


「俺のとこもな~、母ちゃんが理由をしつこく聞いてきて。言わないとどこにあるか教えてくんないんだよ」


 レイも困り顔だ。このままではとても犬小屋などできそうにない。途方に暮れる二人だった。


「こうなったら仕方ない」


 レイが苦悶の表情を浮かべながら言った。


「あいつらの手を借りるしかないか」




 それからしばらくして、テッドとジミー、それにマリを加えた5人は秘密基地にいた。


「なんだよ、そういうことならもっと早く言えよな」


 全員がひとしきり興奮しはしゃぎながら秘密基地見学を終えた後、からっと笑いながら言ったのはテッドだ。


「ほんと、こんないいところ教えてくれなかったなんてズルいや」


 ジミーは仲間外れにされたことを不服そうにちょっと拗ね気味だ。「まぁまぁ、仕方ないよ」一方そう言うマリーは何故か少し嬉しそうだった。


「今日教えたんだから許してくれよ。黙ってたのは謝るからさ」


 手を合わせ謝るレイ。その陰ではアユムも不服そうに顔を伏せていた。

 じつは3人を呼ぼうとレイが言ったとき、「仕方ないわね」とやんわりサリナが賛成したのに対し、最後まで渋っていたのがアユムだった。3人だけの秘密の場所、ほかの誰にも教えたくはなかった。だけど琥珀のためと言われると折れざるを得なかったのだ。

 でもまぁ、琥珀が楽しそうだしいいか。アユムはテッドたちと楽しそうにはしゃぐ琥珀を見て、考えを改めるアユムだった。


「じゃあ皆何を持ってきたのか見せ合おうぜ」


 レイがそう言うと、ある者は自慢げに、ある者は自信がなさそうに持ち物を前に出した。


「俺たちはこれだな!」


 そう言ってテッドとジミーが出したのはのこぎりとかんなだった。どうやら父親が大工仕事をよく頼まれるらしく、仕事道具の中から持ってきたようだ。


「板を全部貰ってくるのは大変だけど、道具があればどうにかなるでしょ」


 そう言うジミーの顔は得意気だ。どうやってあれ使うんだろ。アユムの心配はレイも同じだったらしく、二人は顔を見合わせ苦笑した。


「まぁいいか、リンは何を持ってきたんだ?」


 切り替えたレイがリンを見ると、レイはびくりと身を震わせた。


「ごめんね、あまりいいものは持ってこれなかったんだけど」


 そう言ってリンはおずおずと毛布を差し出した。


「板の上に直接寝るのは可哀そうだから。これ、琥珀ちゃんのお布団にでもしてもらえたらと思って」


「あ、でも夏は暑いよね、ごめんね」リンが早口で付け加えながら慌てて毛布を仕舞おうとする。


「いや、そんなことないよ。ありがとうリン。そういや俺ら寝床のことすっかり忘れてたわ」


 それをレイが引き留め、すっかり感心した様子で言うと「さすがだな」とにこやかに笑った。それを見たリンは顔を赤らめるとすぐに顔を伏せてしまうのだった。


「よし、これで大分道具も揃ったな」


 いまアユムたちの前には多くの道具や材料がある。どれも半端なものばかりだったが、アユムにはそれらが夢の欠片のように煌めいて見えた。


 アユムが地面に描いた小屋の絵が設計図。それを基にそれぞれが四苦八苦しながら小屋を造りだした。

 しかし材料も足りなければ技術も足りない。ろくに大工仕事をしたこともなく、釘一つ打ったことのない子どもがいくら集まってもうまくいくはずがない。頼りの魔法も、今までに経験もなく、どうしたらいいかわからない作業には使えなかった。

 だがその場にいるアユムたちの顔は皆輝いていた。「ここがすぐ崩れちゃうんだ」となれば、誰かが支え、誰かが持ってきた草の蔓などで強引に縛り付けて支える。そうして問題を一つひとつ解決していく度に歓声が上がり、小屋は少しずつ出来上がっていくのだった。

 作業は一日では終わらず、その後も何日か時間をかけることになったが、ようやく完成したときにはアユムたちは思わずお互いハイタッチして喜び合った。


「やったー、完成だ!」


 完成した琥珀の家はつぎはぎだらけ。ちょっと押しただけでぐらぐらするものだったけど。琥珀が嬉しそうに鳴きながら小屋の周りを駆けている。それを見たアユムたちの胸は誇らしい気持ちでいっぱいだった。


「まったく、こんなところにいたのかい」


 だがそこに思わぬ乱入者の声が響いた。驚き振り向くとそこには、マリをはじめとした何人もの大人たちがいた。


「最近よく物を持ってどこかにいなくなったかと思ったら」


「あ、これうちのやつじゃねぇか。最近失くしたかと思ったらこんなとこに」


 その顔はあきれ顔だったり、怒っている顔だったり様々だ。

 さっきまでのうきうきとした顔は消え失せ、アユムたちは泣きそうな顔になりながら俯いている。どうしよう、怒られる。アユムたちの心は一気にしぼんだ。そんな中、何もわからない琥珀だけは相変わらずキャンキャンと新しい友だちに吠えていた。


「仕方なかったんだよ」


 そんな中、絞り出すようにしてレイが言った。


「うちは飯屋だから飼えないって前母ちゃんも言ってたじゃんか。ほかに飼ってくれるやつもいなかったし」


 その声は尻つぼみに小さくなり、最後にはほとんど聞こえないほどだった。それを聞いて大きくため息をつくマリ。


「だからといってこんなところに小屋をつくらなくても」


 このままじゃ琥珀が捨てられちゃう。アユムは琥珀との楽しかった日々を思い出していた。琥珀の姿に熊五郎の姿も重なり、とてもそのままにはしておけなかった。アユムは覚悟を決めたようにきっと顔を上げ、マリを見つめた。


「お願い、琥珀を捨てないで。俺何でもするからさ」


 するとレイやテッドたち全員がそれに続いて、口々に大人たちに嘆願し始めた。それに困ったように顔を見合わせる大人たち。「どうするよ」「俺んとこはとても無理だぜ」そんな声がそこかしこで飛び交う。そんな中、一人の男の声がすっと響いた。


「なら俺が飼うよ」


 ぱっと顔を輝かせアユムがそちらを見ると、そこにはいつか川辺で見かけた男がいた。


 えっとたしか、クオンさん。だったかな?


 朧げな記憶を必死に繰り出すアユム。しかしふと、周りがクオンを見て動揺しているのがわかった。クオンは誰とも話しておらず、どこか距離も皆と遠いように見えた。


「しかしあんた、ちゃんと世話できるのかい?」


 そんな中マリが訊ねる。


「問題ない。猟犬なら以前にも師匠が飼っているのを見ていた」


 クオンは表情を変えることなくそう言った。マリはそれを見てしばらく悩んでいたが、「お願い」と縋り付くアユムやレイたちの顔を見て根負けしたように頷いた。


「じゃあクオン、このワンコのことはあんたに任せたよ。しっかりやんな」


 わっと歓声が上がる。アユムたちは今度こそうまくいったとハイタッチしたり抱き合って喜んだ。そんな中、「だけどよ」とテッドたちの父親らしき男が困ったように言った。


「この小屋は作り直しだな」




 それからすぐ、大人たちの手により小屋はすぐにもっと立派なものがつくられクオンの家に置かれた。琥珀はクオンの猟犬として、日々訓練を楽しそうに受けている。これを機にアユムはクオンの家にもちょくちょく行くようになるのだった。

 しかし大人たちに秘密基地の場所が判明してしまったため、あの場所に行くことは禁止となってしまった。それだけが残念でならなかった。

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